第35話 DM
たくさんの感情がグルグルと頭を巡っていた。
美味しいラーメンを食べたけれども、今ひとつスッキリしなかった。
アパートに着いてすぐラフな部屋着に着替えたあと、冷蔵庫に一本だけ残っていたグレープフルーツの缶酎ハイをテーブルに置いて、ベッドに寄りかかりこたつ布団に足を入れる。
そのまま体を捻って無造作にベッドに転がったピンク色のモフモフクッションを胸に引き寄せて、ノートパソコンを立ち上げる。
ラーメンを連食したせいでお腹がいっぱいすぎてもう何も食べられない。けれども、お酒とデザートは別腹だ。帰りにアイスを買ってくればよかった。
タブを引き起こすと、カシュッと気持ちのいい音が鳴る。
酎ハイをひとくち、キーボードの上で指をリズミカルに踊らせる。
いつまでもモヤモヤしていてもしょうがない。やることはやっておかないと。
今日はラーメンを二杯食べたから、記録とレポートも二杯分。
読んだ本を記録するブックメーターのラーメン版――エブリラーメンに、今日撮影したラーメンの画像と詳細情報を打ち込んでいく。
このアプリは撮影した画像の日時が自動的に記録に反映される優れもの。店名やメニュー名、金額、あとは簡単な感想を入力してサーバーに転送すれば記録完了。
月ごとに小さいアイコンで食べたラーメンを順番に見られるから、あとで自分がいつどんなラーメンを食べたのかを探す時なんかに便利だ。
さらにこのアプリは記録だけではなく、簡単なコミュニティサイト――SNSとしても扱われている上に、表示メニューで活動範囲まで設定できるから、同じ地域でラー活しているユーザーさんをフォローをしてコミュニケーションも可能だ。
はい、あとは更新ボタンをクリックすれば……OK!
私がエブリラーメンに今日食べたラーメンをアップするとすぐに、イイねの通知が赤く点灯する。見ると、ロンリー眼鏡さんだった。
彼は、エブリラーメンの投稿もピオッターでのピオも、かなり早いレスポンスでイイねをくれる。それが平日の昼間だろうが夜中だろうが。格好はちょっとお堅いサラリーマン風だったけれども、ちゃんと働いているのだろうか? フォロワーさんのプライベートは謎だ。
取りあえずエブリラーメンの記録はできたから、次はピオッターでレポを呟く。
ピオッターは記録と言うよりもあくまで自己満足の世界だ。
自分が楽しいから、好きだから、全世界に向けて呟いているだけ。
この『呟いている』は揺るがない。フォロワーさんがレスをくれたりするけれども、基本スタイルは会話ではない。
自分が食べたラーメンのレポートを上げても、それはラーメンが好きな人にしか刺さらないかもしれない。でも、それでいい。それでいいんだ。
自分の書いたレポートにイイねがつこうがつくまいが関係ない。自分はこんなに美味しいラーメンを食べたんだよ、と世界中に発信しているだけだ。
そこに人が集まりコミュニティが生まれる。フォロワーさん達は、まさにコミュニティの結晶だ。ただひとつだけ難点なのは、ピオッターが推奨するのは今であって過去ではないということ。
エブリラーメンのように過去のレポートを見直そうと思うとスクロールで過去のピオをずっと遡っていかなきゃいけない。まだピオッターを始めて一ヶ月程度の私ですらそんなことをするのは億劫なのに、何ヶ月も何年もラーメンレポートを呟いている人はちょっとやそっとで調べられるものではない。
現に、会長さんとか師範さんとか、他のフォロワーさんの過去のピオを見たけれども、せいぜい三ヶ月くらい遡るのが関の山だった。
頑張ればやれないこともないけれども、かなり大変。誤って変なところをクリックして最初からやり直すハメになったことだって何度もある。
ゴーグルでピオッターのコマンドを検索すればもっといいやり方が見つかるのかもしれないけれども、今は増えてきたフォロワーさん達のリアルタイムを追うのが精いっぱいで、過去のピオまで手が回らない。
自分のラーメンレポートもあるし、行ったことのないラーメン屋も調べたいし。
「えっと……本日のラーメンはてんやわん屋さんの台湾ラーメンしおで、トッピングはワンタン二個……澄んだしおスープにツルツルの細麺がとっても合っていて……台湾ミンチに負けないワンタンの旨味が口いっぱいに広がり……美味しかったです、ごちそうさまでした、っと」
ターンッとエンターキーを指先で叩いたあと、カーソルをピオのボタンに合わせてクリックすればレポートのアップ完了。続けて二杯目のラーメンのレポートも呟く。
ここまでが私のラー活だ。
するとすぐに、ピオッター画面の左側、メニュー欄にあるベルのマークが赤く点滅する。レポートをアップしてものの一分でイイねをくれるなんて……きっと、またロンリー眼鏡さんに違いない。
マウスのカーソルをベルに合わせてクリックすると、それはイイねではなくダイレクトメッセージ――DMの通知だった。
送ってきたのは……レポを書き上げ少し落ち着いた気持ちが、またグシャグシャにかき乱される。
それは、最近私をフォローしてくれたスプリングさんからのDMだった。
『先日はフォロバ、ありがとうございました。フラワーさんはいつもたくさんのラーメンを食べられていてとても羨ましいです』
丁寧な挨拶だ。けれども、これが初の絡み。
相互フォローではあるけれども、タイムライン上でコメントのやり取りすらしたことがないのに。
ピオッターをやっていると、なんの意味があってフォローしてくるのかわからないおかしなアカウントやランダムにフォローしてくるアダルト誘導タイプのアカウントが多いから、フォローされるとまずは相手のプロフィールを確認する。
スプリングさんはかなり前から活動していて、いくつものラー活レポの中にてんやわん屋の画像がたくさんあった。私よりもずっとラーメンを食べてきた人だ。
もしかしたら泉くんなんじゃないかって疑っているくらいだから、かなりのラーメン好きのアカウントで、おかしなアカウントではない、と思う。
怪しいアカウントのほとんどはまだ登録が新しく、いつピオッターからアカウント削除――所謂アカBANされても構わないような捨てアカウントがほとんどだから。
でもだからこそ、何でわざわざ私にDMなんて?
……まさか新手のナンパ、とかじゃないよね?
『フラワーさんは営業中師範とよくコメントのやり取りをしているみたいですね』
してますね。師範さんだけではないですけれども。会長さんとか、サブさんとか、ロンリーさんも。みんな師範さんと仲がいいから、私もよくしてもらっています。
『けど、あの男には注意してください!』
「はぁ?」
思わず変な声が出てしまった。誰もいないからいいんだけど。
あまりにも唐突であまりにも意味不明なDMに、一旦マウスのホイールボタンから手を離し、少し水滴で濡れた酎ハイの缶を口に運ぶ。
二度三度と大きく喉を鳴らし、ハーッと勢いよく息を吐き出す。
注意をする、とは? 出し抜けに、師範さんを名指しでディスってるの!? 何で!?
他の掲示板やSNSもそうだけれどもピオッター界隈でも、ピオやレスでいざこざが起きることはままある。
相手を怒らるような酷いことを書いたり、頭ごなしに否定したり、失礼な物言いをしたり。けれども、師範さんがそのようなピオやレスを書いているところなんて見たことがない。それどころか逆に、彼はいつもとっても丁寧で親切だ。注意することなんてこれっぽっちもない。
私が一息ついてスプリングさんからのメッセージを反芻している間にも、次のDMが送られてきた。
『営業中師範はセクハラ野郎です!』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます