第22話 口は災いの元

 今にも走り出したいのを我慢している子犬のように、佐伯さんは体をうずうずさせながら私を振り返った。

「打木ちゃんっ! 何食べる? からあげ? ポテト? あ、飛騨牛串なんてのもあるっ!」

 佐伯さん、とっても楽しそう。

 初めて来たお祭り。自分の意志で歩くのが困難なくらいの人混み。

 バンド演奏やダンスのような舞台公演があったり、あちこちで大道芸をやっていたり、屋台が所狭しと並んでいたりetc……

 春日井市役所とその周りの敷地を足した結構な広さを開放して開催される春のお祭りだ。

 毎年梅雨に入る前、晴れ間の多いこの時期に開催している市主催の春祭りがあることは以前から知っていた。大学生になって初めてひとり暮らしをした頃から春日井に住んでいるから、それくらいは。

 かれこれもう――十八歳の頃からだから、七年? 大学の頃にひとり暮らしをしていたアパートは学生契約のアパートだったから、卒業を機に今のアパートに引っ越しをした。同じ市内に。

 就職先は名古屋だったのだけれども、大学を卒業したばかりのお金のない私が暮らすには、名古屋市内よりも郊外の方が金銭的に現実的だった。

 名古屋では1Kがいいところだけど、郊外ならそこそこ広い部屋が借りられるし。おまけに名古屋まで電車で一本だから不便はない。通勤通学時間帯なら十分に一本電車が走っているし。

 でも、何年も暮らしていたからお祭りのことは知っていても、一度も行ったことはなかった。

 学生の頃はとか思う風潮があったし、卒業してからは女ひとり様でお祭りに行くほどアクティブでもなかったし。

 社会人になると、それまで仲のよかった子たちでも疎遠になりがちで、最初は月一くらいで連絡を取っていた子もその内三ヶ月、半年と連絡がこなくなり、前に話したのはかれこれ一年半前にもなる。それも会ったわけではなく、スマホで。

 つまり、大学を卒業してから私には一緒に出かける友達がいないようなものだった。

 入社してすぐ仲よくなった佐伯さんに誘われて、たまに同期の子達と名古屋でショッピングに行くことくらいはあったけれども。

 春祭り会場のあちこちから大道芸人さんたちの大きな声が聞こえてくる。チラシで見たけれども、『ナンバー1大道芸人は誰だ!』コンテストをやっているみたい。会場のあちこちに人の山ができているところがいくつもあった。

 道行く人の楽しそうな話し声が会場で弾んでいる。

 佐伯さんはキョロキョロと辺りを見回しながら、美味しそうな屋台を見つけると目の色を変える。

 いけない、今日の目的はからあげでも飛騨牛でもない。

「ラーメンを食べに行こうって言ったでしょ! お祭り限定ラーメンがあるんだからっ!」

「大嫌いって言っていたラーメンを食べるようになったと思ったら、今度はどれだけ熱量が凄いのよ。このお祭りのこともピオッターで教えてもらったの?」

 少し呆れたようにフッと鼻で笑うと、佐伯さんが口をへの字に歪めた。

「うん、佐伯さんの助言通り、ピオッターをまた始めてよかった! ラーメンアカウントのみんなは親切に色々なことを教えてくれるし、ね。何人かのフォロワーさんもラーメン小路に行くって言ってたけど……」

 見渡す限りの人、人、人。人の山に埋もれそう。

 ラーメン小路の会場についたとしても、そこでフォロワーさんを見つけるのは至難の技だ。第一、私はみんなに会ったことがないから誰が誰だかわからない。顔も知らない。

 こんなにたくさんの人達の真ん中で「○○さ~ん、いますか~!」なんて呼べないし。恥ずかしい。

 別にフォロワーさんに会うのが目的じゃなくて、お祭りラーメンがお目当てだからいいんだけれども。

 ラーメン小路の会場は市役所北側の駐車場スペースに設営されていた。

 六張り並んだテントの前には十一時なのにもう長蛇の列。お昼前に着けば大丈夫だろうと高をくくっていた。出遅れた。

 並んだテントの前から、お客さんを呼び込む元気な声が飛ぶ。まだ一軒も行ったことはないけれども、どのお店もネットで春日井のラーメン屋を検索すれば上の方に出てくる有名ラーメン屋ばかりだ。

 台湾ラーメンが売りのお店、とんこつラーメンがメインのお店、白湯ラーメンが美味しいと有名なお店、混ぜそばで有名なお店はラーメンメニューで出店、煮干しラーメンが得意なお店、毎週末に限定朝営業をしているお店。

 この日まで、何度もエアラーメン巡りをした。アパートから各お店までの経路も完璧だ。ラーメン屋へ行く前にイメージトレーニングは大切だ。

 けれども、お祭りの前に直接お店に行ってみようとは思わなかった。だって、その方が今日が楽しめると思ったから。

 おかげさまで、今日のラーメン食べたい欲はMAXゲージを超えて噴き出していた。

 ただひとつの問題は、六杯も食べられるとは思えないこと。

 さあ、困ったぞ? 私は何杯のラーメンをこの会場で食べられるのか。そして、六店ある内のどのお店をチョイスするべきなのか。一軒はもう決定しているけども。

 ラーメン屋の並んだテントとは別に、駐車場出入り口のところに別のテントがある。そこでラーメンチケットを買えるみたいだ。ピオッターでの情報収集はバッチリ。

 チケット売り場には四十人ぐらいの並びがあった。

「お祭りのラーメンはチケット制だから、まずはこっち!」

 興味深そうに辺りを見回している佐伯さんの手を引いて、チケット売場の最後尾に並ぶ。すぐに私たちのうしろにも列がのびていき、十五分後には駐車場の端で折り返すくらいの並びになった。人数はもうわからない。

 よかった。もうあと五分――いや三分遅かったら四十人くらいの並びが七十人くらいになっていたかもしれない。正午が近づくほど混んでくるのはラーメン屋もチケット売場も同じ、ってことか。チケットを買うのも一苦労だ。

「あ、泉くんだ!」

 佐伯さんの声に勢いよく振り返る。彼女が指を差す先には大きな白いタープがいくつも設置されていて、その下に四人がけの長テーブルを合わせて八人がけにしたテーブルが並んでいた。

 どの席ももうひとつも空いていなくて、その回りを使い捨てのラーメンの器を持った座れない人たちが右往左往している。

 どこ? 泉くんなんて、いる? 人が多くて……たくさんのお客さんがラーメンを食べているテントと佐伯さんの指先を何度も見比べても……あ、いた! 本当だ!

 並んだ長テーブルの端にラーメンの器を置いて、上から横から斜めからスマホを向けている。その次は右手の箸で持ち上げてた麺に、器用に左手だけでスマホを向ける。

「なにやってるの、あれ?」

「撮影。佐伯さんも食べ歩いたときにやるでしょ?」

「そうじゃなくて、持ち上げた麺にスマホを向けて……」

「ああ、麺リフトって言うんだって。この間もやってたよ」

 これもラオタ語録のひとつ。持ち上げた麺を臨場感たっぷりに撮影すること。中華そば佐々樹で、泉くんに教えてもらった。

「この間~?」

 佐伯さんのまゆ毛がピクリと上がる。

 しまった。思わずラオタ語録を使わないように気を張っていたくせに、別の余計なことを言ってしまった。

 泉くんと一緒にラーメンを食べたことは誰にも話していなかったのに。色々と聞かれると面倒だから。

「あ、ほら次だよ! 佐伯さんは何を食べる?」

「チケットを買ってからゆっくり決めるわ。打木ちゃんに色々と聞きながら、ね」

 やぶ蛇だ。

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