第15話 泉くんを探せ

 眠気眼の薄い顔にメリハリをつけて外出用の顔にモデルチェンジ。小綺麗かつ動きやすいラフな格好でアパートを出る。黒いスキニーのジーンズに大きめのライトグレーのパーカーは最近の私のお気に入り。

 時間に余裕を持って最寄りの駅までスクーターで十分。朝六時四十分の電車に乗って、名駅で乗り換え地下鉄で一本。会社までの道のりはそこそこ遠い。

 今までは半分寝ているか時間つぶしにモバイルゲームをやっていた通勤電車に揺られながら、私はずっとピオッターを見ていた。

 昨晩アカウントを新規で取り直してから、公式アカウントを持っている行ったことのあるラーメン屋、調べていて見かけたこの先行きたいラーメン屋、あとは主に東海地方でラーメンを食べ歩いている個人ユーザーのアカウントなどを見つけては片っ端からフォローして、電車を降りる頃には六十五にもなっていた。

 お店と個人ユーザーでだいたい半々くらい。今の時点でチェックしている三十三店舗の行きたいお店の内、そのほとんどがピオッターのアカウントを持っていた。

 こうやってピオッターを見ていると、なるほど確かにお店のアカウントは便利だ。

 突発限定メニューの告知や、臨時休業の連絡など、その日のお店の情報が随時上がっている。中には『スープ切れで現在お待ちのお客様で終了です』なんて連絡もあった。営業時間がまだ一時間も残っているのに、だ。

 昨日の臨時休業もかなりイタかったけれども、意気揚々と食べに向かってお店の前にこの貼り紙があったら膝から崩れ落ちる自信がある。目も当てられない。

 こんな情報はいくらゴーグルを調べても出てこない。タイムラインが充実しているピオッターだからこそだ。ただ何気ない日常を呟いて、それを見てもらえるとか嬉しいとか、寂しさを埋めるためにいつも友達と繋がりを持っていたいとか、ピオッターの使い道はそんなことだけじゃなかったんだと再認識。

 あと毎日のようにラーメンの画像をあげている個人アカウントも見ているととっても面白かった。

 自分の食べたラーメンをこと細かく紹介したり、点数をつけてみたり、みんな毎日のように画像をあげていた。本当に、毎日だ。一日三杯以上の画像をあげている人もいた。

 泉くんが年間四百杯食べると聞いて、そのときは凄いと思うよりもただただ呆れたけれども、この界隈では案外普通のことなのかもしれない。一日一杯で三百六十五杯だからね。

 調子に乗って食べすぎたって自覚はあるけれども、私だってここ四日間で十二杯食べているから。

 ……四日間で十二杯って、我ながらどうかしている。

 地下鉄を降りて改札を抜け、階段をリズミカルに駆け上がる。

 地下の白い蛍光灯から一変、柔らかな青い光が目に刺さる。眩しい。今日も、いい天気。

 時間は七時五十分。

 地下鉄の三番出口から出て真っ直ぐの横断歩道を渡って左に折れる。

 本格的な暑さが訪れる前の五月の風は、緑芽吹く優しい風。頬を撫でる心地よさに、思わず大きな欠伸をひとつ。風情もへったくれもない。

 定刻通りに就業時刻に間に合うため、五時二十分から五時半まで四回に分けてセットされた目覚ましは、毎回一分ごとのスヌーズ機能までフルに稼働させて今日もまた私の重い瞼をこじ開けてくれた。

 昨日は寝たのが一時すぎだったから……ピオッターでフォローしたお店や個人ユーザーの過去の呟きを見ていたらいつの間にかそんな時間になっていた。

 それだけの時間を使ってずっとピオッターを探したけれども、泉くんらしいアカウントは見つけられなかった。

 そもそも泉くんを探すこと自体がナンセンスと言うか。私が知っている泉くんのことと言えば、高校生の頃からのラーメン好きで、タカミヤ印刷の印刷オペレーターで……以上。たったそれだけ。年間四百杯ラーメンを食べていると言うのは佐伯さんから聞いただけで本人の言質を取っていないから現段階では不確定情報だ。

 よく行く喫茶店の男性店員さんのことの方が、私はよく知っている。

 先週美容院で髪を切ったとか、彼女さんとスパーランドへ遊びに行ったとか、高所恐怖症なのに彼女の手前いい格好をしたくて絶叫マシンを我慢して乗ったとか。お店に行くとよく話しかけてくれるから。

 私がピオッターで泉くんを見つけられる可能性は、ラーメンと言うキーワードで絞り込んだとしてもかなり低い。サハラ砂漠に落とした五円玉を見つけるくらい……それは言いすぎか。

 ラーメン専用アカウントの個人ユーザー――所謂ラオタ特有のラーメンレポートを辿れば何かしらヒットするかもと思って、先週の金曜日食べたラーメン屋を検索してみたけれども、時間的に金曜日の夜にその店でラーメンを食べたという書き込みは見つけられなかった。店名検索で引っかかった最新の呟きは土曜日に一件、日曜日に三件しかなかった。

 泉くんはピオッターをやっていないのかな?

 話したいな――それは、気になる人とか男女の関係的なやつとかじゃなくて、ただ純粋にラーメンの美味しさを教えてくれた恩人への感謝とかで……フフッ、感謝だって。

 泉くんは別に私のためにあのラーメン屋へ連れて行ってくれたわけでもないのに。彼はあくまで、自分の好きなラーメンを食べて私がラーメン嫌いになったのが悔しかっただけだ。感謝する必要なんてない。する必要なんてないのだけれども……

 たとえ同じ地域でラーメンを食べ歩いているとは言え、ピオッターでフォローした人たちは会ったこともない顔も知らない人たちだ。泉くんとは違う。

 彼は私の生活の中で唯一、誰よりもラーメンに詳しく誰よりもラーメンを食べているリアルなラオタだ。私のためではないけれども、間違いなく私をラーメンの沼に引きずり込んだのは泉くんだ。その責任を取ってもらわなきゃいけない。

「打木ちゃん、おはよう! どうしたの、ボーッとして」

 不意に後ろからの声に振り返ると、細身のカジュアルワンピースで決めた佐伯さんが立っていた。シックなチャコールの生地に、肩から提げた黒いバッグがとてもよく似合っている。そのセンスを半分くらい分けてほしい。

「ボーッとなんてしてないっ」

 失礼しちゃう。ちゃんと前を見て歩いていたでしょ……あ、泉くんっ!

 胸が大きく煽られる。痛みが走る。息が一瞬止まった。苦しい。鼓動がどんどん早くなる。

 泉くんがいた。先の横断歩道を越えたところ、十字路の角にある喫茶店の影から出てきて会社の方へ歩いて行く。女の人と一緒に。

 泉くんの斜め後ろをついてくパステル系ガーリーファッションの女性が弾むように歩くたび、ゆるいウエーブのかかった明るい髪がふわりと揺れる。

 だんだんと小さくなっていくふたりの姿に釘付けになる。足が、動かない。自分の呼吸の音がイヤにうるさい。声が出てこない。手が、小刻みに震えてくる。

 いや、いやいやいやいや、なんでこんなに動揺しているんだ、私は? あまりにも意外なものを見て気が動転してしまった。

 だってあの泉くんが、だ。タカミヤ印刷のアイドル佐伯さんの必殺ウインクを撥ね除けるどころか拒否した泉くんが、だ。始業前の朝っぱらから女の人と一緒にいるなんて。

 ま、まあ、泉くんだって成人男性だから、ラーメンしか興味がないとか、そんなこともあるまい。ラオタのくせに……なんだかちょっとガッカリした。

 そうだよ、泉くんはラオタじゃん! ラーメンだけ追いかけていればいいんだよ!

 泉くんは元彼とは違うと思ったのに……

「あらあら、朝っぱらから穏やかじゃないわねぇ」

 立ち尽くす私の斜め前に出て、泉くんたちを見ながら佐伯さんが腕を組む。表情までは見えないけれども、その言葉に反して声のトーンは至って平常だった。

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