第36話 セクハラ野郎

 一瞬、フラッと視界が揺れた。

 生まれてこの方、自分の目をここまで疑ったことはない。何度も目を擦り、二度、三度とディスプレイを見直した。目を皿にして。あまつさえ、自分の頬をつねってもみた。

 それでも表示された文章に変化はなかった。

「ちょ、えっと……何、このDM? 何かのいたずら?」

 ベッドに寄りかかりお酒を飲みながら緩くラーメンレポをアップしていたのに、抱えていたクッションをベッドに避けてこたつの前で正座する。

『昨年、ラーメン仲間のオフ会で飲みに行ったのですが、その時にイヤがる女子の体をまさぐっている営業中師範を見ました。そのせいで、その女子はしばらくラーメンを食べに行けなくなってしまいました。たとえ酔っていたとしても絶対に許せません。あの男は女子の敵です』

 胸がバクバクともの凄い勢いで鼓動する。痛いくらいに。

 そのせいで、息が苦しい。ゆっくりと深呼吸しようとしているのに、いつもの倍の早さで転がる心臓がそれを許さない。

 営業中師範さんが――セクハラ?

 そんなの嘘、だよね、きっと。初めて聞いたし。

 今までピオッターでみんなとコメントのやり取りをして、たくさんよくしてもらって、師範さんだってコメントの輪にいることだって何度もあった。師範さんを含め、みんな仲がよさそうだった。だって、サブさんも言っていたし。

 それに、ホッケーさんやミカン姐さん、会長さんだって女性だ。セクハラするような人と仲よくするとは思えない。

 師範さんのピオッターを見ていてもラーメンに関するピオやコメントばかりだし、女性におかしな態度を取っている感じはミリもない。隠れてこっそりDMしていたとしても、東海地方のラーメンアカウントでそこそこ顔の知れた人だ。人の口に戸は立てられっこない。

 スプリングさんが見たという女性が、たとえばどのような状況でどのようなことをされたのか私にはわからない。それに、それが本当なのかどうかだってわからない。

 彼――彼女? の言葉だけを鵜呑みにするのはネットリテラシーが低すぎるというもの。そもそも今までピオッターを見てきたけれどもそんなソースはひとつも見かけなかった。

 かと言って、スプリングさんが私に嘘をつく理由はないし……本当にただの老婆心かもしれない。ただ、理由が今ひとつハッキリしない。

 でももしかして、スプリングさんが泉くんだった、としたら?

 私のことを心配、して? ううん、そんな話をしたことは一度もないし、たとえピオッターをやっていたとしても、フラワーが私だなんてわかるはずがない。

 それより何より、一番重要なのは私が、だ。

 私は師範さんがセクハラをしたなんて信じられない。信じたくない。いつだって、とっても親切にしてくれた師範さんのことを信じたい。スプリングさんがたとえ泉くんであったとしても、だ。

 どちらにしろ、スプリングさんはこの東海地方で何年も前からラー活する古参だ。

 その意図がわからないまま私からシャットアウトしても新参者として角が立つ。

 ここは私だけの判断で、丁寧に、慎重に、穏便に。

『その女性が大変な目にあわれたのは心中お察しします。しかし、なぜ私にその事を?』

 きっと、この場でセクハラの真偽を確認することはできない。確認するということは、頭からスプリングさんを疑ってかかっていることになる。まずは相手側の主張を理解した体で話さないと。

『フラワーさんがあの男に酷いことをされないように忠告をしておこうと思って。あの男に関わるとろくなことがありません。詳しくは言えませんが、その女子はあの男のせいで心に傷を負ったんです』

 私のことを心配している? いや、でもやっぱりどうも腑に落ちない。

『ご心配ありがとうございます。私はその女性のことをこの場で根掘り葉掘り聞くつもりはありません。そのような酷いことをされたのでしたら、警察に行ってみたらどうでしょうか?』

 私にDMなんかをする前に。それは書かなかった。

 私もその女性を心配している風に対応しないと。

 お酒を飲みに行った先で無理矢理男性に体を触られたならば、それはセクハラではなくもう痴漢だ。犯罪だ。

 たとえば師範さんが女性の敵だと言うのならば、日本の行政機関にそれ相応の対応をしてもらえばいい。こんな所で私個人の心配している場合ではない。野放しにしておく方が間違っている。

『もちろんそのつもりです。僕はフラワーさんの味方です! 女子の敵を許すつもりはありません! フラワーさんだってそう思いますよね?』

 DMを読みながら、酎ハイを一気に飲み干す。

 お酒が終わってしまった。まだ早いからコンビニに買いにいこうかな?

 この辺りになると、流石に私も落ち着いてきた。最初にスプリングさんのDMを見た時はかなり狼狽えたけれども、よくよく読み返すと信憑性はほぼほぼない。

 泉くんでもない、と思う。きっと。

 スプリングさんはと言った。

 それはもう痴漢行為と変わらず、それなのに警察に行かないまま六月まで何をしていたんだろう?

 どんな考えがあって私にDMを送ってきたのか真相はわからないけれども、そんなことは当人同士で解決させればいい。もしスプリングさんが泉くんなら、きっともうそんな話は終わっているはず。

 それに、師範さんが女性に対してそんなことなんてやらないと信じているからこそだ。

『私は師範さんとまだお会いしたことはありません』

 どんな人なのか会ってみたいけれども。

『お会いしましょうなんて話になったこともありません』

 先日のラーメン小路やてんやわん屋とかですれ違っている可能性がとっても高いけれども、彼は自分から名乗り出るようなことはなかった。それはもしかしたら、私が女性だとわかっていたら違う態度だったのかもしれないけれども。

 そもそも私は自分の性別とか自撮りとかをピオッターに上げたことはない。だからリアルでお会いしたフォロワーさん達に「フラワーさんって女性だったんだ」って驚かれたんだ。師範さんだって私が女だって知らない。

『私は師範さんと関わることをヤメるつもりは今の所ありません。それがスプリングさんのお気に障るのでしたら、私をブロックしてもらっても結構です』

 インターネットはとっても便利だけれども怖い所だ。そこに何が起ころうとも、最終的判断は自分だ。

 私が誰と仲よくするかは誰かに言われて決めることじゃない。私が決める。

 何だかやりきった感でいっぱいだ。お酒を飲みたいところだけれどももうないし。

 ……やっぱり買に行こう。

 と、立ち上がろうとした矢先に、再びDMが送られてきた。

『ブロックなんてそんな……ただ僕の言っていることは本当なので、あの男に関わるのはヤメた方がいいという考えは変わりません。突然変なことを言ってすみませんでした』

 それ以降、スプリングさんからDMが送られてくることはなかった。

 師範さんが女性にセクハラしたと言うのが本当ならば、彼と関わっている私のピオなど見たくはないんじゃないだろうか?

 私は本当にブロックしてもらっても構わないつもりで返信したのに。

 スプリングさんの行動には一貫性がない。かと言って、内容が内容なので、仲よくしてくれているフォロワーさんに聞くに聞けないし……

 私と師範さんのやり取りを見てスプリングさんに気分を悪くされてもイヤだから、フォロー解除してお互いのフォローを外しておこう。

 それでフォロワーのみんなにバッタリしたときにでも、それとなくスプリングさんってどんな人なのか聞いてみよう。

 本日のラーメン――

 台湾ラーメン塩……九百五十円。ワンタントッピング……二百円。

 八丁味噌らーめん……八百五十円。味玉トッピング……百五十円。

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