第34話 大きな目の可愛い女の子
「いず……」
泉くんに声をかけようとした大将に向かって、小さく首を振りながら口の前で人差し指を立てる。その意図が伝わったのか、大将がすぐに言葉を飲み込んだ。
チラッとしか見なかったけれども、泉くんは休日のオフな格好ではなく通勤用の相変わらずのラフな格好だった。
私と同じで会社帰りにてんやわん屋に来たんだろう。
女の子の方はゆったりとしたフレアのロングスカートに白地のシャツを合わせたシック系コーデ。前に見た時とはまた違った可愛さだった。
昔からクラスにひとりはいた。こういう子が。オシャレで、自分の可愛さをわかっていて、自信に満ちあふれた子が。
私みたいな女子は、そういった高いところでキラキラと輝く子の影で目立たずひっそりと生活してきたものだ。
ここで会ったが百年目。あんなことやこんなこと、泉くんには色々と聞きたいことが山ほどあったんだ。てんやわん屋でバッタリなんてどれほどラッキーか。
……あの女の子さえいなければ。
むしろ今は、見つかりたくない。正面切って、笑って話しかけられる自信がない。
だって私は泉くんに、てんやわん屋に誘われてない。誘われていないんだ。
てんやわん屋が好きだという話しか聞いていない。
お祭りのラーメン小路の話も聞いていない。
大将から私をお店に連れておいでと言われたはずなのに。
そもそも泉くんと話したのは佐々樹で一緒にラーメンを食べた時が最後だ。
私は誘ってくれなかったのに、その女の子は誘うんだ。
やっぱり泉くんが嬉しそうに話していたのは私じゃなくて、この子のことなんだよ。
「ねえ、泉くんっ! 泉くんのオススメは何かな?」
泉くんに話しかける、鼻にかかる甘ったるい声が聞こえてくる。私はふたりを背に、白い陶器製のコップに入った水をグイッと飲み干した。
「てんやわん屋にオススメじゃないメニューなんてないけど?」
「そうだけどぉ~……じゃあ、泉くんの好きなメニューは?」
「全部。白々しいな清水は。てんやわん屋は何度も来てるよね?」
「もちろんっ! 泉くんと一緒に、ねっ!」
……もういいや、帰ろう。
ラーメンを食べ終わったのに長居したら大将に迷惑だ。
六時もすぎればお客さんだって増えてくる。なにより、ふたりの会話にこっそりと聞き耳を立てているなんて失礼だ。泉くんに聞きたいことがあるのなら、堂々と胸を張って聞けばいい。それなのに、私は何をやっているんだろう? 何で泉くんに声をかけようとしていた大将に黙っていてもらったんだろう? 自分でも自分のことがよくわからない。
一度、大きく深呼吸をして、カウンタに手をつき席を立つ。
「ごちそうさまでした。とっても美味しかったです」
カウンターのすぐ向こう側にいる大将にしか聞き取れないくらいの小さな声で挨拶をすると、私はふたりから顔を逸らしたままダラス戸の取っ手に手をかけ……
「小麦さんっ!」
心臓が大きく跳ねた。ヒュッと吸い込んだ息が一瞬止まった。
取っ手に手をかけたまま固まっていた私は、ギギギとまるでブリキの人形がそんな音を立てて動くように、ぎこちなく泉くん達の方へ体を向けた。
「お、お久しぶりですね、泉くん。それじゃあ、私はお先に……」
体は泉くんの方へ向けてはいたけれども視線は外したまま店から出る。
何だか無愛想っぽく見られてしまったかもしれないけれども、ラーメン屋でのすれ違いなんてこんなものだ。
順番になったお客さんは店員さんの案内に従って席に着く。ラーメンを食べた人は他のお客さんに迷惑にならないようになるべく早くに席を空ける。
いくらラーメン屋でバッタリしても、店内で雑談するような流れにはならない。
外待ちでも、前に佐々樹で泉くんに会った時のようにすぐうしろだったから色々話せただけで、並びが開いていたら話なんてしようがない。
記帳制のお店ならばゆっくり話すタイミングはあるけれども、だからと言ってそもそもそんなに都合よくバッタリするとは限らない。
ラーメン屋で仲のいい人と話しながらラーメンを食べたいのなら、一緒に行くのが一番だ。今日の泉くんと清水と呼ばれていた女の子のように。そう言えば、泉くんの話し方もいつもと違ったな。女の子の名字を呼び捨てだったし。
お店を飛び出してすぐ、玄関ルーフの下で立ち止まり二度三度と深呼吸を繰り返す。
胸のモヤモヤが修まらない。色々な感情が頭の中をグルグルと回っている。
ビックリした。顔を合わせないように気をつけていたのにまさか見つかるなんて。
あの女の子は泉くんの何なんだろう? この間の朝の様子や、今日の会話を聞いた限りでは、よく一緒に行動しているみたいだけれども。やっぱり泉くんの彼女なんだろうか?
……私のこの気持ちはなんだろう?
ヤキモ――いや、違う。悔しい、んだきっと。そうだ。
私に彼氏がいないのに、ラオタの泉くんに彼女がいるなんてそんなのおかしい。世の中間違っている。
これはきっとあれだ。夢だ。あの子は泉くんの彼女なんかじゃなくて、たとえば妹とか――名字が違ったじゃないか。そうだ、従妹だよ多分、おそらく、きっと。
「小麦さん、どうしたんですか?」
さっきよりももの凄い勢いで跳ねる心臓。口から飛び出るかと思った。
帰る私を店から出てまで呼び止めて……振り返るとそこには、泉くんに寄り添うようにあの女の子も一緒だった。
泉くんの服の裾をつまんで、少女マンガのような大きな目で、私を訝しげな感じで見ていた。
「ど、どうもしないよ。美味しいラーメンを食べて帰るところ。そこにたまたま泉くんが来た。それだけだよ」
それだけ。それ以上でも、以下でもない。
私と泉くんは同じ会社の社員と言うだけで、友達でもなければ特別仲がいいわけでもない。ラーメン好きは一緒かもしれないけれども、ピオッターのフォロワーさん達のように親しくしてくれるわけでもない。
「ほら、清水も挨拶しておけよ。小麦さんは会社の先輩なんだから。あ、こいつは同期の清水って言います。こいつもラーメンが好きで……」
泉くんの斜め後ろでピタリと寄り添い大きな目をキョロリと動かしペコリと小さく頭を下げる彼女。視線に心なしか敵意が見えるのは気のせいだろうか?
「生産管理部の清水ですぅ。泉くんにはいっつもとってもお世話になっています。よろしくお願いします、フ……打木先輩っ!」
タカミヤ印刷の社員だったんだその子。だから朝一緒だったのか……だから?
途中でたまたま会って一緒に出社したのか、最初から一緒に出社したのか、そこには天と地ほどの差があるから、だからで一括りにするのはおかしい気もするけれども。
生産管理課なら、印刷課の隣だし、仕事も毎日一緒にやっているみたいなものだ。
こんなに可愛い子が同じ職場にいるなんて、男だったら仕事に行くのもきっと楽しいだろう。普通の男の子なら。
「泉くんたちはこれからでしょ? ほら、お客さんが来て順番遅くなっちゃうよ」
早く行きなよと、ヒラリと片手を振る。
折角美味しいラーメンを食べて気持ちよく一日を締められると思ったのに、イヤな気持ちになりたくない。
……イヤな、気持ち? 何、で? 泉くんとてんやわん屋で会ったくらいで?
「あ、はい、じゃあまた会社で!」
泉くんの言葉は残酷だ。清水さんと違って私が泉くんと会社で会うことなんて月に一、二度あるかないかなのに。
今ならまだどこかのラーメン屋で今日みたいにバッタリする確率の方が高い気がする。でも……会社でもラーメン屋でも清水さんには会いたくないな。何だかんだ私、彼女に好かれていないみたいだし。見てよ、あの、親の敵でも見るような目を。やっぱり私の気のせいとは思えないのだけれども。
ほら、ほらほらほらっ!
お店に戻る泉くんのうしろで彼の目を盗んであかんべーだなんてまるで子供だ。
彼女に恨まれる覚えはこれっぽっちもないんだけれども。いいや、もう。君子危うきに近寄らず、だ。
別にどこかのお店で会っても話しかけたりしなければいいだけなんだから。
あー、なんだかモヤモヤがおさまらないから、もう一杯どこかでラーメンを食べようっと!
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