第7話 ラーメンとラオタと私

 キッと泉くんをにらみつけ、自分の両肩をきつく抱き締める。

「え、まさかストーカー!?」

「ブハッ、違いますよ! どうやったらそんな発想になるんですか?」

 目を細めてケラケラと笑う。そんな顔もするんだ。会社とのギャップがすごい。

「いつだったかな? 四……いや、高校のころだから五年前か。前に小麦さんと一緒にいたさっきの男の人――彼氏さんですか? いや、さっきは違う女の人を連れていたし……」

「あれは、その、お恥ずかしながら元彼でして……前に?」

 なんで泉くんが私の元彼のこと、を!?

「あー!! 泉くんってもしかして……」

「あの時は突き飛ばされてカッとなって、小麦さんを無視してしまってすみませんでした。手を差し伸べてくれたのに」

 私がラーメン嫌いになったあの日、元彼が突き飛ばしたブレザーの男の子が泉くんだったんだ。

「こっちこそ、元彼が泉くんにひどいことしたのに」

「あの彼のせいで小麦さんがラーメンやラオタを嫌いになったんですよね? あの日、あんな真っ青な顔でオドオドしながらラーメンを食べていましたから」

 泉くんはあの日の私のことも覚えているんだ。

「いつから私だって気づいてたの?」

「会社で見かけてすぐに。今日、僕のあとをつけていたのも気づいてましたよ。だからなんとなくこの店のラーメンを食べたくなって……」

「どういう、こと?」

「この店は、小麦さんと初めて会ったラーメン屋です」

「…………え?」

 泉くんがなにを言っているのか一瞬わからなかった。目をパチクリさせてポカンと口を開いて、ひどく滑稽な顔をしていたと思う。だって……。

「お店も周りの景色もぜんぜん見覚えがないんだけどっ!」

「三年前にここに移転したんですよ。以前は駅向こうでお昼時だけ居酒屋さんの間借り営業でしたから」

 そんな、私がラーメン嫌いになったお店の美味しくないラーメンは、本当はとっても美味しいラーメンだったなんて。

「今日、小麦さんがラーメン嫌いだって聞いて……あの日、ちゃんと楽しく味わって食べられていれば、きっとラーメン嫌いになんてならなかったんじゃなかって。そう思ったら悔しくて。僕はこの店のラーメンが好きなので」

 泉くんは誇らしげに胸を張る。

「それで、ここのラーメンはどうでした?」

 思い出す。あっさりしているのに口いっぱいに広がった魚介系の深い旨味を。

 忘れない。もう忘れられない。

「……美味しかった」

「ラーメンはまだ嫌いですか?」

 私がブンブンと首を振ると、泉くんはパアッと破顔した。

 会社で見かけた時はいつも無愛想なのに、打って変わって彼はラーメンの事になると表情をコロコロと変える。自分の大好きなことをうれしそうに語るその姿は、やっぱりオタク特有なんだろう。でも、少しも嫌な感じがしない。

「ありがとう。泉くんのおかげでラーメンに興味が湧いてきたよ」

 ラーメンだけじゃなく、泉くんにも。

 男と女とか、愛だの恋だの的なヤツじゃなく、純粋にラオタとしての泉くんに、ね。なんだかちょろい女って思われたくないからそんなこと絶対に言わないけれども。

「お礼なんて。僕は自分の好きなラーメンを食べに来ただけなので。それがたまたま小麦さんが昔行ったことのあるラーメン屋だったってだけで。でも、興味を持ってもらえてうれしいです」

 自分を主張する割に、泉くんは謙虚だ。鼻にかけたりしない。ラオタのイメージが元彼だっただけに、泉くんのような男の子は新鮮だ。そもそも私自身が男性と親しくした記憶はほとんどないんだけれども。

「折角美味しく食べられたんだし、今度はひとりでラーメンを食べに行ってみようかな?」

「いいですね」

 うんうんと小さく頷く泉くんの顔色を伺う。美味しいラーメンを食べたせいか、泉くんの表情はやわらかい。いい感じだ。これならきっと……

「だから……私に美味しいラーメン屋を教えてくれるかな?」

 泉くんがすうっと目を細めニコッと笑った。

「ヤです」

「はい?」

「イ、ヤ、で、す!」

「ちょっ、なんでよっ! 今までラーメン嫌いだった女の子が美味しいラーメンを食べたいって言っているんだよ? ここはドラマとかだったらよろこんでとかもちろんとか言うシーンじゃないの?」

 泉くんの笑顔があまりにも爽やかすぎて逆に腹が立つ。

「悔しかったって言ったでしょ? 僕の好きなラーメンを食べてラーメン嫌いになるなんて」

 そういう意味だったのか。

 やっぱりラオタだ。泉くんもラオタだった。自己中で自分勝手で自己主張が強くて。でも、だからどうした。ラオタを完全に信用したわけじゃない。けれども私はもう、ラーメンにもラオタにも泉くんにも興味を持ってしまった。

 もっと、もっともっと美味しいラーメンを食べてみたい。今まで食べたことのないラーメンを味わってみたい。

 ずっと、ずっと食べてこなかったんだから。

「見てなさいよ! 泉くんの知らない美味しいお店を見つけても教えてあげないんだから!」

 泉くんはそんな私の宣戦布告を聞いてなお、上機嫌っぽくフフッと小さく笑った。

 本日のラーメン――

 特製淡麗醤油煮干らぁ麺……千三百円。

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