エピローグ

花姫は神のもとで愛を誓う

 とうとうこの日がやってきてしまった。フィリオーネは白いいドレスを身にまとい、祭壇の手前に立っていた。

 ほとんどの場合は花嫁が後から入場するが、フィリオーネは次期女王である。

 次期国家元首である彼女が先に待ち、その配偶者となるライリーンの君が入場するのだ。


 彼は直前まで顔を隠して過ごすらしい。

 なんとも面倒なしきたりである。しかし、フィリオーネはエアフォルクブルク帝国の第二皇子をぞんざいに扱うつもりはない。しきたりにけちをつけて軽んじる態度を取れば、それはライリーンの君への侮辱にあたる。

 どこを気に入ってくれたのかは未だに分からないが、フィリオーネの為に国を捨ててこの場に立つのである。その気持ちに最大限報いようとするのは当然のことであった。


 もうすぐ、夫となる男が現れる。フィリオーネはそっと目を閉じてその時を待つ。ライアスが自信を持って推薦する相手である。ライアスへの気持ちは全くと言っていいほど薄れていないが、きっと大丈夫。

 ライリーンの君との婚約が成立した時にライアスは喜んでいた。だから、本当に心配はいらないのだ。たとえ、式が始まるまでひと言交わすことも、対面することもできない相手だとしても。


 静かに時を待つフィリオーネの耳に「ライリーンの君、入場」という言葉が入る。遂に、である。しかしフィリオーネはすぐに目を開けることができなかった。

 目を開けてしまえば、現実が見えてしまう。突然フィリオーネに恐怖が湧き上がる。


 どうしましょう。受け入れたはずなのに、今さら怖いだなんて……!


 表情を歪めそうになった瞬間、場内にどよめきが広がった。フィリオーネはライリーンの君が入場する時の動きを頭に浮かべたが、どよめきが広がる理由が分からない。

 入場したら立ち止まり、仮面を外す。そしてフィリオーネの元へ歩き出す。

 それだけのはずだ。

 フィリオーネは勇気を出して目を開ける。それは勇気というよりも好奇心だったかもしれない。そして、己に向かって真っ直ぐと歩いてくる男を視界に収めた。


「……え?」


 仮面を手に歩いてくる青年の顔に、フィリオーネは見覚えがある。


「…………は?」


 立ち振る舞いは以前よりも堂々としていて、確かに皇族に。雰囲気だって、それ相応だ。しかし、である。


「――ライアス?」


 そう、である。見間違えようもない。これが、どよめきの理由か。フィリオーネは納得した。フィリオーネと噂になっていた、あの期間限定の宰相が、つい先月退任したばかりの元宰相が、この場にいるのだから。

 近づいてくる彼の手にある仮面をよく見れば、ライリーンの花だけではなくアスリーンの花も描かれていた。やられた。フィリオーネは全てを理解する。


「……黙っていてすまない」

「…………」


 目の前までやってきたライリーンの君――正体はライアスだった――は口を開くなり謝罪した。

 ライリーンの君がライアスだったら……とか、失礼だから考えないようにしていたのに、結果が

 フィリオーネは、この結婚式という周囲の視線がある中で、彼に何を言えばいいのか分からなかった。ただ、いるはずのない人物が、自分の夫となる人間がいるべき位置に立っているのを呆然と眺めるだけである。


「フィリオーネ?」

「え、ああ……ええと…………本物?」

「本物だ。私はエアフォルクブルク帝国の第二皇子、ライアス・アルバストゥル・エアフォルクブルク。フィリオーネのものになりに来た」


 フィリオーネのぼんやりとした言葉に、ライアスが口上を述べ、片膝をつく。新郎入場からの挨拶が始まった。フィリオーネは驚愕から戻れないものの、頭の片隅では結婚式の流れを追いかけている。


「……神に祝福された地、花に囲まれた地、それを守る礎となるべく馳せ参じました。神からの祝福に甘んじることなく、平和な世界を維持することを誓い――」


 すらすらと彼の口から語られる宣誓の言葉、まろやかで穏やかな気持ちになる声、フィリオーネが好きだと思っていたライアスそのものだ。

 ……本当に、本物なのね。

 フィリオーネが目の前にいる第二皇子が本当にライアスなのだとようやく実感する頃、宣誓が終わった。


「ようこそ、新たな守り人よ。その決意、我が伴侶として認めましょう」

「ありがたき幸せに存じます」


 このグライベリード王国の礎となる誓いが終われば、こんどは夫婦の愛の誓いである。フィリオーネはだんだん恥ずかしくなってきた。

 これから、新たな気持ちで愛を育もうという誓いになるはずだったのに、愛する相手が隣にいるのである。


「隣に立つ者へ愛を誓い、神にそれを主張しますか?」

「……します」

「します」


 司教に動揺を悟られないようにするべく、フィリオーネはじっと司教を見つめた。フィリオーネに見つめられている彼の表情が固いが、きっと彼も緊張しているのだろう。


「では、誓いの口づけを」


 最後に鼻をすり合わせた時のことを思い出す。あの配慮は、何だったのか。今さらながらにむかむかしてきた。


「……フィリオーネ殿下?」


 ライアスに向き合おうとしないフィリオーネに、司教の怪訝そうな声が届く。

「気にしないで」

 フィリオーネは司教に微笑みかけるとライアスへ向き合った。


「ライアス」

「……はい」


 フィリオーネが挑むようにライアスを見つめると、彼は小さな緊張を走らせる。


「覚悟して」


 フィリオーネはそう言うなり、ライアスの頭を鷲掴みにして顔を寄せる。フィリオーネはその乱暴な仕種とは真逆の優しい口づけを与え、微笑んだ。

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