第16話 フォロワーさんたちが行くお店

 企画課の仕事は日がな一日自分のパソコンの前にいることが多かった。

 タカミヤ印刷はお客様からの仕事を受けるだけではなく、ネット通販での自社製品の販売もしているため、企画課では商品の企画発案やサンプル作成から商品展開までを一手に行っている。他にも私が担当している、製品ごとに複数持っている会社のホームページの管理とか。なので、何十人もいる大きな部署ではないけれども、やることはそれなりにある。ボーッとしていると残業になるくらいは。

 そのため、私は今、残業をしている。

 奥の席ではおでこの面積が広がり始めた上司がニコニコしながら私をジッと見ている。そのマネキンのように固まった笑顔が逆に怖い。

 作業が遅かったわけでもないし、サボっていたわけでもない。ただ少し……ほんの少しだけ、考え事をしていて仕事が手につかなかっただけだ。たまにはそんな日もある。悪いのは私じゃない。ごめんなさい、自業自得です。

 終わった。やっと終わった。昨今の、残業がほとんどない会社で残って仕事をやるというのは、とにかく肩身が狭い。一昔前までは残業をやってなんぼだった印刷課ですら、残って仕事をするのは非効率の証拠だと上から盛大に叩かれるくらいなのに。

 データを保存してパソコンの電源を落とす。デスクに広がった書類を分別してファイリング。それを引き出しに入れ上司に頭をさげる。

「遅くなってすみませんでした。終わりました」

「打木さん、私もね、帰りを待っている家族がいるんですよ。急に帰る時間が遅くなるとそれに合わせて私の家族が、ね……わかりま……」

「気をつけまーす!」

 上司の言葉にかぶせ気味に頭をさげ、企画課室を飛び出る。

 今日は一日、朝からどうもスッキリしなかった。原因は間違いなく、通勤途中で見かけた泉くんなのだけれども。

 別にいいんだよ、泉くんに彼女がいたって。だから佐伯さんの頼みを袖にしたのかと思えば、なるほど確かに納得できるし。でもね、泉くんは見た目どうもパッとしないし、ファッションセンスがいいわけでもない。よく言えばシックにまとまっている、悪く言えば地味。目は大きいし睫毛も長いし鼻筋も通っていて素材はいいと思うんだよ。それをまるで生かせていない。もったいない。

 それより何より、だいたい泉くんはラオタだよ?

 三度の飯よりもラーメンが好きなんだよ? 三度の飯も何もラーメンがもう食事か。

 そうじゃなくて、彼女よりもラーメンを優先しちゃうような人だよ? きっと。多分。知らないけれども。

 そんなラオタの泉くんに彼女がいて、この私に彼氏がいないなんておかしくない? いや、別に彼氏がほしいとかそういうのじゃないんだけれども、どうにも腑に落ちなくて。

 ――八つ当たりだよ。わかっているよ。愚痴りたかったんだよ。ひとりで悶々としていないで。

 それなのに、いつもは真っ先に声をかけてくれる佐伯さんは昼休みにはどこかへ消えちゃうし、就業中は上司の目が光っているから軽い雑談くらいしかできないし。だから帰りにラーメン――ご飯でも食べながらと、佐伯さん達を誘おうと思っていたのに残業になってしまったし。

 今日は、何? 大凶? 仏滅? 三隣亡?

 今朝、地下鉄の駅を出るまでは楽しかったのに……結局誰にもピオッターを始めた話ができなかった。

 つい先日までラーメンが大嫌いだった私が、ついにラーメン食べ歩き専用アカウントを作りました! って、みんなを驚かせたかったのに。

 泉くんもビックリするかな? 先週の金曜日にラーメンを食べて、まさか私がこんなことになっているとは流石の泉くんも思うまい。

 あの時みたいに笑ってくれるかな? 会社では能面みたいだったけれども。

 ――って、気を抜けばどんなことでも泉くんに繋がってしまう無限ループ。ちゃんと話したのはラーメン嫌いの殻を破ったあの日だけなのに。お陰様で、今日の残業だ。

「あー、なんだかモヤモヤする!」

 薄明かりになったしんと静まりかえった廊下で、私の声だけがうわんうわんと響き渡る。

 そうだ、ラーメンを食べに行こう!

 胸につっかえる何かをなくすため。こんな時はそう、純粋にラーメンを味を楽しむためにひとりで行く方がいいんだ。彼女と彼氏と、ラーメンを食べに行くなんて邪道も邪道だ。そんなの元彼と同じじゃないか。

 そうと決まれば……そこからの私の動きは光の速さを軽く超えた。更衣室で制服から着替えて会社を出たあと、向かうは新アカウントを取得したついでにピオッターで見つけたラーメン屋。いつもは名駅で乗り換えるから駅構内から出ることはないのだけれども、駅の東口から出て国際センターの方まで歩いた所にある個人のラーメン屋まで一直線、約八百五十メートル。

 ラーメンアカウント――ラー垢の何人もがそのお店のラーメン画像をピオッターにあげていた。ラー垢の人達にとっての有名店。ってことは……

 間違いなく、美味しい!

 ありがとう、営業中師範さん! ありがとう、おばけ会長さん! ありがとう、ロンリー眼鏡さん! サンキュー、ヤーブス=アーカさん!

 他にもミカン姐さんとか神無月兄さん神無月弟さんとか、ホッケー駒スクさん、小隊長さん、狭間の黒猫さんetc……

 みんなピオッターでフォローしたらフォローバック――フォロバしてくれた人達。

 営業中師範さんが私の初めてのフォロワーさんで、その周りのラー垢さん達が師範に続いて次々と私をフォローしてくれた。

 アカウントを取ってすぐにこんなにフォロワーさんが増えるなんて思ってもみなかったからとっても嬉しかった。

 その中でもヤーブス=アーカさんはなんと、ラーメンが好きすぎで日本で永住権を取得したアメリカ人の女性らしい。実際に会ったことがないから、あくまでピオッターのプロフィールを信じれば、だけれども。

 みんなたくさんのラーメン画像をあげていて、プロフィールを見ていると本当に楽しい。もちろんこれから行くラーメン屋も、みんなが行ったことがあるお店だ。

 五月の限定麺――アサリの塩そばを食べに。

 私の狙いもそのメニューだ。

 今やラーメン屋はかなりのお店が独自の限定ラーメンを駆使してお客様獲得を目論んでいる。だから、限定メニューもその季節に合った食材を使ったラーメンが多い。

 今から食べに行くアサリの塩そばに使われているアサリだってしかりだ。

 店主さんが自ら三河湾で仕入れてきた自慢のアサリらしい。と、オバケ会長が呟いていた。オバケ会長は魚介系ラーメンが大好きなんだそうだ。逆にお肉は苦手みたいだけれども。

 季節のメニューをラーメンで食べられるなんてすごい。それも何軒――いや何十何百とあるラーメン屋でその季節にしか食べられないラーメンが出てくるんだ。

 今まで完全にラーメンをナメていた。嫌いだったというのもあるけれども。

 名駅から東に向かって歩いて十分くらい。地下鉄なら一駅で国際センターに着くのだけれども、地下鉄代がもったいないから歩いた。だって、一駅で二百十円もかかるんから。その地下鉄代はラーメンのトッピングに回した方がずっといい。

 なんてこと考えながら、まだまだ人が多い名駅前をスマホのナビを頼りに黙々と歩いてついに到着。

 和風で落ち着いた雰囲気のお店の前に七人並んでいる。

 私は最後尾と思われるキャップをかぶった男の人のうしろについた。

「すみません、ここが最後尾ですか?」

「あ、はい……!?」

 おもむろに振り返った男の人の目が丸く、大きくなる。私も思わず言葉を失った。だって……

「い、泉くん!?」

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