閑話12 準備を進める元宰相殿

 ライアスは、自分のしていることがフィリオーネの気持ちを裏切る行為であると、薄々感じていた。フィリオーネと元宰相として別れたライアスは、そのまま王宮を去る。

 一度城下町にあるアルバストゥル家の屋敷に下がり、そこからエアフォルクブルク帝国の第二皇子として戻る予定である。ライアスは自室に戻ると盛大なため息を吐いた。


 別れの時、切なげに揺れる目を見た時、心底己を愚か者だと思った。幸せにすると約束はしたものの、それは結果論的な考え方だ。フィリオーネの“今”はまさに不幸そのものではないか。

 彼女のことを泣かせてまで、自分は好きな女の隣に立とうとする。それがいかに浅ましいことなのかを、フィリオーネの涙を拭う資格のないライアスに突きつけてくる。


 元気のないライアスに気づいたジークがそっと彼の足元に座る。少しだけ触れているところから、じんわりと体温を感じた。

「おまえ……いい子だな」

「くぅん……」

 心配げ、というよりも穏やかな視線でライアスを見上げる犬に、ライアスは力なく笑む。

「ジーク、ありがとう」

 すぐに土下座して許しを請いたい。優しい愛犬を撫でながら、ライアスは不可能なことを考えていた。




 結婚に際してナーバスになるのは花嫁の特権だと思っていた。が、どうやらそうではないらしい。いや、ライアスのこの状況が特殊なだけで、他の世の花婿はそうなのかもしれない。


「ほら、ライリーンの君。しっかりしてくれないと困る!」

「相変わらず手厳しいな、ボグダンは」


 結婚式を明日に控えたライアスは皇族とは思えないくらいひっそりと王宮入りを果たしていた。ライアスの顔を知る者は多い。仮面をつけて人目を避けるようにして現れた第二皇子は、中々の違和感を与えたかもしれない。

 ひっそりとせず、堂々としていた方がマシだったのではないかと言うボグダンの意見は正しいと思う。ライアスは式の直前まで不用意に外すことのできない仮面をなぞり、ため息を吐く。


「それ、特注品なんだから大切にしろよ。ちゃんと両方の花が彫られているんだから」

「……この仮面で私の正体がバレやしないか?」

「珍しすぎて、よほどの知識人じゃなければ分からないだろ」


 ライリーンとアスリーンの花、両方を使った意匠は珍しい。ライアスの名前の由来を知る者であれば――特にフィリオーネとか――は気がついてしまうのではないだろうか。だが、その彼女と会うのは結婚式である。


「何で日取り、5月1日にしたんだ……」

「勝手に盛り上がって、早い方がいいとか言って陛下ときゃっきゃしてたの……俺は見ていたぞ」


 そうだった。グライベリード王国の国王アディネルと話が盛り上がり、任期明け早々に式を上げようということになったのだった。

 フィリオーネの気持ちも何もかも考えず、浮かれて突っ走った結果がこれである。


「当時の自分の首を絞めに行きたい」


 ライアスは両手で顔をおおった。


「無理だろそれ。っていうか、そんな情けない顔するなよ。仮面越しにも分かるぞ……お前が決めたんだ。フィリオーネ姫を散々振り回してきたツケくらい自分で払いな」

「……それくらい、わかっている」

「おや、我が弟は――マリッジブルーというものか」

「兄上」


 部屋に入ってきたのはライアスの兄ロザムンドだった。彼はライアスに微笑みを向ける。


「我が新しい義妹は、とてもいい子だな」

「……話をしてきたのか」

「いよいよ明日だが、本当に大丈夫なのかと確認してきた」

「はっ!?」


 ロザムンドが再びフィリオーネに失礼なことを言っていないか不安になった。


「怒るな。念の為だ。しかし彼女は素晴らしい。優雅な笑顔で“心配はいらないわ、お義兄さま”と言ってきたぞ。この国の次期女王でなければ、ナスルと出会う前であれば、嫁にしたかった」

「兄上!」


 冗談だと分かっていても心臓に悪い。ライアスが詰めよれば、彼は嬉しそうに笑う。


「……あの様子ならば、大丈夫だ。だが、本番に殴られるかもしれないな。彼女はしっかりと覚悟を決めている。その覚悟を台無しにするのだから、それ相応の反応はお前も覚悟しておけ」

「わかっている……」

「ああ、それで気が重いのか。自業自得だな」


 なるほど、と頷いている兄を半眼する。


「兄上のせいなのに」

「……ややこしくしたのはお前自身だろう、ライアス。さっさと正体を明かせば良かったのだ」


 なんと言う言い草だ。ライアスはむっとしながら答える。


「しきたりを破ることはしない」

「破らなくて大丈夫だが?」

「……は?」


 大丈夫、とはどういうことか。ライアスの表情に、ロザムンドが初めてライアスのことを憐れむような顔で見つめた。


「フィリオーネは次期女王であり、お前の妻となる人間だ。名を明かすことは問題にはなるまい。どうして明かしてはいけないと思った?」

「…………」


 言われてみれば、確かにロザムンドの言う通りだった。名を周知する前に明かしてもいい相手は他国の王、もしくは配偶者となることが確定している相手である。つまり、フィリオーネはほぼ両方を兼ね揃えていると言っても過言ではない。


「…………私の、この一連の流れは」

「私からすれば、茶番のようなものだったな」

「兄上の人でなし」


 なんということだ。ライアスは力なく呟きしゃがみ込む。

「ははは、私は次期皇帝だからな。おめでとう、ライアス。お前は色々と頑張ったな……うん」

 上機嫌なロザムンドに撫でられたライアスは、本気で少しだけ泣いた。

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