第4話 あの日食べたラーメン屋の名前を私は知らない

 雑踏に身を任せ夜の街をゆっくりと歩きながら、おもむろに肩にさげたバッグからスマホを取り出す。

 時間は八時半を回ったところ。

 今日はいろんな意味でとっても疲れた。

 ランチタイムだけじゃ飽きたらず、佐伯さん主催の女子会と言う名の飲み会に強制連行されて、私のラーメン嫌いについて根掘り葉掘り質問責めにあった。

 思い出したくないけど忘れられないあの日のこと。

 味どころか場所も名前も覚えていないラーメン屋でのことなんて。

 しらふでそんな話なんてできなくて、料理もろくに食べず、いつもよりお酒をいっぱい飲んでしまった。

 これは間違いなく二日酔いコースだ。明日が土曜日で本当によかった。

 自動販売機でペットボトルのお茶を買って、少しふらつきながら駅前のベンチに腰をおろす。

 本格的に暑くなる前の、五月の夜風がさらりと頬を撫でる。気持ちいい。

 空を見あげると、空気が澄んでいるのか星がとっても綺麗だった。

 ふと、居酒屋での佐伯さんの言葉が脳裏を掠める。

『結局それって、ラーメン嫌いなんじゃなくてその元彼が嫌いなだけじゃん』

 一通りの昔話を終えてお酒を飲みながらグチグチとくだを巻いていたら、佐伯さんがズバッと核心をついてきた。ついに触れてはいけないところまで踏み込んできた。

 私はグラスに残っていたお酒をグイッと飲み干してテーブル身を乗り出し、それは違うと言い張った。

 イライラしていた元彼と、まるで私たちを責めているような店員さんやお客さん。そんな空気の悪い店内で食べたラーメンは最低だった。

 味なんて覚えていないけれども、まるで粘土をたべているようで本当に美味しくなかったんだ。

『じゃあなんでそのラーメン屋はみんなが並ぶくらい人気だったのよ。美味しくないお店に並んでまでして食べに行くと思う?』

 同僚たちが佐伯さんの言葉に然もありなんと頷いた。

 ――わかっていた。本当はわかっていたんだ。

 ラーメンが嫌いになったあの日、周りが私を責めているようにしか思えなかったあの日、私が嫌だったのはラーメンでもラーメン屋でもない。あの元彼だ。

 でも、それよりももっと許せなかったのは私自身なんだ。

 怯えていた女の子も、周りに頭をさげていたご両親も、元彼が突き飛ばした男の子も、元彼をいさめようとしたおじさんも、イヤな気分にさせた周りの人たちも、迷惑をかけた店員さんも。みんなみんなただの被害者で、元彼と一緒にいた私は加害者側だったのになにを勝手に被害者ぶっていたんだって。

 それを認めたくなくて、私はずっと周りのせいにしてきた。

 ろくに味なんて覚えていなのに、ラーメンが嫌いと言っておけば、ラーメンを食べに行かなければ、ラオタの元彼のせいにできたんだ。

 ぜんぶ八つ当たりだ。最低なのは私じゃないか。

 現実を突きつけられた上にお酒に悪酔いしたのか、気分が地の底まで落ちていく。

『本当にラーメンが嫌いなのか、もう一度そのお店に食べに行ってみたら? 美味しいかどうかはさておき、何年も引きずっているよりスッキリするんじゃない?』

 佐伯さんはそう言って笑った。

 もし食べられるようになったら、一緒にラーメン屋巡りをしようって。

 悪くない。それも悪くない、って思った。その時はもう、ラーメンが嫌いだという気持ちは薄れていた。

 けど、あの日食べたラーメン屋の名前を私は知らない。

 確かこの駅の近辺だったと思うけど、あの時は元彼の車で来たから正確な場所がわからない。

 ふと立ち止まってスマホで駅周辺のラーメン屋を検索すると、ここから歩いて行けるお店だけでも二十軒以上はある。一軒一軒しらみつぶしに探し回るなんて、ずっとラーメン屋に行っていなかった私にはハードルが高すぎる。

 それに、まだラーメンを美味しいと思えなかったら? 食べられなかったら?

 そう考えると、ラーメンを食べてみる気にはなっても、まだひとりでラーメン屋に行くのは怖い。

 佐伯さんについてきてもらえば……でもやっぱり、食べられなかった時に彼女に嫌な思いをさせてしまうのではないかと思うとお願いするのが躊躇われる。だって、彼女はラーメンが好きだから。

 そんな時だった。

 駅に向かう人の波に逆らって歩く泉くんを見かけたのは。

 ジーンズにTシャツというラフな格好で斜めがけのバックを肩にかけている。

 作業着じゃない。当たり前か。私だって制服じゃないし。

 この辺りに住んでいるのかな? もしくはラーメンでも食べに行くに違いない。

 佐伯さんの話だと、泉くんは年間で四百杯以上のラーメンを食べているらしい。

 一日一杯以上。

 それを聞いたとき、すごいと思うよりも呆れて開いた口が塞がらなかった。

 ラーメン一杯千円として、単純計算で年間四十万円がラーメンのために消えている。

 そうまでしてラーメンを食べたいなんて。泉くんもやっぱり、ガチもガチのラオタに間違いない。

 ――でも、彼なら私の探しているラーメン屋がどこかきっと……なんて聞けるわけがない。昼間にあれだけラオタ呼びしてバカにしたのに。

 どうしよう……行っちゃう。

 私の足は、自然と泉くんのあとを追いかけていた。

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