第12話 ラーメンって高い!!

 閑散期と言うわけでもないけれど、抱えた仕事だけはなんとか定時で終わらせた。

 佐伯さんとふたりで向かったのは、地下鉄を乗り継いで十分ほど歩いた、繁華街から少し離れたところにあるシックな外観のお店だった。

 とてもラーメン屋に見えない。

 まるで料亭のような建物の入り口にだけ暖色の明かりが照らされていて、青流と書かれた真っ白な暖簾がそよ風が吹く度に小さく揺れていた。

「それであれから泉くんのあとをつけたってわけ?」

「言い方っ! 間違ってはないけど。見失っちゃうと思ったら自然に追いかけてただけで」

「へぇ~……」

 お店の前に並んだ人たちの最後尾で、佐伯さんは少し顎を引きキョロッとした大きな目で、探るように私をジーッと見つめてくる。

 なにか、変なものでもついているのかな? 自分の体を隅々まで見回す。取りあえず、見えるところにおかしなものはついていない、と思う。

「なに、その目?」

「いや、打木ちゃんも泉くんのこと気になっちゃたのかなって思っただけ……」

「気になってなんかないから!」

 食いぎみに佐伯さんの言葉をバッサリと切る。

 確かに、ちょっと笑った顔が可愛いなんて思ったけれども、基本無愛想でオススメのラーメン屋も教えてくれないし、そこはやっぱり自分のことしか考えていないラオタだし。

 色々なラーメン屋を回って年四百杯食べるのは凄いと思うけれども、それは彼が好きでやってることだ。それなら一軒くらい美味しいお店を教えてくれたって……という無限ループ。

 自分で見つけてやるとは言ったけれども、美味しいお店は一軒でも多く知っておいても損はないと思うの。

 土日にたくさんのラーメンを食べたけれども、やっぱり私にはラオタの気持ちはわからない。

「そう? ラーメン好きな泉くんと肩を並べたくてラーメンを食べまくったんじゃないの?」

「ラーメンを食べたかっただけだから! 美味しかったんだよ、あのお店のラーメンは……」

「あの、お店?」

「私がラーメン嫌いになったらラーメン屋」

「え、泉くんをストーキングしていたら、たまたま打木ちゃんのトラウマのラーメン屋に行ったってこと!? そんなこと、ある!?」

「だから、言い方っ! ストーキングじゃないしっ!」

 失礼しちゃう! 泉くんについていけば美味しいラーメンを食べられると思ったからあとをつけただけで、別に彼本人に用はなかったんだ。

 それが本当にたまたまだったってだけで。でも、それは別に佐伯さんには言わなくてもいいかな。色々と説明が面倒だから。

「で、そのお店が美味しかったからもっとラーメンを食べたくなっちゃった、と。打木ちゃんも案外現金な娘ねぇ。あんなに頑なだったのに、ラーメン大嫌いだって言っていた五年間って一体……」

 うっ、そんなにニヤニヤしなくても……わかってはいるんだよ。

 ラーメンを食べに行ったのも最初はね、本当にただの意地だった。泉くんがオススメのラーメン屋を教えてくれないから、だったら私が自分で美味しいラーメン屋を見つけてやるって。

 けれども、初めてひとりで入った博多とんこつラーメンのチェーン店が本当に美味しくて。それならと次に行ったお店が営業終了していたからそれで悔しくなっちゃって、スマホで探した別のお店へ行って……気分は新たな土地を開拓する冒険者。私は美味しいラーメンを探し求める旅人。

 今まで二十五年生きてきて、こんなにも食べ物に一生懸命になることなんてなかった。初めてだ。特定の食べ物のためにあちこち探し回るなんて。

 ラーメンは置いておいて、他のどんな食べ物でも、たとえばお店が休みだったら別の物を食べようって話になるだけだ。けれども、私にとってのラーメンは違った。これは大嫌いだった五年間の反動のせい?

「でもさ、こうやって打木ちゃんとラーメンを食べられるようになるなら結果オーライって感じじゃない?」

 佐伯さんは私の肩をパンパンと叩いて嬉しそうに笑った。近所のおばちゃんみたいに。

 そんな話をしている内に、私たちの前で待っていた人たちはどんどん店内に案内され、ついに私たちの順番が回ってきた。その頃には私たちのうしろには二十人くらいの列ができていた。

 スマホを見ると十九時をすぎたところ。お店に着いたのが十七時五十分くらいだから一時間以上待っていたことになる。

 食べ物屋――ましてやラーメン屋で一時間以上並ぶなんて……とてもじゃないけど考えられなかった。けれども正直、あっという間だった。昨日一昨日ひとりで待った十五分二十分よりも、ふたりで待った一時間の方が短く感じた。

 平日の夕方十八時前に到着して一時間以上待つなんて、佐伯さんが連れてきてくれたこのラーメン屋もかなりの人気店だ。

 私が行ったラーメン屋でこんなに待ったお店はない。ろくに調べもせず行き当たりばったりで訪問したのに、待っていて数人いたくらい。ほとんどがダイレクトに入店できた。

 私がラーメン嫌いになったあのお店だって、とっても美味しかったのに待ったのはせいぜい三十分くらい。あの日は時間も時間で二十一時時近かったのだけれども。五年前に元彼と行った時は……待っていた時間が正直五分だったとしても永遠のように感じたと思う。早く帰りたくて。要するに、ろくに覚えていない。

 あ、いよいよ私たちの順番が回ってきた。

 お店に入ってすぐの壁にメニューが書かれた紙が貼ってあった。

『本日、(特)鮎焼干しそばあります 一六○○円』

 思わず絶句して、メニューの前で立ち尽くす。ツッコミどころが満載すぎて、どこからツッコめばいいのかわからない。

 佐伯さんはさも当たり前のようにメニューを素通りして券売機向かう。私は慌てて彼女を追った。

「ね、ねえ、佐伯さん? 入り口のところのメニューを見たんだけど、ここって本当にラーメン屋だよね? ラーメン千六百円って書いてあったけど?」

 最近のラーメンは高い。本当にここ数年で色々な外食の金額が跳ね上がって、ラーメンもしかりだった。私がラーメン嫌いになる前はどのチェーン店も七百円くらいだったのに、今ではどこも千円に迫っていた。トッピングやサイドメニューを足せば軽く千円オーバーは当たり前だった。さらに個人のラーメン屋に入るともっとビックリだ。ラーメンだけで千円を超えているのが当たり前。ラーメン屋巡りをして、ラーメンってこんなに高いんだとビックリしたものだ。

 それでもこんな金額は初めてだ。ステーキショップで百グラムのサーロインステーキでも食べられそう。

 佐伯さんは私の顔色を見てもフフッと笑うだけで券売機のタッチ画面に指を這わせた。

 メニューが書いてあるボタンを押すタイプの券売機じゃない。大きなタッチパネルの券売機で、ラーメン、サイドメニュー、ご飯と、ページが分かれていた。ここのお店は外観もオシャレでなお券売機までハイテクだ。

「他のメニューもあるけど、私はやっぱりこれをオススメするな」

 佐伯さんはそう言って、『(特)鮎焼干しそば』の画面を指先でタッチした。続いてサイドメニューの画面で『鮎のフライ』も……鮎のフライ!?

 何!? 鮎のフライって!?

 二十五年生きてきて、鮎を食べたのなんて数えるほどしかない。えっと……二回だ。数えるほどもない。しかもそれは塩焼きで、ほぐした身がフワフワで繊細でとっても上品な美味しさだった、と思う。そもそも食べ物でそんなに記憶に残っているものがない。

 でもその滅多に食べたことのない鮎がまさかフライで食べられるなんて。

 私のラーメン屋の常識は崩壊した。

 溢れそうなほどの不安や疑問を残しつつも、佐伯さんが頼んだラーメンと同じものを頼み、鮎のフライの画面もしっかり押していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る