第八章 鶏清湯
第37話 ちょっとお高い焼き鳥屋
あれから四日、ちっともモヤモヤが消えなかった。
家にいても、仕事をしていても、ラーメンを食べていても。
何をやっていてもふとした拍子に泉くんのことや師範さんのことが頭をよぎって、仕事に手がつかずミスばかりしてしまった。そのせいで残業になり、またおでこの広い上司にニコニコされながらくどくどと嫌味を言われた。
そんな私を心配してくれたのか「明日は休みだし、美味しい物を食べに行こうよ」と会社帰りに佐伯さんに誘われて、連れてこられたちょっとお高い焼き鳥屋。
黒を基調とした木造の薄暗い店内は、テーブルやカウンターの各席以外は間接照明といった明かりの使い方でとてもムーディな雰囲気だった。それでいて落ち着いた雰囲気になりすぎないようにうるさくない程度の音量でJ-POPが流れていた。
佐伯さんをはじめ同僚達と一緒に終業後に飲みに行くなんて本当に久しぶりだから、気分転換にちょうどいいやと楽しみにしていた。
件の焼き鳥屋に入るまでは。
「ほら、打木ちゃん、ちゃんと食べてる? あ、ごめんなさい、もう空になってたね。すいませーん、こっち注文お願いしまーす!」
佐伯さんが半立ちでテーブルに身を乗り出し、せっせとみんなに料理を配ったり、飲み物が行き渡っているか目を光らせる。ランチでもみんなと一緒に出かけるといつもこんな感じだけれども、それも今はあざとく見えてしまう。
「佐伯さんってしっかりしてるねー」
「ホント、俺たちがやるから佐伯さんも食べてよ」
八人がけの長テーブルの向かいに座った男性達が、佐伯さんを座らせ空いたお皿を片付けていく。
佐伯さんは小さく会釈して「ありがとう」と言うと、私の隣の席でグラスに半分残っていたウーロンハイをグイッと飲み干した。
「おー、佐伯さんってお酒強いんだねー」
男性陣から上がる歓声。お酒を飲んだだけでこれだけ盛り上がれるなんて羨ましい。きっと笑顔の絶えない毎日を送っているに違いない。
私はテーブルの隅っこの席で、目の前の小皿に乗った鶏レバー塩を串から全部抜いて、ひとつだけを箸で摘まんで口に放り込む。
トロッとしているのにアツアツで、とっても美味しい。流石、ちょっとお高い焼き鳥屋。純粋に料理を楽しめたら最高だったのにな。
「ほら、打木さんもどんどん飲んじゃって!」
「はあ……どうも……」
私は美味しい物を食べるために佐伯さんについてきたのであって、まるでラテンの血でも入っているかのようなウェーイで陽気でハッピーな殿方のお相手をしにきたわけではない。そんなノリにつき合っていたら、折角こんなにも美味しい焼き鳥なのに冷めて固くなってしまう。
まったく、こんなことになるなんて……
佐伯さんが私の視線に気づいて小首を傾げてニコッと笑う。
「何かな?」
「いいえ、別に」
「そんな顔しないでよ。悪かったとは思っているから。急に面子を集めてってお願いされちゃって。言ったら打木ちゃん、来なかったでしょ?」
「うん、絶対!」
私史上飛びっきりの笑顔を見せてやった。
佐伯さんは口をへの字に歪めると、私から視線を逸らして小さく肩を竦める。
「佐伯さんは自分が人よりも社交的な性格だって理解した方がいいよ。他の人も自分と一緒だなんて思わないでよね」
「はい、ごめんなさい」
「人の気も知らないで……いつの間にか私のフォロワーさん達と仲よくなってるし、泉くんとふたりでラーメン食べに行くし。勝手に話題にされる私の身を考えてよね」
「えー、私は打木ちゃんのいないところで打木ちゃんの話なんてしないけど」
「したでしょ! 泉くんに、私がラーメンを食べ歩いていることとか!」
「そう言えばお祭りのときにそんなこと言ってたわね。あのときはオロオロしていた打木ちゃんが可愛くてサラッと流しちゃったけど、本当に私そんなこと言った覚えないのよねぇ……」
そう言うと、佐伯さんは近くを歩いていた女性店員さんを呼び止めて、空になったグラスを渡してお酒の追加注文をする。次のお酒もウーロンハイ。焼き鳥には甘くないお酒の方がいいんだって。
「ただ単に忘れてるだけなんじゃないの? もう結構前だから」
「結構前って……この間も、あっ……」
「はい?」
「あ、ウーロンハイこっちでーす!」
あからさまに話を逸らす佐伯さんをギロリと睨みつける。
「この間って、何? 佐伯さん、あれからも泉くんとラーメン食べに行ってるの?」
「まあまあ、打木ちゃんも飲んで!」
飲んでなんかいられますか! 焼き鳥は食べるけれども。
残った鶏レバーを食べきって、大皿に並んでいる鶏皮タレを二本空いたお皿にのせる。
「何回か泉くんのランチラーメンに勝手について行ってるだけだって。打木ちゃんのことは聞かれても何も言ってないから」
勝手にって……その行動力を見習いたい。私はずっと泉くんに会っていなかったのに。や、別に会いたいわけじゃないけれども。やっと会えたと思ったらアレだったし。
「でもおかげで泉くんからいいこと聞いたから!」
泉くんから聞けるいいことなんて、ラーメン情報以外にない。そのラーメン情報もろくに教えてくれないから、言ってしまえば彼からいいことなんて聞けっこない。
……佐伯さんには教えてくれたりしているのかな?
……あの、清水さんって女の子にも。
あ、またモヤモヤしてきた。
泉くんのことも、師範さんのことも、あれから何の進展もない。
泉くんには会えない――私から会いになんて行けないんだけれども。生産管理部の横を通ってなんて、絶対に無理だ。
あの子――清水さんって、泉くんの彼女なんだろうか? なんて考えがどこからともなく湧いてくるからピオッターに逃げたくとも、ピオッターはピオッターで師範さんのことがある。
いつもと変わりないやりとりで、みんなも師範さんも親切で、スプリングさんはあれから私に絡んでくることはないし。それなのに、だ。
彼は――僕って書いてあったら男性と仮定して、彼は私の心を暗闇に染めるくらいの爆弾を落としていった。
「……ちゃん?」
まだお会いできていない営業中師範さん。
私は彼に会えたときに、気持ちよく普通に話せるだろうか?
「打木ちゃん、聞いてる?」
「ん!? あ、ご、ごめん。ちょっと考えごとしていて」
「もー、折角私が泉くんのことを聞き出してきたのにっ!」
ハラリと肩に流れた髪を耳にかけ、佐伯さん赤くなった頬をプクッと膨らませる。
可愛いのに色気があるってどういう理屈? 何度も言う。神様は不公平だ。
「はいはい、で泉くんが何だって?」
「前に泉くんと一緒にいた女の子いたでしょ? あの子って……」
その言葉に、私の胸がキュッと締めつけられた。
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