第11話 クズ、人間の感覚に縛られる

 アンジェが何事かと地図から顔を上げるが、ちょっと説明するより実際にやってみるのが先だ。


 影糸をずっとずっと伸ばして、階段を上がった先まで伸ばして……視界共有。


『土壁にでこぼこ地面が、天井も壁も床も石造りの材質に変わっている。で、その先に何かの気配がある』


 視界どころか【気配察知】も使える、影糸は俺の一部だ。そうだ、魔影の集団行動中も視界は全方向が見えていた。人間の感覚が視界を狭めていたし、丸いものはと思っていた。


『なあアンジェ、俺は人間か?』

『い、いえ! 魔影さんです』


 そうだよ、俺、人間じゃないんだよ。先入観が邪魔して魔影の基本能力すら使いこなせてなかった! 影糸はどこまでも伸ばせるし、1本だけじゃなくて何本でも展開できる。


『アンジェの地図いらなかったよ!』

『ええっ!? そうなんですか! いえ、別にいいですよ』


 アンジェが不服そうな顔をしたが、――また別の何かでシェイドの役に立てるように頑張ろう。と心の声らしきものが伝わる。


 ――俺に尽くす心があればいくらでも機会はあるぞ。


『へあっ!? え、いまシェイド何か言いましたか? えっ? えっ?』


 なるほど念話じゃなくて、心を読んだり伝えたりもできるのか。不要なときはオフにしておかないと終始うるさいな、アンジェの一番強く思っていることを聞き続けても仕方ないし。


『こればかりはアンジェに任せられないか。うーん、面倒くさいから必要なときにまた考えよう』


 また忘れそうだけど。


 今必要なことは、この場所から脱出すること。

 影糸だけなら誰にも気づかれずに探索も偵察もできるから、これはやる。

 次に最大の問題、便器の影に入れている俺の魔核コアを安全かつ素早く移動する方法を考える。


『魔影の性能を使いこなすためのポイントは〝イメージ〟だな。人間の俺には考えつかないことが魔影ならできる、だから常識を捨てないと』


 人間の頃から常識や倫理を捨ててきた俺だけど、人間をやめたことはなかったし魔影の体にもっと慣れないと。


「ゴフゥ! 地下が騒がしいな、やれやれ奴らは何をやっているん、だああぁぁあぁあ……――」


 影糸を伸ばして探索してたら強者ムーブかますワンサイズ大きなゴブリンがいた。ホブ的な? グラー隊長格だし、面倒くさいから魔空しておく。


『……影糸が増えるとそれだけ魔空のモニターも増える、いやこれも本来はいらないんだよな』


 とはいえ、いきなり全ての視界を同時に確認しながら、何かを判断することなんて俺には無理。急募! 並列思考。


 石造りの階全体に影糸を伸ばしたら、一つずつ確認していこう。いや、アンジェにも確認させて俺の負担を減らさねば。


『シェイド、この部屋はこの屋敷で働いている人たちの寝る場所かもしれません』

『お、本当だ。誰もいないけど今って昼? まあいいや、タンスを物色しておこう』


 他の部屋には、武器を手入れしているゴブリンやタバコっぽいものを吸ってサボっているゴブリンもいる。全体を俯瞰していく、影糸も天井や壁、床に這わせて空間を立体的に――


『うん、無理だなこりゃ』

『諦めるの早ッ!? ……でも、これなら地図はいらないか』


 モニターが浮かぶ空間に、階層ごとに立体的な地図が出るようになった。アンジェが落胆したが、地図に集中する時間を省略した分もっと頑張ってもらおう。


「おら、どけどけ! グララ様が呼んでいるんだよ。どけどけー!」


 働く人間たちを押しのけながら向こうから走ってくるゴブリン。影糸の先を広げて落とし穴風の魔空を展開……展開、あれ遅いな?


 どたどたと振動が大きくなるが、待ってくれ。まだ魔空が広がってない。


「今すぐ行くんで待っててくださ……ッ!? んぼげえらーん!」


 間に合わなかった。ゴブリンが走っていた勢いそのままに、片足を俺の魔空に突っ込んで、体が前に大きく投げ出されて壁にぶつかった。

 魔空の展開速度が遅いのは距離か? 距離の問題なのか?


『とりあえずこの気絶しているゴブリンをどうにか回収できないか』


 狙った獲物を外したまま放置するのも収まりが悪い。中途半端な大きさになった魔空穴をゴブリンに近づけていく。壁側に回り込んで頭ぐらいなら入る、肩のところで引っかかった。


『遅いな』


 通信速度制限にかかったようなもどかしさ。

 今まで部分的に魔空に突っ込んだことも、上からかぶせたこともなかったけど、魔空の地面にゴブリンの頭だけがニュッと出ている状態だ。上から魔空すると下から出る、変なの。


『シェイド、誰かが下りてきます!』

『うお!? ホブっぽいのが! 魔空展開――……早いやん』


 遠くの敵より近くの敵。さくっと魔空へご招待。


 魔空の展開速度だが、魔核コアに近いほうが早いようだ。そしてもう一つ、魔空を閉じる速度に距離は関係ない。なぜそんなことがわかるかって?


 ――キャァアアアアアアッ!!!!! 石造りの回廊に響く女の声。


 その場にへたり込み、浅い呼吸を繰り返す女の前には――


『首のないゴブリンがいた……アンジェ、〝首無しゴブリン殺ゴブ事件〟が起きた。まだ犯人は近くにいるぞ』

『ナチュラルに自分を容疑者から外したっ!? いえ、そうですね。犯人か、おーい出ておいでー』


 アンジェ、もっとやる気出せよ。

 

 それにしても、今まで丸ごと魔空していたから気づかなかった。

 を魔空するとどうなるか、答えは首無しゴブリンだ。魔空の地面に転がるゴブ首。気持ち悪いから吸収して魔素に変えてしまおう。


『これ、使いようによっては――』


 影糸に魔空をつけたり……?


『シェイド、人やゴブリンさんが』


『あの女の叫び声デカかったもんな。そりゃ様子見に来るか。まとめて魔空送りしたいけど、穴を広げてる間に逃げられそうだ』


 階段を上がった先ぐらいなら、ノータイムで広げられるんだけど。仕方ない、あいつらはしばらく放置だ。

 それとグララ様とやらが近くにいるはずだが……。もしや、あの強者ムーブのホブゴブがそうだったら、首無しゴブリンは完全に無駄死にだな。


『ネックは魔核コアと魔空の距離か。移動方法を考えるか、アンジェ何か良いアイデアを』


 こんなときは魔影博士の出番だ。


『えっあ、えと転がって進む以外に。魔影さんの種族は影に入ること……そうだ! 影から影に移動できちゃうとか、あ、ごめんなさい。きちんと〝魔影の記憶〟で調べてきます』


 影から影に……? どうやってだよ。

 魔影の記憶にもと思う。魔影は生き物だし。移動手段を考えることはしないだろ。


『つまりこういうのは試すしかないってことか』


 ゴブリンのような人型は参考にならない、魔影のような不定形の生物は他にいれば……あ。


『そういえばアンジェ、この世界ってスライムとかいるのか?』

『スライム、ですか? いますよ、すぐ近くに』

『あなたの後ろに……? 急なホラー展開かよ』

『いえ、そこのトイレの中とか、いるはずです』


 トイレ、汲み取り式のぼっとんする奴だと思ってたけどスライム?


『スライムは何でも消化しますので、どこのお家のトイレにも数匹は入っていると思います』


 あー、そういう。下水処理施設とか浄化する機械の居場所にスライムがいるのか。


『ファンタジーかよ! ファンタジーだった。トイレのお掃除要員なら、話せるほど知識はないよな。ちょっと残念』


 ――おいらベロってんだ、怪しいものじゃないよ。友達になろう。


 じゃない、そっちは3本指の妖怪少年だ。怪しさの塊。


 ――ボクわるいスライムじゃないよ、いじめないでよー。


 うん、こっちだ。スラリンには会えないのは少し寂しいな。もしいたら、ツンツンして遊びたかった。


『ええと……スライムは魔獣ですけど、進化したスライムさんは魔物として認知されています』


 魔獣と魔物の違いがわからないけど、進化か。

 俺も魔影が進化したもんだし、スラリンはどこかにいるのかもしれない。


『いやスライムの話はいいんだよ、今は移動方法を調べてる最中でしょうが! ほらほら、仕事に戻って!』

『あっ! そうでした、ごめんなさい。……あれ、なんでスライムの話になったんだっけ』


 それは俺が話を振ったからだ。

 でもこういうのは勢いで言ったほうが勝つのだ。


『あー、それでアンジェよ。スライムの話ついでにあいつらがどうやって移動しているかを確認してくれ。それなら魔影が見ていた可能性が高い』


『どうやって? ええと……これだったかな』


 小走りでアンジェが書庫に入り、すぐに一冊の本を抱えて戻ってきた。

 背表紙に書かれたタイトル〝魔影の記憶・みんな大好きスライム特集〟ピンポイントすぎる。


 アンジェが開いたページを俺も流し読み。――やっぱりそうだ。


 スライムは隙間さえあれば、中に入り込める不定形生物だ。魔核コアがあるにもかかわらず、だ。


『ゴブリンの魔核コアは硬い石のようだった。魔影もパキッと割れるイメージだったから硬いと思い込んでいた。スライムと同じく不定形の魔核コアなら、どんな形にもなれるんじゃないか』


 つまり、そう……つまり、不定形生物のカテゴリーに入る魔影の魔核コアも――

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