第13話 (特)鮎焼干しそば、鮎の半身フライ
通されたのは、囲いのある半個室で本当に料亭のような落ち着いた雰囲気の席だった。
モノトーンで纏まった店内をやわらかく照らすオレンジ色の間接照明がとてもオシャレだった。デートならきっと最高だろう。デートなら。
テーブルを照らすライトも暖かみのある色で決して強くはなくムーディで、ここがラーメン屋であることを一瞬忘れてしまいそうだった。
「佐伯さんと同じの頼んじゃったけど、焼干しそばってなに? ラーメンとは違うの?」
カウンターの向こう側にいる店員さんの調理をしている音くらいしか聞こえない店内で、テーブルに少し身を乗り上げてコソッと佐伯さんに聞く。
券売機のタッチパネルに画像が出ていた。けれども、そんなに大きくなくてどんなものが出てくるのか今ひとつピンときていなかった。
「メニューではそばって書いてあるけどラーメンだから安心して。煮干はわかるでしょ? 煮干しは魚を煮て乾燥させたもので、焼干しは魚を焼いて乾燥させたもののことを言うの。焼干しの方が煮干しよりも旨味が強いんだって」
「へえ、そうなんだ。初めて聞いた。流石佐伯さん、食べ歩きが趣味なだけある。そんなことよく知ってるね」
「大げさよ。初めてこのお店に来た時に、私も調べただけだから」
佐伯さんはテーブルに置いたスマホにトントンと指先を落とした。
食べ歩きが大好きなのは知っていたけれども、ラーメン屋にもたまに行くと今日初めて聞いた。職場でラーメンの話題になんてなることがなかったから知らなかった。それと、佐伯さんにラーメンって、なんとなく繋がらなくて。私がラーメンや佐伯さんに勝手なイメージを持っているだけだけれども。
ただ、佐伯さんは色々なラーメン屋に行くのではなく、食べランの上位に載るような有名店かラーメンチェーン店に足を運ぶくらいなので詳しくはないみたい。
ここ青流も食べラン上位店らしい……あ、本当だ。高評価順で一画面上にある。
「大変お待たせいたしました。こちら鮎焼干しそばの特製盛りでございます。フライもすぐにお持ちいたします」
紺色の制服に真っ白な割烹着姿の女性店員さんが、佐伯さんと私の前にラーメンどんぶりを置いて軽く会釈した。
「凄いのきたんだけど……」
店員さんが目の前にいるのにも関わらず、思わず出てしまった声に慌てて口を押さえる。店員さんはそれでもニコッと笑って再び会釈をするとカウンターへと歩いて行った。
澄んだスープに浮かぶ薄切りのチャーシュー三枚と白髪ネギ、三つ葉、海苔。ゆで卵――味玉かな? それの天ぷらまである。何より一際目をを引いたのは、丼の真ん中に鎮座する魚――薄黄色と言うか薄黄緑色した魚の半身の天ぷらだった。
「これって……まさか鮎の天ぷら?」
「あの金額は高いと思う?」
佐伯さんの満足そうなその言葉に、への字口で肩を竦め首を振る。
佐伯さんも人が悪い。こんなラーメン生まれて初めて見た。人生三度目の鮎が、天ぷらになってラーメンに乗ってくるなんて考えもしなかった。
鮎の天ぷらなんて、本当に料亭なんかじゃないと食べられないんじゃないかな? ごめんなさい、料亭に行ったことがないから正直わからないけれども。
鮎のフライが三百五十円でラーメンと比べて思ったより安いなと思ったけれども、こんな天ぷらがラーメンにのっていたら、この金額も確かに納得だ。むしろ安いかもしれないと思ってしまった。ラーメンなのに。
って、鮎のフライもまだ出てくるんだっけ……
「お食事のところ失礼いたします。こちら鮎半身のフライでございます。柚子とタルタルソースはお好みででお使いください」
さっきの女性店員さんが持ってきたのは、黄金色の鮎のフライがのった黒く四角いお皿で、フライには雪のようにちりばめられた白い――これは粉チーズかな? あと、そのお皿の対角にタルタルソースと半分にカットされた小さな柚子が添えられていた。
鮎の天ぷらがのったラーメンに鮎のフライなんて、お洒落がすぎる。
ラーメン屋でこんなに凄いものが食べられるなんて誰が思うだろう。
このとんでもないメニューを前に、私はまずレンゲでラーメンのスープをひとくち……
「あ、美味しい……」
はあ……体中にじんわり染みるこのやさしい味。そんな美味しいスープを支えているのは、えっと、これは塩……かな?
「美味しいでしょ? このラーメンね、しょっつるなんだよ?」
「しょっつるって、なに? 麺の種類?」
佐伯さんが口を押さえてクスクスと笑う。
失礼しちゃう、そんなに笑わなくてもいいのに。しょっつるなんて今まで行ったラーメン屋で見たことないもの。
「しょっつるは魚醤のことで……えーっと、どうやって説明しようかな? 秋田のハタハタって魚を塩漬けして出たエキスでね、魚の旨味が凝縮した塩スープだと思えばいいよ。私もこのラーメンを食べて知ったの」
愛らしく、顔をくしゃっと歪めて笑う。
はあ、魚の旨味が詰まった塩スープね……こんなにもスープに深みがあるなんて。
ちぢれた中太の麺を啜ると、ふんだんにスープが絡んでさらに風味豊かで口いっぱいに広がる美味しさ無限大。それに……極めつけは鮎の天ぷらだ。身がフワッフワな上に、しょっつるのスープの味が衣に染みて魚×魚の相乗効果でさらに口が――全身が幸せいっぱいだ。
もう、声も出ない。ラーメン単品としてと言うよりも、フライまで含めたこのメニュー全部の美味しさが今まで味わったことのない最上級品。
鮎のフライは天ぷらとはまた全然違い、どちらかと言うと淡泊だけれどもサクサクで、柚子を搾るとさわやかな旨味が鼻に抜けた。
このお店――青流は、間違いなくラーメン屋だけれども、料亭と言っても過言ではない。
ラーメンが美味しいものだったと気づいてまだ三日目。私の中で美味しいという感覚がバグを起こしている。
土日に食べたラーメンはどれも美味しかった。そのラーメン屋――もしくはそのお店のメニューを目的にもう一度食べに行きたいなと思えるくらいは。そういった食べ物屋は他にもある。
イタリアンならあの店、肉料理ならこの店、和食なら……
でも、金曜の夜食べたあの淡麗醤油煮干らぁ麺や、今食べている鮎焼干しそばのように、食べ物で感動した記憶は私にはない。今までそれほどいい物を食べてはこなかったし、食べ物にお金をかけようとも思わなかったし。
その気持ちを打ち砕き、私が食に興味を持てるようになったのが、あんなにも大嫌いだったラーメンだなんて、あの頃は思いもしなかったし、今でも信じられない。
「佐伯さん、ありがとう」
「んふ? どうしたの、急に!?」
ラーメンを食べるためにいつもはおろしている髪をシュシュでサイドにゆるく結んだ佐伯さんが啜っていたラーメンをプツリと口で切って目を丸くした。
「こんなに美味しいお店に連れてきてくれて」
「ふふっ、あはは……ホント大げさねー、打木ちゃんは」
屈託なく笑う佐伯さんに後光が射して見えた。いい子すぎる。
佐伯さんは器用にレンゲの上に麺をのせ、細かく崩した鮎の身と三つ葉を少しだけ添える。これはそうだ。ラーメンを調べていてネットで見たことがある。ミニラーメンと言うやつだ。
ああ、もうっ! こんな彼女がいたら男冥利に尽きること間違いなしだ。
麺も鮎の天ぷらも、もちろんフライも食べ終え、それでもなおお互い残りのスープを堪能していると、ふと疑問が脳裏をかすめた。
「でも佐伯さん、泉くんにラーメンの美味しいお店聞いてたよね? この青流だってとっても美味しいと思うけど……」
「会社の近くのお店はまだ開拓していなんだよね。年間四百杯食べる泉くんの方がずっと知っているだろうし」
ズズッとレンゲで掬ったスープを飲み干し、佐伯さんは肩を竦めた。こんなにも美味しいお店を知っているのに、まだまだ経験値が足りないってこと?
「それに、まだ行けていない有名店はたくさんあるし」
「有名店!? それって、食べラン高評価店のお店じゃないの?」
「それだけじゃないけどね。うーん……打木ちゃん、SNSやってないの?」
「ピオッターのアカウントを持ってはいるけど、活用はしてないや」
「ラーメンのことを調べるならさ……」
泉くんが私のラーメン嫌いを克服させてくれて、佐伯さんが食べ歩きのノウハウを私に教えてくれた。
本日のラーメン――
(特)鮎焼干しそば……千六百円。
鮎のフライ……三百五十円。
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