第3話 ランチにラーメンなんて!

 フワリと浮かび上がるようにエレベーターが止まり、乳白色の自動扉が開く。

 真っ先にエレベーターからおりた同期入社の佐伯さえきさんが、歩きながら私たちを振り返った。

「今日のランチはラーメン食べに行こうよ、ラーメン! 昨日テレビを見てたら食べたくなっちゃって……」

 恐れていたことになった。

 イタリアンや中華、韓国料理、その他カフェから飲み会まで、美味しいもの巡りが趣味の佐伯さんの口から、ついにランチラーメンの言葉が出てしまった。

 最近忙しくてお昼はひとり飯が多く、久しぶりにみんなと一緒にランチもいいかとついてきたけど、こんなことなら誘いになんてのらなきゃよかった。

 途端に私の足取りが重くなる。エレベーターを出て、佐伯さんを含む三人の同期の子たちのあとをノロノロついていく。

 他のみんなの口からは反対意見はない。無言の民主主義。

 制服姿の艶やかな曲線のシルエットをくずし、先頭を歩く佐伯さんが私を振り返り首をかしげる。

打木うつぎちゃんどうしたの、そんな浮かない顔をして? 制服のままラーメンを食べるのが嫌だった? それともなにか他に食べたいものあるとか?」

「いや、その、私、ラーメンが苦手と言うか、なんと言うか……」

 オフィスビルのエントランスに、同期の子たちの悲鳴にも似た叫び声が木霊する。

 お昼時で賑やかなエントランスを行き交う人たちが一斉に私たちを振り返った。

「えー、打木ちゃん、ラーメン嫌いなの!?」

「ウソ、そんな人って、いる!?」

「信じられない、なんでー?」

 化け物を見るような目で、みんなが私を取り囲む。

「夜中にお腹が減ったらどうするのよ? カップラーメンとかは?」

 佐伯さんが私の両肩に置いた手を前後に激しく揺らす。ヤメて、フラフラになるから。

 夜中にカップラーメンを食べる生活なんかしていて、口癖が「ダイエットしなきゃ」ってどうなのよ? 矛盾している。

「カップ麺も食べない……」

 ラーメンが嫌い。大嫌い。

 でも、食べられないというわけじゃない。と思う、多分。

 五年前のあの日以来、まったく食べる気にならないってだけで、食べていないからわからないけど。

 ラーメン好きな人のことが嫌いと言っても、佐伯さんや同僚たちのようなただのラーメン好きにまで嫌悪感はない。

 嫌いなのはあくまでラーメンガチの人たち――いわゆる元彼のようなラオタだ。幸いにもあれ以降、ラオタと知り合う機会はなかったけれども。

「私はいいからみんなで行っておいでよ」

 ひとりでカフェもなんだし、今日もコンビニでパンでも買って食べよう。

 すると佐伯さんが私の手をギュッとつかむ。

「打木ちゃん、それはきっと美味しいラーメンを食べたことがないんだよ」

「や、美味しいとか不味いとか、そういう問題じゃなくて……」

 ラーメンがトラウマだなんて説明しづらいし、プライベートはそっとしておいてほしいのに。

 佐伯さんはふと思い立ったように、スマホの上で右へ左へと忙しなく指を動かす。

「えっと、この近くの美味しいラーメン屋……美味しいラーメン屋……食べランキングで……あっ!」

 フッと顔をあげた佐伯さんが、急に手を振りながらビルの出入り口へ向かって走り出した。

「泉くーん、いーずーみーくーんっ!」

 今にもビルを出ようとしていた紺色の作業着姿の泉くんを、佐伯さんが呼び止める。

 印刷機のオペレーター採用で一ヶ月の新人研修を終え、まだ入社したばかりの新卒の男の子だ。

 ただ、工場の人たちと私たち企画課とはほぼ接点はない。社内で見かける程度。それなのに、そんな子にまで普通に声をかけられる佐伯さんのコミュ力ってどうなってるの?

「確か泉くんって凄いラーメン好きだったよね?」

 目が隠れるくらいの長い前髪のすきまから、泉くんがいぶかしげに佐伯さんを見る。

「え、はあ、まあ」

 私の体が強ばる。という言葉に反応してしまった。

 似ても似つかないのに、泉くんに元彼の姿が重なって見えた。

 佐伯さんは嬉々として泉くんの手を両手でギュッと握る。

「じゃあさ、この辺りで泉くんのオススメのラーメン屋さんを教えくれる? 混んでなくて美味しくてリーズナブルなラーメン屋さんを! ね?」

 大きな目でバチンとウインクする。

「え、ヤです」

「は? え、なんで?」

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、佐伯さんが目をパチクリさせる。

「ちょっと、なによその言い方! 佐伯さんに失礼じゃない! 美味しいラーメン屋を教えてくれるくらい……あ、どうせ行きつけのラーメン屋が混むのがイヤだとかそんな理由なんでしょ! たかがラーメンで、だからラオタって自分勝手でイヤッ! 大体なんで私がラオタのせいでラーメン嫌いにならなきゃいけないのよっ!」

 ハッと我に返った時にはもう、泉くんをろくに知りもしないのにラオタと決めつけて、ありったけの怒りをぶちまけてしまったあとだった。

 泉くんがこぼれ落ちそうなくらい目を丸くしていた。

 佐伯さんも、同期のみんなも。

 ……やってしまった。恥ずかしい。

 隠さなきゃいけないことでもないんだけど、わざわざ公言する必要もなかったのに……

 佐伯さんの口元にニタッと笑みが浮かぶ。私を見る目が好奇に満ちている。怖い。

「みんな、時間が惜しいから今日は角の喫茶店ランチねっ!」

 みんなが首を傾げ顔を見合わせる。

「打木ちゃん、そのラーメン嫌いの話、詳しく聞かせて!」

 やぶ蛇だ。

 ラオタの――泉くんのせいでこんなことに……

 だからラオタは嫌いなんだ。

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