第六章 鰹出汁のかめびし醤油つけ麺

第27話 10Ya1Ya

 六月最初の土曜日。

 ラーメン小路からの一週間がとんでもなく長く感じた。

 印刷業界では珍しい週休二日で、今日は会社が休みなのに五時半に起きて支度をする。

 顔を洗って軽くメイクをして髪のセットは――ヘルメットを被るからおかしくない程度に。

 別にデートに行くってわけでもないから、必要以上にビッキビキにキメる必要はない。デートなんて久しくしていないけれども。

 移動はスクーターだから服装はラフにお洒落に。スキニーのデニムパンツに白地のプリントTシャツ、上着は……パッと目についたマットブラックのパーカージャケットを羽織って準備万端。

 ドリップコーヒーを淹れて少しダラダラしながらピオッターを確認。モーニングコーヒーを飲み干しふぅと一息、部屋を飛び出す。

 時間は六時四十五分。通勤で家を出る時間とそれほど変わらない。

 いつもならスクーターで駅に向かう所、今日は国道十九号に出て目指す先は、春日井駅近くにあるてんやわん屋。初めての朝ラー。

 今週土日――要するに今日と明日の朝八時から十一時限定のメニューは、鰹出汁のかめびし醤油つけ麺。

 ピオッターをはじめインターネット内のラーメン界隈では、つけ麺はラーメンのカテゴリに含まれるのかどうか、よく論争になっている。けれども、私にとってはどうでもいいことだ。美味しければ。

 でも実は私、つけ麺は初体験。

 何軒ものラーメン屋へ足を運んでいれば、メニューにつけ麺を見ることもままあった。けれども、そもそもつけ麺って美味しいの? そばやそうめんのようなものじゃないの? そう考えると、ラーメンを食べに行ったのに、わざわざつけ麺を食べようって考えがまるで浮かばなかった。だから、未だ食べられていない。私はラーメンを食べに行っているのだから。

 それなのに今日は生まれて初めてのつけ麺を食べに行く。ピオッターのてんやわん屋公式ピオで発表された朝ラーメニューがつけ麺だったから。

 念願の生まれて初めての朝ラーで、生まれて初めてのつけ麺。楽しみがすぎる。

 土曜日朝の十九号は車が少なかった。だからこそ、スピードを出す車がいるから、私は左車線のさらに左寄りをゆっくりと走る。それほど急がなくても早めに家を出たからてんやわん屋まで四十五分もかからない、と思う。多分。ゴーグルマップで調べたから大丈夫。

 てんやわん屋の朝営業のオープンは八時からだから充分間に合う。なんて、心弾ませスクーターで国道一直線、てんやわん屋に到着したのが七時二十分。信号のタイミングがよかったから予定よりも早くに着いた。着いたのに、愕然とした。ちょっと早く来すぎちゃったかな? なんて、完全にナメていた。

 てんやわん屋のお店の周りにある八台分停められる駐車場がもういっぱいだった。

 ビックリした。まだオープン三十分以上前で、しかも世間はお休みが多い土曜日に、朝っぱらこんなにもラーメン屋に人が集まっているなんて。ここにいる私は人のことは言えないけれども。

 愛知はもともと喫茶店のモーニングが有名だ。でも、まさか朝からラーメン屋に行くことになろうとは思いもしなかった。

 愛知のラーメン屋をゴーグルを調べると、朝ラー営業をやっているお店は数えるほどしかない。その中でもてんやわん屋は毎週土日のみの朝ラー営業で、しかもその日だけの限定メニューがあるから、ピオッターのラーメンアカウント界隈では人気だった。

 ヤーブスさんの話だと私がフォローしている何人もが足繁く通ってるとか。楽しみ!

 私はスクーターを車の邪魔にならない駐車場の隅に停める。辺りには車があるのに人の気配はない。お店の前にも並びはない。

 ラーメン屋の順番待ちにはそのお店独自のルール――と言うか方法がある。

 最もオーソドックスなのがお店の前に並ぶこと。他にも店前に置かれた記名シートに記帳するファミリーレストランなんかで見られる方法や、開店数時間前に整理券を配布するお店もある。でも、結局記帳も整理券もその開始時間前には並ばないといけないから、という方法で言ったら同じではあるのだけれども。

 てんやわん屋はその中でもまた特殊で、と言う機械で順番を取得するらしい。そうピオッターで教えてもらった。だから、ちゃんとネットで使い方を予習してきた。

 ラーメンを食べ歩くようになって知ったけれども、チェーン店よりも個人店の方が遥かに多いラーメン屋は、お店独自のルールが多すぎる。並び方だったり、食券の買い方だったり。

 なので、前もってお店のことを調べておくのが今では当たり前になっていた。

 ラーメンを食べ歩く前はそんなこと考えもしなかったけれども。

 そうじゃないと、行ったはいいけど食券すら買い方がわからないなんてことになりかねない。

 だから、初めてのお店はいつもドキドキする。

 梅雨は来るのかと疑いたくなるくらいの雲ひとつない気持ちのいい六月の青空。

 土曜日の朝早くの店前は、車通りも少なく辺りはとっても静かだった。

 お店のガラス扉にはウェイターで順番を取ることや、並び方、その他注意事項が書かれた二枚の紙が張られていた。個人店ではよく見るごくごく普通の光景だ。

 お店側の、元彼のようなルール違反をするお客に対する苦肉の策だ。それでも、守らないお客は後を絶たないみたいだけれども。

「おはようございます……」

 恐るおそるガラス扉を開けると、今流行りの男性バンド――ユビキタスの曲が店内から零れてきた。店の奥を見ると壁かけディスプレイにミュージックビデオが流れている。そんな中、『10Ya1Ya』とプリントされた黒い半袖Tシャツで頭にタオルを巻いたの中老の男性と、それよりも少し若く見える優しそうな女性、あと多分私よりも若い男の子がカウンターの奥を忙しそうに行ったり来たりしていた。

 あのタオルを巻いているシブめのおじ様がきっと大将だ。

 ……ああっ! 『10Ya1Ya』って、お店の名前じゃん! 今気づいた! そんなのどこかに書いてあったっけ……? あった、お店の看板デザインの中に小さく表記されていた。いいな、あのTシャツ。ほしい。

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