第二章 とんこつラーメン 全部のせ
第8話 美味しいラーメン屋ってどこにあるの?
ラーメンだ。
白いどんぶりの中、綺麗に並べられた三種類の大きなチャーシューが浮かぶ琥珀色のスープに、白々と波立つ艶々な細麺。
薄い褐色の味つけ玉子と細長いメンマが折り畳まれている。
ずっとラーメンから遠ざかっていた私が見ても、美しいとさえ思えるビジュアル。
白いレンゲでスープを掬うと、琥珀色に浮かんだ油が店内の照明にキラキラと輝く。
ヤバい、これは絶対に美味しいヤツだ。
口の中いっぱいに唾液が溢れてくる。ゴクリと喉が鳴る。
黒い箸で持ち上げた細麺は、充分なほどスープを持ち上げて深く芳醇な香りを辺りに漂わせる。
私は背中を丸めどんぶりに顔を近づけると、箸から流れ落ちる滝のような麺を一気に口に……
ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ……
「あー、もううるさいうるさいうるさいっ! 折角いいところなのにジャマしないで……よ? あ、れ?」
ラーメンがない。ラーメン屋ですらない。
薄暗い部屋。カーテンの隙間から飛び込む光の筋が、ベッドで体を起こす私の視界に刺さる。眩しい。
手で光を遮り部屋の中をグルリと見回す。
約十帖のワンルーム+玄関に入ってすぐに廊下という名の三帖のキッチン。最寄り駅から徒歩七分の築十年で家賃はこの辺りなら平均的な五万円。
32型のテレビと、まだ布団を片付けていないこたつとシングルベッド、本棚小物棚でまあまあいっぱい。服とか邪魔な物はウオークインクローゼットに押し込んであるから、一見すると部屋の中は綺麗。テーブルの上には開けたままスリープしているノートパソコンとチューハイの缶がみっつ、あとは空になったスナック菓子の袋。
片付ける前にベッドに倒れ込んでモフモフのクッションをギュッと抱き締めていたらそのまま寝ちゃったんだ。よくあるよくある。お風呂に入ったあとでよかった。
女の生活に夢見る男性諸君、ごめんなさい。部屋を出ればそれなりに格好は気にするけれども、女の一人暮らしなんてこんなもん。
誰に文句言われることもないし、遊びに来る友だちもいないし。
昨日はお酒を飲みながらずっとスマホを見ていたんだ。だからあんな夢を……
昨日のことが脳裏に鮮明に蘇る。あのビジュアルも、あの香りも、あの味も。
ラーメン嫌いだった五年間。それ以前ですら、ラーメンなんて年に二、三度食べに行けばいい方だった。
ラーメンは所詮おやつ感覚。できればワンコイン以内、高くても七百円くらい。小腹が空いたときにたまにフラッとラーメン屋に立ち寄って、空腹が満たされれば満足して。それが私の中にあるラーメンのポジションだった。
外食と言えばハンバーグやステーキなどの肉類、お寿司、イタリアン、カレー、ファミレスにジャンクフード。ひとりで入ったことはないけれども牛丼とかもある。他にも……そんな数多の選択肢の中からラーメンが選ばれることはなかった。
それなのに……
「美味しかったなぁ、あのラーメン」
あんなに美味しいラーメンを食べたのは二十五年生きてきて初めてだ。今までラーメンを下に見ていてごめんなさい。
部屋に帰ってからもあの味が忘れられず、お風呂でゆっくりしたあとはずっとスマホでラーメン屋を調べていた。
昨日行ったラーメン屋の飲食店検索サイトである食べランキング――通称食べランの評価は3.6。中部地方のラーメン屋のトップ評価が3.8だからかなりの高評価だと思う。
食べた人のどのレビューを見ても軒並み「美味しかった」と書かれていた。
私の舌は間違っていなかったんだ。五年前に食べた時は「不味かった」って思っていたんだけれども。
結局他のラーメン屋も気になって調べている内に、スマホの小さな画面じゃもどかしくなって、普段は家で仕事をするときにしか使わないノートパソコンを引っ張り出してきたってワケ。どのお店のラーメンも本当に美味しそうだったなぁ……
調べれば調べるほどラーメンを食べたい欲求がふつふつと湧いてきて大変だった。
あれもこれもと調べていたら寝るに寝られなくなってしまい、結局記憶にある最後の時間は夜中の三時ちょっと前。
もう、すぐにでもラーメンを食べに行きたくなって、深夜にやっているラーメン屋まで調べてしまったくらいだ。
そのおかげでラーメン屋は見つかったけれども、そのお店へ行くために夜中にスクーターで十数㎞走らなきゃいけないという結果を知ってさすがに諦めた。
フフッ……
思わず笑ってしまった。
つい昨日の夕方までラーメンなんて大嫌いと言っていた私が、なんでこんなにもラーメンのことばかり考えてしまうのか、滑稽でしかなかった。
ふわっと大きなあくびをひとつ、パンッと両手で軽く頬を張る。
ベッドからおりてカーテンを開けると部屋の中が一気に明るくなった。
今日は土曜日、とくれば……お昼にラーメンを食べに行こう! となっても仕方がない。今の私ならば。まるでラーメンに取り憑かれてしまったように。
これはきっとラーメン嫌いだった五年間の反動だ。自分でもビックリだ。
明るくなった部屋で電源の入っていないこたつの横に座り、ノートパソコンのエンターキーに指先を落としてスリープを解除する。
画面いっぱいにこのアパートを中心にした大きな地図が出てくる。その周りに点在するラーメン屋。アパートから約十㎞圏内でこんなにもたくさんのラーメン屋があったなんて。
私がラーメンを嫌いだった五年間も、近所にラーメン屋はたくさんあって、テレビや雑誌なんかでもラーメンの情報を見ない日なんてなかった。意識的にそこから目を背けていただけで。
世の中こんなにもラーメンに溢れているのに。
昨日のお昼、佐伯さんを筆頭にみんなでラーメンを食べに行こうってなったとき、「ラーメンを嫌いな人なんている?」って言った
私のラーメン嫌いはある意味イレギュラーで、確かにラーメンを嫌いという人に出会ったことはない。私がそうだったように、いない、とまでは言わないが極少数だと思う。それくらい、日本人にはラーメンが浸透している。
今日はどこのラーメン屋に行こうかな?
結局、泉くんはオススメのラーメン屋を教えてくれなかった。
徹底している。過去の彼の行動を思い出し、今回は私のトラウマを解消してくれて、本当はいい男の子なんじゃないかって思ったけれども、やっぱりそれは私の勘違いだったのかもしれない。
泉くんに大見得切った手前、自分で調べて行かないと後々鼻で笑われそう。いや、絶対に笑う。面と向かって話したのは昨日が初めてなのに、そうだって言い切れる。
それならと夜中まで調べてみたものの……
「ぜんっっっぜん、わからない」
美味しそうなメニューのあるラーメン屋、食べランで高評価なラーメン屋、近所のチェーンのラーメン屋、町中華、その他もろもろetc……昨晩――と言うか今日未明までずっとラーメン屋を調べていた結果、この中から選ばなきゃいけない難易度の高さよ。
私はどこのラーメン屋に行けばいいんだろう?
あまりにも長いことラーメンから遠ざかっていたせいで、そんなことすらも決められない。どこのお店も美味しそうで一軒に絞れない。
私が外食をする時、いつもどうやってお店を決めていたっけ?
なんて言っても、ひとりで行くのはせいぜいスクーターで行ける距離のパスタ屋とか喫茶店くらいなんだけど。
ふと思ったけれども、女ひとりでラーメンを食べに行くって何気にハードル高くない? 私の勝手なイメージだけども。
ノートパソコンを眺めつつ、カチカチとマウスを操作する。
調べれば調べるほど迷うだけで決まらない。
私には泉くんのようなラーメン屋の知識がないから。
「たくさん食べて知ってるんだから一軒くらい教えてくれたっていいのに……」
独り言で愚痴なんて、ひとり暮らしの長い寂しい女の象徴だ。
昨日のラーメン屋が美味しかったから、今日も行こうかな?
お昼も近いし取りあえず着替えて出かけよう。
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