第39話 強メンタルはたちが悪い
暇? 今、彼は暇と言った? 聞き間違いでなければ間違いなく暇と言った。
よくそんな暇あるな?
…………意味がわからない。
この人はご飯を暇だから食べるのだろうか?
自分でもわかる。眉間に深い深いシワが寄っている。このシワの深さが、私と早川さんの間にある溝の深さだ。控えていると言ったはずのお酒が進む進む。
「え、何? 打木ちゃんもそんなに並んでまでラーメンを食べに行っちゃう派?」
何だその派閥は?
「私ってぇ、ラーメンは並んで食べる派なんですぅ」なんて人がいると思ってるのか? あ、や、そんな人も希にいるかもしれないけれども。
並ばなくてもいいなら私だって並ばない。けれども……
「そうですね、食べたいラーメンがあれば三十分どころか一時間だって」
当然、並ぶ。だってそのラーメンを食べるためにはその選択肢しか用意されていないのだから。他に方法がなければ誰だって並ぶ。芸能人だろうが政治家だろうが忖度なんてない。みんな並ぶ。多分、おそらく、きっと……
そうまでして食べたくないと言うのなら、その程度だってことだ。
「ふはっ、マジでガチ勢じゃん!」
イラッとした。それが彼の本気の言葉であっても軽々しい冗談であっても、今日初めて会った人に笑いながら言われることではない。
店員さんを呼び止めて、思わずお酒を追加してしまった。焼き鳥も。
こんな話、お酒を飲まずに聞いていられますか! ってヤツだ。
その先の早川さんの言葉は私の耳にこれっぽっちも留まらず、左から右へと素通りしていった。
お酒と場の雰囲気で気分がよくなったのか、彼は饒舌だった。コロコロと滑らかに舌が回っていた。とっても楽しそうに。
私は――返事はちゃんとしている。相づちも打っている。顔も笑っている。多分。
何を言っているのか聞いてはいるけれども頭が理解を拒否しているだけだ。
それでも、時々彼の口から飛び出す気に触るワードが私の頭に引っかかり、抑えている感情を逆撫でした。
「最近のラーメンって高いよね? ラーメンは千円以下じゃないと」
高いには高いなりの理由があるんです。
コロナ禍の影響や世界情勢のせいで物価が上がって、煮干しの仕入れ値なんか一年で三倍ににもなったらしい。そう嘆いている大将もいた。それだけじゃなく、いい材料だって使っているし、スープを仕込むのに朝早くから仕事を始めている。
それで一杯千円以下で出せだなんて無茶な話だ。
ラーメン屋だってお店を潰すわけにいかないから、お客さんに頭をさげて値上げしているのに。値上げしないで採算取れるなら値上げしないよ。ラーメン屋の大将達はみんな、お客さんのためにって人達ばかりだよ。そんなことも知らないで勝手なことばかり……
言いたい……言いたいけれども、グッと言葉を飲み込む。
「待ってるとき何してるの? 時間がもったいなくない?」
大きなお世話です。時間の価値観は人それぞれなので。
時間がもったいないと思うのなら並ばないラーメン屋に行けばいいだけ。別にそれが悪いなんて言わない。
時間をかけずに食べたいメニューじゃないものにわざわざお金を払って我慢して食べるのか、時間をかけてでも好きなメニューにお金をかけるのか、の違いでしかない。どっちを選ぼうがそれは自由だ。
待っているときだって、仲のいい人と一緒なら話していれば一時間二時間くらいあっという間だ。ひとりでも、ピオッターやサイトでラーメンのことを調べたりWEB小説を読んだりしていれば、待つのも苦にならない。
待ち時間も楽しめない人が、美味しいものを食べられるなんて思わないでほしい。
「ラーメンって体に悪そうじゃない? もっと美味しいものあるじゃん」
そう思うなら食べなければいいんじゃないの?
少なくとも、私たちが今飲んでいるお酒だって決して体によくはない。
「体に悪いものの方が美味しいんだよ」なんて開き直るつもりはないけれども、ラーメンに限らずみんなそうなんじゃないの?
そんな仙人みたいな暮らしをしている人なんて私の周りにはいないし、知らない。
それに、ラーメンを食べない日は節制している。健康がとかも考えるべきなんだけれども、ほら……体重が、ね。私も女だから気にはしている――ジムに行こうかな?
美味しいものだって他にもあると思う。けれども、それだって好みだし、何を選んで食べるのかはやっぱり自由だ。
私だったらA5ランクの和牛ステーキよりもラーメンを選ぶというだけで。
今やラーメンのトッピングに100グラム5000円の特選松阪牛がのることもあるけれども。
ダメだ、お酒が進む。言い返さず胸の中で消化するのにアルコールが大量に必要だ。グイグイいけちゃう。イライラが止まらない。
でも、心のゴングが鳴ったのに言い返さずに我慢した私を誰か褒めてほしい。願わくば、「よくやったね」って頭をよしよしと撫でてほしい。
第一、こんなことラーメンが好きだと言っている私に聞くこと?
さっき早川さんもラーメン好きって言わなかったっけ?
「打木ちゃん、大丈夫? ちょっと飲みすぎじゃない?」
「うん……ありがとう、佐伯さん。私は大丈夫……んっ……だよ」
言葉途中でグラスに残ったお酒をグイッと飲み干した。
佐伯さんが心配そうな顔で私を見ている。
大丈夫とは言ったけれども、本当に飲みすぎだ。まだ長引くようなら用事があるからと言ってそろそろ帰ろう。
明日はてんやわん屋の朝ラーが私を待っているから。
さて、と――私がテーブルに手をついたそのとき、早川さんがケラケラと笑いながら私の肩に手を置いた。
「でも、女の子がひとりでラーメン食べ歩くのって寂しいでしょ? いつでもオレが一緒に……」
「え、イヤです」
ぞぞぞっと背筋に冷たいものが走って、思わず早川さんの手を払いのける。
一瞬、場の空気が凍りつく。
しまった! 慌てて引っ込めた手で自分の口を塞ぐ。
お酒を飲みながらも口を滑らせないように気をつけていたのに気が緩んでしまった。もう頭だけ先に家に帰っていた。
「えー、打木ちゃん、つれないなぁ! 俺と一緒にラーメンを食べに行こうよ~!」
つよい――何なの、このポジティブに全振りした強メンタルは? でも……
よかった、私の一言でこの場の空気が滅茶苦茶にならなくて。
よくなかった、早川さんが距離を詰めるどころか今度は肩を抱いてきた。
近い、と言うか馴れなれしい。無理。気持ち悪い。
「そんなに邪険にしなくてもいいじゃん。俺がそんなに悪い男に見える?」
私も酔っているけれども、早川さんも相当酔っているように見える。声のトーンは高いけれども、目が笑ってない。座っている。怖い。
「あの……本当にごめんなさい……ヤメてください」
「早川さん、飲みすぎですよー! お水飲みますか?」
さすがに佐伯さんも見かねたのか、早川さんを私から引き剥がそうとしてくれる。
合コンは仲よく楽しく話すだけ。今の早川さんは完全にルール違反だ。
佐伯さんに肩を引かれながらも、早川さんが今度は私に抱きついてきた。
「だって、打木ちゃん可愛いからさ~」
「イヤっ……」
「いい加減にしてください。ちょっと騒ぎすぎですよ。お店にも迷惑なので」
聞き慣れた声に体が硬直した。
抱きついてくる早川さんの顔をグイッと押し退けながら振り返ると、そこには泉くんが立っていた。
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