第17話 その行動力を見習いたい

 泉くんが真っ直ぐ私を見てペコッと小さく頭をさげる。

 もしかして……と辺りを見回してホッと胸をなでおろした。

 どうやらひとりでここに来ているみたいだ。泉くんの前にいる人はスーツを着た男性ふたり組で、とても知り合いとは思えない。泉くんがふたり組に話しかける様子もないし、間違いない。よかった。

 ――よかった? よかったって何だ? 泉くんがひとりでラーメン屋に来てもふたりでラーメン屋に来ても私には関係ないじゃないか。

 ちょっと感情と言動と行動がちぐはぐだ。落ち着け、私。

 大きく息を吸って……吐いて……もう一回大きく吸って……よしっ!

 落ち着いてみると気づく。最後尾に並ぶ私のところにまで漂ってくる美味しそうなラーメンの香りに。お腹が減っている時に、このにおいは凶器だ。気を張っていないとお腹の虫が大暴れしそう。泉くんの前でそれだけは、避けたい。

 大通りから一本入った昔からの閑静な住宅街にひっそりと佇むラーメン屋――中華そば佐々樹。

 遠くから大型車のクラクションが聞こえてはくるものの、店前の道路を走る車はほとんどない。

 通りに小さな街灯はあるけれども、店前も雰囲気のある照明のみで決して派手さはない。

 泉くんはすぐにふっと背中を向ける。

 偶然会った場所がラーメン屋というだけで、別に悪いことをしているわけではないのだけれども、なんだか気まずい。ドキドキする。

 もし泉くんが今朝の女性と一緒だったら、今頃私は突然急用を思い出して帰っている。きっと何も喉を通らなくて帰宅後そのままベッドに倒れ込み、そのまま複雑な気持ちがグルグルと回って、思いっきりぶちまけたい気持ちを胸に押し込め悶々としながら眠るに違いない。

 ――なんだか、考えただけで沈んできた。私は初めて食べるラーメンにワクワクしながらここへ来たはずなのに。

「本当だったんですね」

「えっ?」

 私に背を向けたままの泉くんが何かを言った。突然でよく聞こえなかった。そもそも、こっちを向いていないから私に話しかけたんじゃなかったのかもしれない。でも、少しだけ体を斜めに振り返った泉くんは、私を伺うように黒目をキョロリと動かした。

「ごめん。今、何か言った?」

「いえ、本当にラーメンを食べ歩いているんだなって」

 くしゃっと顔を歪めて泉くんが笑う。

 それだよ、それ。いつもその顔をしていればいいのに。素材は上手に生かさないと。美味しいラーメンだって、きっとそうしている。

 地味で少しモサッとしているだけで可愛い顔をしているのに、本当にもったいない……地味でモサッとしている私が言うことじゃないけれども。

「えっと、誰からそのこと……」

 言いかけて、すぐに思い当たる人物の顔が脳裏を掠めた。掠めたどころの話じゃない。ドンッと脳裏に居座った。

「さ……」

「あ、ごめん。やっぱりいいや、誰だかわかったから。でも、いつの間に……」

 佐伯さんと青流にラーメンを食べに行ったのはつい昨日だ。

 金曜日に泉くんのあとをつけて――追いかけてラーメンを食べた話から土日に七軒のラーメン屋を回った話を、佐伯さんに話したのも。

 泉くんにそのことを告げ口できるのはどう考えても今日しかない。

 朝、女性と一緒に通勤していた泉くんの背中を見送ってから、一体いつそんな話をする機会があったのか。

 私たち企画課の社員が個人的に工場へ行くことなんて希だし、そもそも働いているオペレーターを捕まえて雑談なんでできるはずがない。邪魔をするなと怒られる。でも、そうでもしなければ泉くんと社内で話したりなんかできるはずない……そう言えば、ピオッターのことを話したかった今日に限って昼休みに佐伯さんの姿を見なかった。けれども、まさかのまさか、よね?

「昼休みにラーメン屋までついてこられました」

「行動力っ!」

「え?」

「あ、いや、うん、なんでもない。こっちの話」

「会社を出るところで捕まって、一緒にラーメンを食べに行きたいって。断ったんですけけれども無理矢理……」

 怖い。美人でスタイルがよくて仕事もできてやさしくて世話焼きで強引で誰よりも行動力があるなんて……そんな佐伯さんが怖い……怖いっ!

 どんな話をしたのか気になる。もの凄く気になる。泉くんに聞きたいけれども、聞きたくない。それこそ怖い。

 佐伯さんなら、泉くんが今朝連れていた女性のことも絶対に聞いている。断定だ。彼女の辞書には『臆する』とか『躊躇』いう文字はない。

「そんな子犬がくしゃみを我慢しているような顔をしなくても大丈夫ですよ。別に小麦さんの変な話はしていなかったので」

 どんな顔よ。

「逆に気になる言い方しないでよ。私の話はしたってことじゃない」

「ええ、まあ……あ、順番がきたので僕はこれで……」

 お店に入ろうとする泉くんのあとを追いかける。逃がしてなるものか!

 お店に入ると頭に真っ白なタオルを巻いたお兄さんが私たちの方へやってきた。

「お客様は、二名様ですか?」

「いえ、一名……」

「はい、そうです!」

 泉くんの斜め前にしゃしゃり出て、言いかけた彼の言葉にかぶせ気味に声を張る。

 佐伯さんと一緒にラーメンを食べたのなら、私とだって一緒に食べられるはず。

 私だって臆してなんていられない。躊躇なんてしない。

 ニヤリと口元を歪めて振り返ると、泉くんは眉間に深いシワが寄せていた。

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