第38話 カーンッ!!
美味しいものを食べに行こうという体の合コン。
店内を流れるJ-POPと、それが聞こえないくらいのみんなの賑やかな声と、食欲をそそる香ばしいにおいと、こういうお店では珍しく薄まっていないお酒と。
にじり寄ってきた佐伯さんが私の顔をのぞき込みながら不敵な笑いを浮かべる。
「前に泉くんと一緒にいた女の子いたでしょ? あの子って、泉くんの同期で生産管理部の新人さんなんだってよ~! 打木ちゃん、ずっと気になっていたでしょ?」
「な、なってないっ! 気にしてないっ! 泉くんなんて、あの小娘とイチャついていればいいんだ。大体何よ、あの子。あんな子が同じ会社だなんて信じられない。部署は違えど私は先輩だよ? それなのに態度が悪いったら……」
「なぁ~んだ、知ってたの?」
「ええ、おかげ様で。不本意ながらこの間、てんやわん屋でご挨拶させていただきましたわ」
スルーするつもりだったのに。泉くんが声をかけてきたりさえしなければ。
佐伯さんはつまらなそうに口をとがらせていた。でもすぐにパッと顔を明るくさせてパンッと手を打った。
「じゃあ、これは? 泉くんがあの子に声をかけられたのって、まだ最近らしいよ」
「……最近も何も、同期なんだから研修期間を入れてもまだ三ヶ月ちょっとでしょ?」
「ううん、泉くんの話だとあの子と初めて話したのはラーメン屋だって言ってた」
「ラーメン屋……どこの?」
「そこまでは聞いていないけど、ちょうど打木ちゃんがむさぼるようにラーメンを食べあさってた日くらいじゃないかな?」
「言い方っ!」
私はむさぼるようにラーメンを食べた覚えはな……あ、あれかな? 二日で十二杯食べた。わかばで食べたラーメンが美味しくて、もっとラーメンが食べたくて、何も知らずにひとりでラーメン屋をめぐった土曜日日曜日……ん?
「ちょっと記憶があやふやだけど、通勤途中に泉くんと清水さんを見かけたのって、そのすぐあとじゃなかったっけ? その割には仲よさそうに見えたけど……」
会社に向かって先を歩く泉くんのあとを体を弾ませるようについていった清水さん。いつのことか正確には覚えていないけれども、あの映像だけは瞼の裏に焼きついている。
「あれね、ラーメン屋で初めて声をかけられてすぐ、通勤から帰りのラーメンまで結構な頻度でつきまとわれてるみたいよ、泉くんの話だと」
つきまとわれている? てんやわん屋であったときはどうだったっけ? 逃げたい一心でよく覚えていないけれども、仲よく話していなかったかな?
「へぇ、それはおモテになりますこと」
彼のいないところで嫌味を言いつつ、何だか自分の口元が緩んでいる気がする。
そうか、つきまとわれているのか……そうか……
ここ最近、気持ちがフリーホールのように激しく上下ばかりしている。
グイグイとお酒を飲みながら頭に浮かぶのは、通勤時に泉くんを見かけたときのことや、てんやわん屋で会ったときのことばかり。そしてまたお酒を飲むの繰り返し。
頭がポワーンとして上手く回らない。ちょっと飲みすぎたかな?
「そういうことは、もっと早く教えてくれればいいのに」
「おやおや? もしかしてやっぱり気にな……」
「なってないっ!」
――酒飲みのエンドレス。
焼き鳥を摘まみつつ、酎ハイを飲みつつ、場末の飲み屋で酔っ払うご年配サラリーマンのようにブツブツとくだを巻く。
十八時半から飲み始めてまだ十九時半前。一時間も経っていない。
もう帰りたくなってきた。ラーメンを食べに行きたい。
けれども、そうは言いつつ佐伯さんを困らせたいわけじゃないから我慢しないと。彼女だって人を集めた立場もあるだろうし。私のせいで場の空気を悪くするのは忍びない。
グラスのお酒を飲み干して、一度大きく深呼吸する。落ち着こう。モヤモヤする話はもういいから楽しい話をしよう。
料理はとっても美味しいんだ。お酒だって楽しく飲んだ方がいいに決まっている。
帰りにどこかでラーメンでも食べれば完璧……
明るい髪色をした見た目さわやか系な男性が、佐伯さんとは反対隣――テーブルのお誕生日席に座った。
「打木ちゃん、飲んでる?」
打木ちゃん!? 初めましてから一時間弱、しかも私は彼の名前を知らない――ごめんなさい、覚えてない。だって、ろくに会話もしていないし。
いや、別にいいんだけど、何かその自分に絶大な自信を持っているようなその爽やかな笑顔が気になる。元彼と同じ香りがする。
ハッとして、慌てて手の平で自分の眉間を撫でる。いけないいけない、シワが寄ってたかも。落ち着こう、大人の態度でサラッと流そう。
「何か食べる? あ、それとも次のお酒を頼もうか?」
「あ、ありがとうございます。えっと……」
「早川です。さては自己紹介を聞いてなかったな~」
キラリと白い歯を光らせる早川さん。
図星すぎて苦笑いしか出てこない。でも、本人を目の前にそんなこと言えない。
「すいません、今別のことを考えていたものですぐに思い出せなくて」
「謝らなくてもいいよ、飲もう飲もうっ!」
早川さんがグラスを上げる。
「あ、はい。でも私、明日は朝早いのでお酒はほどほどに……」
心持ち首を傾けて、ニコッと笑う。スマートにヒラリと赤いマントを翻すように。気分は闘牛士。お酒はもうかなり飲んでいるんだけれども、明日早いのは本当だ。
それでも早川さんはお酒を片手にジリジリと私に寄ってくる。
「えー、そうなの? それは残念だな、こんなに楽しいお酒なのに」
ちょっとおどけて、次の瞬間には無邪気に笑う。
しつこく絡んでこないところは認める。きっとどこに行ってもモテる人なんだと思う。ちゃんと引き際をわきまえて……
「じゃあ、今度ふたりで出かけない? 俺、もっと美味しい店知ってるから」
前言撤回。一ミリも引いてなかった。逆に突っ込んできた。
確かに若干遠回しではあったけれども、どう考えてもお断りの言葉に聞こえなかっただろうか? 自信家の心臓って凄い、つよい。
佐伯さんがグラスを空にしたあとにケラケラと笑いながら顔の前で手を振る。
「ダメダメ、この子、ラーメン以外食べないから」
「食べてるじゃんっ!」
失礼な! 今だって焼き鳥を美味しくて食べてるよ! 気持ち的には毎食ラーメン食べていたいけれども。
「へえ、打木ちゃんってラーメンが好きなんだ」
女性受けしそうな爽やかな笑顔で、早川さんがグイッと腰を曲げて私の顔を覗き込んでくる。
また面倒なことに……佐伯さんをジトッ睨みつけるも、彼女は悪びれもせずにあからさまに私から視線を逸らしてそっぽを向いた。
こっちは場の空気を悪くしないように気を使っているというのに、覚えていなさいよ。今度、ラーメン奢らせてやるんだから。
「俺もラーメン好きでよく食べに行くんだけど、打木ちゃんはどんなお店に行くの?
「あ、はい、ええ、そうですね」
そう言えば、最初の頃は行きやすかったチェーン店に何度か行ったけれども、今はあまり行かなくなってしまったな。
何店舗も回っているはずなのに、ピオッターをやっていると行きたいお店ばかり増えていく悪循環。
チェーン店が悪いとかじゃなく、チェーン店に行っている暇がない。この沼は底なしだ。
「名駅西口からすぐのらーめん茶々って知ってる? 一度行ってみたいんだけどいつも滅茶苦茶並んでいて……」
ラーメン好きならみんなが知ってる有名店。わたしも一度行ったことがある。鶏ぱいたんらーめんが有名なお店だ。
麺は北海道の小麦粉を使った自家製平打ち麺で、乳白色のスープはエスプーマ仕立てのきめ細かい泡がクリーミーでとっても美味しかった。
「あそこは食べラントップクラスの有名店だから観光客とかも行くんですよ。駅から歩いてすぐなので。食事時になるといつも三十人以上並んでいますね」
早川さんが大きく目を丸めてブハッと吹き出した。
「三十人!? うわぁ、それは流石に無理だわ~! よくそんな暇あるな~!」
カーンッ!!
私の心のゴングが高らかに鳴った。
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