第46話 炭火オイルの黒豚背脂スタミナ油そば
コトンと小さな音と共に目の前に置かれる白いどんぶり。
「炭火オイルの黒豚背脂スタミナ油そば、吊し焼豚トッピングです」
大将がシワを歪めてニコリと笑う。
大将はすぐ、アルバイトの男の子に声をかけ、忙しそうに次の麺を茹で始める。
今日のてんやわん屋は九時半すぎてもお客さんが途切れない。この分だと、十時半前には朝ラーメニューが売り切れてしまうかもしれない。
大将もスプリングさんのことを知っているのかな?
お客さんが多いときは、こちらからなかなか話しかけられない。それでなくとも、内容が内容だから。
彼女のピオッターには、てんやわん屋のラーメンの画像がいくつもアップされていた。てんやわん屋だけというわけではないけれども週一か二週に一度の頻度で結構前から。何週間か前に私が食べた朝ラーの画像もあった。と言うことは、すれ違っていたのかもしれない。
けれども……何で?
何でスプリングさんは私にDMを送ってきたんだろう?
ロンリーさんが言っていたことが本当だとして、何でアカウント名を変えたんだろう?
スプリングさんの前のアカウント名はラーくん。忘れたくても忘れられない、私のあの忌々しき黒歴史の、渦中の人。でも、そんなの偶然だ。
第一、ラーくんなんてアカウント名は山ほどいる。
待っている時間の間ずっと探したけれども、元彼と思えるラーくんは見つからなかった。私がピオッターを再開しようとして前のアカウントでログインしたときは確かに見たのに。でも、前のウッツー垢は削除してしまったから今さら確認のしようがない。
スプリングさんのアカウントを遡ってみたけれども、三年前以前のピオはなかった。アカウント取得したのが七年前なのに。
ただの……偶然? 本当に?
ハッと我に返る。
箸とレンゲを構えたまま固まっていた自分に気づく。
油そばだから麺がのびたりしないけれども、冷めたら美味しさも半減してしまう。今は早く食べよう。全力で美味しいを楽しもう。
どんぶりには京小麦の中太平打ち麺に炭火が香る薄切りの吊し焼豚が六枚、その真ん中にはニラと豚ミンチの山にニンニクチップ、あとは白髪ネギと板海苔が一枚のっていた。おまけに、麺に回しかけられたたっぷりの黒豚の背脂がまるで雪のように積もっている。
どんぶりから漂ってくるにおいがもう香ばしい。炭火のにおいってこれなんだ。
薫製のようなスモーキーな、てんやわん屋の吊し焼豚のにおいと同じ。それがさらにニンニクのにおいと合わさって、朝から食欲がレッドゾーンに達する。それくらい、背徳感たっぷりなジャンクな一杯になっていた。
においとビジュアルだけで口の中にツバが溢れてくる。
これは絶対に美味しいやつだ。でも、この後デートとかある人は絶対に朝から食べちゃダメなやつだ。
けれども、そんな予定のない私は、思いっきりこの油そばを食べられるんだ。こんな美味しそうな油そばが食べられなくなるくらいなら、彼氏なんていらない。
ビバ、独り身! 羨ましいだろう、街に蔓延るカップルどもよ。
でも、もし彼氏がラーメン好きで一緒にこの油そばを食べようって言うのなら、それは吝かではない。吝かでは、ない。別に誰がってわけではないんだけれども。
パパッとピオッター用にどんぶりの引きを撮影して、いよいよだ。生まれて初めての油そば。
箸の先でどんぶりの底から麺を返し持ち上げると、漂う香ばしさがさらに増す。
麺が持ち上げる炭火オイルと黒豚背脂が、店内のライトでキラキラと輝いている。
それを一気に啜ると……口の中いっぱいに広がるコクのある旨味と、鼻から抜ける炭火オイルの香ばしさと、思っていたよりもやさしい美味しさ。
テラテラと光っていて油っぽく見えるけれども、見た目ほどしつこくない。いや、むしろアッサリしている。
豚清湯をベースに塩ダレを合わせているせいかもしれない。ピオッターのてんやわん屋公式アカウントの告知にそう書いてあった。
そして、タイで作られた唐辛子――プリツキーヌを少量加えたミンチを麺に絡めると、さらにパンチが加わって美味しさが増す。そこに背脂の甘味が加わって、はい最強!
食べる前は焼きそばをイメージしていたんだけれども、まったく違った。
油そばって、食べたらなるほど確かにこれが油そばだ。
うす切りされた吊し焼豚で巻いた麺にかぶりつく。さらに麺を啜る。
「んーっ!」
幸せ。ビックリするくらい美味しい! ジタジタしちゃう。
つけ麺もとっても美味しかったけども、正統派ラーメンとは違うジャンクな一杯まで極上の味に仕上げてくる大将の腕と知識と経験に脱帽だ。
こんなに色々な種類のメニューを手掛けるラーメン屋は多くない。
てんやわん屋が人気なのは、きっと豊富なメニューにハズレがないことだ。全部美味しい!
そして、油そばの醍醐味はここからだ。
「すいません、追い飯と卵黄お願いします!」
麺を食べきったあとどんぶりに残った塩ダレとニラ、ミンチに茶碗半盛りほどのご飯を投入。さらにその真ん中を崩して卵黄をのせる。
油そばの最終形態。これをやってみたかった。
ビジュアル的には猫まんまだからあまり綺麗なものではないけれども、旨味がギュッと詰まった残りダレで食べるご飯はもう最高。
これをなくして油そばを頼む価値なしと言うくらいの、完璧な〆。
子供の頃、お行儀が悪いとお母さんに怒られていたことが、ラーメン屋では許されてしまう至福。
ふぅ、もうお腹いっぱい。満足満足、ごちそうさまでした。
大きく息を吐いてお腹をさすっていたとき、お店の壁に貼られていたポスターに気づいた。
『ゴーグル主催、全国津々浦々ラーメン
なんだろう、ラーメンGPって?
カウンター席と中待ち席の間にある仕切りの所に置いてあったチラシを取る。
どうやらインターネット投票で美味しいラーメン日本一を決めるコンテストみたいだ。
選考部門は濃厚スープ部門、淡麗スープ部門、まぜてナンボ部門の三部門。
各部門で優勝すると全国で販売される即席カップ麺になるらしい。
さらに全部門をひっくるめて総合優勝したラーメン屋は賞金百万円と全国でのイベント出店のサポートまであった。
「へえ、面白そう……」
「あ、よかったらチラシ持っていって。ウチもエントリーしてるから」
大将がグッと親指を立てる。
あ、本当だ。チラシの下の方――混ぜてナンボ部門のエントリー店にてんやわん屋がある。
「あっ……」
それだけじゃない。淡麗スープ部門にあったラーメン屋は……
「わかばもある」
東海地方からは他にも四店舗エントリーされていた。他はまだ行ったことのないラーメン屋ばかりだけれども、全エントリー六十店舗中東海地方で六店舗って凄い!
「ウチは十年ちょっと前にグランプリを取っているから出るつもりはなかったんだけど……」
「え、グランプリ取っていたんですか!?」
「過去の栄光だけどね」
大将が照れくさそうに笑う。
たくさんの常連さんがいるのも頷ける。てんやわん屋ってそんなに凄いラーメン屋だったんだ。
「今回はわかばんトコの
そんな経緯があったんだ。
大将に言われるまでもなく、当然私はてんやわん屋を応援する。げれども、わかばも私にとって大切なラーメン屋だ。
大将には「任せてください!」と笑顔で胸を張りながら、最終的に一番と推すお店を決めかねられない自分もいた。
本日の油そば――
炭火オイルの黒豚背脂スタミナ油そば……千五十円。吊し焼豚……三百円。
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