第18話 アサリの塩そば……じゃないの!?

 体中の空気を全部吐き出すくらいの大きなため息をついて、それでも案内されるまま泉くんが店員さんについていく。

 拒否はされなかった。でも、怒っちゃった、かな?

 私は首をすぼめて彼の後を追う。

 お店はカウンター五席と四人がけテーブルがふたつのこぢんまりした店内だった。

 古民家を改築したという内装は、二階まで吹き抜けで年代を感じるくすんだ大きな梁が店内の端から端まで架かっていた。

 泉くんと私は奥の四人がけのテーブル席で斜向かいに座る。

 泉くんは立ててあったメニューを私の前に差し出し、うしろの給水器の横にあったコップをふたつ取り私の分まで水を入れてくれた。

「あ、ありがとう」

 泉くんは口をへの字にして肩を竦める。

「いえいえ、どういたしまして。この店の特製盛りはチャーシュー増しと味玉、あと海老がのります。しゅうまいは大きめのが二個で、ご希望であればサービスで小ライスがついてきますよ。あ、大将、こんばんは!」

「おー、いらっしゃい!」

 忙しく動き回っている最中、カウンターの奥から顔をのぞかせた店員さん――大将が、泉くんを見て破顔するとサッと片手をあげた。泉くんもさっきまでのぶすっ面を笑顔に変えて大将に会釈する。

 思ったよりも泉くんは表情をコロコロ変える男の子だ。会社の泉くんしか見ていなかったから、なんてそもそも見かけていた程度で話をしたのもついこの間なんだけれども。そんなイメージがなかっただけに、色々エスコートしてくれる姿も意外だった。

 美味しいラーメン屋を聞けば断るくせに。そのイメージが強すぎて。

 ギャップ萌えを狙っているのだとしたらあざとすぎるし、これが天然だったらそれはそれで気をつけないとこっちがたらし込まれる。

「小麦さんはメニュー決まりました?」

「あ、うん。限定のアサリの塩そば。と、しゅうまいも食べようかな? ご飯つきで」

 泉くんが店員さんを呼んで注文をしてくれる。こういうことをサラッとできてしまう男の子って初めて会った。そもそも仲のいい男の子なんて思い出せないくらいいなかったけれども。少なくとも元彼は絶対に違う。

 きっと普段からこういうことができる子なんだろうな。

 パッとしない見てくれはともかく、泉くんみたいな子なら彼女がいてもおかしくはない、か。遠目でよく見えなかったけれども、今朝の女性は可愛い雰囲気だったし。お似合いなのかも。

 おまけにタカミヤ印刷のアイドル――あの佐伯さんとふたりでラーメンを食べたなんて。美人な佐伯さんを侍らしてラーメン屋へ向かう泉くん、か――何だろう? 何か嫌だ。胸がモヤッとする。

「美味しいラーメン屋は教えてくれないのに、お店では色々教えてくれるんだね。お昼は佐伯さんにも教えてあげたのかしら?」

 あからさますぎるほどの嫌みが自然と口をついて、自分でもビックリした。そんな私の言葉に、泉くんが面を食らったように目を瞬かせる。

「美味しいとか不味いとかって、どこまでもその人の好みですよね。前にSNSで薦めたら、美味しくなかった、嘘つきだと、一悶着あったことがあるので。僕は人の味覚にまで責任持てません。本当に申し訳ないですけど……すみません」

 少し困ったような顔で頭を下げる泉くん。

 なにをやっているんだ私は。美味しいラーメンを食べに来たのに自分から雰囲気をぶち壊さなくてもいいのに。

「ご、ごめんなさい、私ってば勝手にイライラして泉くんにひどい言い方を……」

「イライラ? 何でですか?」

 何で? そう言えば何でだろう?

 泉くんのキョトンとした顔が、まるで鏡に映った自分の顔に見えた。きっと私も泉くんと同じような顔をしているに違いない。

 原因はわかっている。けれども理由がわからない。

 泉くんと今朝一緒にいた女の子のことや、佐伯さんとふたりでお昼を食べたことが気になったとしても、私がイライラする必要なんてどこにもいのに。

「どこのラーメン屋が好きか、と聞かれれば答えられますけど」

 泉くんが腕を組み、考えを巡らせるようにキョロリと目玉を上に向ける。

「えっ、じゃあ、泉くんはどこのラーメン屋が好……」

「てんやわん屋ですね」

 そこは即答!? しかも被せぎみ!? どれだけ好きなのよ、そのラーメン屋。

「それってどこに……」

「お待たせいたしました。こちらがアサリの塩そばとしゅうまいに、ご飯の小です」

 頭にタオルを巻いた店員さんが私の前に白木のお盆をそっと置く。そして片目を細めて泉くんを見おろした。

「困るなぁ、そこは佐々樹のラーメンが好きって言ってくれなきゃ、ねぇ大将?」

 店員さんが厨房を振り返る。カウンターの向こう側から大将がしかめっ面をのぞかせる。

「も、もちろんそうですよねっ! 泉くんも、ねっ!」

 慌てる私とは裏腹に、泉くんは苦笑いを浮かべてて肩を竦めた。

「美味しいから食べに来ているんですよ」

 泉くんの言葉に大将は満足そうに頷くと厨房の奥へと姿を消した。

 店員さんも間が悪い。結局、泉くんに聞きそびれてしまった。でも……

 ふわっと香る魚介出汁のいいにおいで、口の中いっぱいに広がったツバをゴクリと飲む。

 透き通ったスープに綺麗に折り畳まれた細麺。その上には殻つきのアサリがゴロゴロと山になり、周りにわかめとメンマとネギが飾られている。

 二個のしゅうまいも大きくてとっても美味しそう。これは絶対にご飯が美味しいやつだ。

 急いでスマホをラーメンに向ける。パシャリパシャリとシャッター音を鳴らす。

 においで楽しみ、目で楽しみ、あとは……

 泉くんが言ったお店のことはあとで自分で調べればいいや。今は一刻も早く食べたい。

 泉くんがフッと微笑み「どうぞ」と目で促してくる。

 それじゃあ、お言葉に甘えまして……

 箸とレンゲを手に、スープを一掬い……その時、奥から大将が自ら泉くんのお盆を運んできた。泉くんも限定のアサリの塩そばを……スープを啜りながら少し首を伸ばして泉くんのどんぶりをのぞき込む。

「はい、美味しいラーメン、お待ちどう様! アサリと名古屋コーチンの醤油そば――大盛り、アサリ増しです」

「は!?」

 思わず出てしまった私の大きな声に、大将と泉くんが振り向く。「何事だ?」と言いたそうに眉をひそめる。

 琥珀色のスープに山盛りのアサリ。私のラーメンにのっているアサリの倍はある。

 さらに、魚介系の出汁とはまた違う深みのある醤油のいい香りが私の鼻先をふわりと撫でる。

「え、や、だって、泉くんも限定メニューを食べに来たんじゃないの?」

「限定は始まったその日に食べましたけど……」

 私に向けられたスマホに並んだ写真の中に、確かにアサリの塩そばの画像があった。さも当たり前のように。

 知らないよ、そんなの。それよりも何よりも……

「そ、そのラーメン、なに? そんなのメニューになかったけどっ!」

「ああ、賄いメニューなんですよ。塩そばと同じ料金で、注文時に言ってもらえれば変更できます。アサリ増しも注文時に声をかけてもらえれば特製盛りの料金で提供させていただいております」

 大将が目を細めてやわらかく笑った。

 賄いメニューなんて、それこそ知らないよ! どこにもそんなこと書いていないし、泉くんは肝心なことを教えてくれないし。

 ズルいっ!

 本日のラーメン――

 アサリの塩そば……九百八十円。

 しゅうまい二個(ご飯つき)……二百円。

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