第5話 ラーメン年間四百杯

 軽快に人混みをすり抜けていく泉くんを、一定の距離を保ちながらコソッとついていく。

 気分はサスペンスドラマで犯人を追いかける刑事だ。私は今、犯人を尾行している。なんて、ふふっ……あ、あれ?

 泉くん、は? さっきまで人混みの中で大通りの歩行者信号を見あげていたのに。

 急いで青になった歩行者信号まで駆けつけて……痛っ。

「す、すみません、急いでいたもの、で……!?」

 まさか、まさかまさかまさか……当の泉くんにぶつかるなんて。

 慌ててUターンして近くのカフェの軒下まで歩き、少しだけうしろを振り返る。

 なにをやっているんだ、私は。もっと気をつけないと。

 歩行者信号の下で、泉くんがキョロキョロと辺りを見回している。

 バレて――ないよね? いくら同じ会社でも顔を合わせることなんてほとんどないし、面と向かって話したのはたのは今日が初めてだ。私が一方的に罵詈雑言をぶつけただけだけれども。その程度で彼が私の顔を覚えているとは思えない。おまけに今は私服だし、髪もおろしてるし。

 美人な佐伯さんならともかく、私の容姿なんて十人並み……だよね? たぶん……そう思いたい。

 第一、泉くんはラーメン以外に興味なさそうだ。

 我が社のアイドル――佐伯さんにお願いされて「イヤだ」なんて言えちゃう人だ。社内にそんな人がいるとは思いもしなかった。だって、課長や部長でさえ佐伯さんにはアマいんだから。

 泉くんがこっちをジッと見ている。

 さっきまで渡ろうとしていた横断歩道を渡らずこっち向かって歩いてくる。

 まさかバレ……た!? と思ったのも束の間、彼は私のうしろを素通りして元来た駅の方へ歩いて行ってしまった。

 再び泉くんを追いかけて十分。駅構内を通り抜け反対側出口から商店街の手前を右手に折れ、たどり着いたのは住宅街の一角にある一軒のラーメン屋だった。

 初めて来た、ラーメン屋。

 初めてもなにもラーメン屋に来たのが久しぶりだけれども。

 そのお店の前には十人ほどの列ができていた。

 夜も九時になろうとしているのに。

 その待ち人数になんの躊躇もなく、列の最後尾に並んでスマホを取り出す泉くん。

 ――これは、ある意味チャンスだ。

 年間四百杯も食べるラオタの泉くんが並んでまで食べたいラーメン屋なら、もしかしたら私だって美味しく食べられるかもしれない。

 そうこれは、あの日私の心に傷を残したラーメン屋を探す前哨戦だ。

 なんて言ったって五年振りのラーメンなんだからガッカリしたくない。

 さすがに泉くんのすぐうしろに並べないから、そのあとに来た派手な格好をした女の人のうしろで暗闇に紛れるようにひっそりと並ぶ。

 それにしても、なんだこの人は? 胸なんか半分、背中に至ってはほとんど見えてる。プリーツスカートだってものすごく短くて、立っているだけで見えちゃいけないものが見えそう――あ、見えた。えっちだ……勘弁してほしい。女の私が見ても目のやり場に困る。これは、なに? 服じゃなくて、布?

 でもまあ、ありがたい。いろんな意味でこんなに目立つ女の人が前にいれば地味な私なんて空気だ。ただの風景だ。

 いつしか、私のうしろにも列はのびていた。何時までやっているお店なんだろう? 本当に人気店みたい。

 そんな時だった。

 私の前の派手な女の人が、手を振りながらぴょんぴょんと跳び跳ねた。その度にふわりと揺れるスカートが気になって仕方がない。

「あ、こっち、こっちー!」

「おー、やっと車停めれたわ」

 男の人が私を押しのけて列に割り込んでくる。とってもイヤな感じ。

「小麦――ちゃん?」

 私を振り返った男の人の顔を見た瞬間、心臓がバクンと大きく跳ねた。胸に拳を落としたような痛みが走る。

「あ……」と開けた私の口から言葉は続かない。

 あの日のイヤな記憶が、絡みつく不安と一緒に蘇ってくる。

 私はその場にしゃがみ込み、震える足を抱えて背中を丸めた。

「え、誰よ、その女?」

「あー、で……」

 あの時と同じ、ラーメン屋で列を作る人の中、思い出したくない聞きたくない声が頭の上から降ってくる。話なんてしたくない。今すぐここから立ち去りたい。

 やっぱり私はラーメンなんか……

「大丈夫ですか?」

 小さく丸まる私の肩にポンッと置かれる手。この声は、泉くん?

 私は顔を伏せたままコクコクと小さく頷いた。

「失礼ですけど、この店では代表待ちはルール違反ですよ? 車を停めにいっていたとかもダメです。店の前の張り紙にも大きく注意書きが書かれているので読んできたらどうですか?」

 少しだけ振り返り目の端っこで見あげると、大人しそうな泉くんが元彼の前に立ちふさがっていた。

「あ? 店にバレなきゃいいんだよ!」

 開いた口が塞がらなかった。

 自分が見つけたとしたら、たとえその人が目くじら立てて怒鳴り散らすくせに。

 この人は全然変わっていない。私の心に傷を残したあの日のままだ。

 泉くんは肩を竦めて並んでる人たちをグルリと見回す。

「これだけの人たちに見られている、のに?」

 周りの人たちはみな、元彼たちに刺すような冷たい視線を向けていた。

 ああ、あの時の私も、みんなにこんな目で見られていたんだ。そう思うと、ギュッと胸が締めつけられた。

 元彼は舌打ちして泉くんの肩に手を置く。

 あの時と同じだ。また、あの時みたいに暴力を振るうつもりじゃあ……

 でも、泉くんまるで怯んでいなかった。

「店の前の駐車場はいっぱいですよね? 貴方は今、コンビニの方から歩いてきましたけど、まさかコンビニの駐車場に車を停めてとか……してませんよね?」

 泉くんの言葉に、元彼の方が目を白黒させてしどろもどろになっていた。

「そ、そんなのみんながやって……」

「そういう人がいるから店が迷惑するんですよ。僕たちだって。貴方のような人と同類だと思われるのは心外です。みんなルールを守ってラーメンを食べに来ているのに。まあ、貴方たちが今日ラーメンを食べられるとは思いませんけど……」

 ラーメン屋の前で並んでいた私たち横をパトカーがけたたましくサイレンを鳴らして通りすぎ、少し先のコンビニの駐車場へ入っていった。

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