3月 姫と宰相、互いに思い合う
第1話 フィリオーネ、結婚式の準備を進めつつも宰相と睦み合う
フィリオーネはウェディングドレスの仮縫いチェックをしてもらいながら、いつも以上に優しくて普段通りに勉強には厳しいライアスのことを考えていた。
「殿下はどうしたいですか?」
ライアスが聞いてきたのは、メタリナの君と話をした翌日であった。フィリオーネは逡巡した後、ありきたりで平凡な答えを出した。
「私、あなたとの時間を大切にしたいわ。贈り物とかの形が残るものはいらないから、ライアスと過ごしたい」
「……なるほど」
「お話がしたいわ。どんな些細なことでも、勉強に繋がるような難しい話でも」
それからフィリオーネは語った。メタリナの君が言うように開き直ってしまえば、逆に別れがつらくなる。燃え上がるような恋愛よりも、陽だまりのような時間にしたいのだ、と。
しかし、フィリオーネの要望を一方的に押しつけることはしたくない。
「ライアスはどうなの?」
「私ですか。私は、殿下が残りの期間を心穏やかに過ごせるのならば、可能な限りその考えに寄り添いたいと思っておりますよ」
ライアスは、どこまでもライアスだった。ここまできても、ライアスはフィリオーネの未来を見据えている。
「殿下の結婚にケチがつかない程度に、殿下の願いを叶えてから去ります」
「……あなた、潔すぎではないかしら?」
「殿下を不幸にしたくないので。それが私なりの誠意です」
普段通りに笑う姿が少しだけ寂しく、しかしライアスの言葉にフィリオーネはほっとするのだった。
そうして始まった日々であるが、なかなか窮屈なスケジュールである。フィリオーネは結婚式の準備が始まり、ライアスは退任の準備が始まった。しかし、勉強の時間は減らさない。
フィリオーネの願いを叶えようとライアスが考えたのは、勉強時間の確保であった。フィリオーネは本来自由時間であった場所に結婚式の準備を差し込んだ。
「フィリオーネ姫、きついところなどありますか?」
「問題なくてよ」
「ありがとうございます。それでは、裾などの微調整をさせていただきます。何かありましたらすぐに仰ってください」
仕立て屋の言葉に頷けば、彼女たちは作業に集中する。てきぱきと動く姿をぼんやりと眺めるフィリオーネは、着々と進んでいく準備に本当に結婚してしまうのだと実感する。
私、ちゃんとライリーンの君と結婚できるかしら。彼との生活がまったく想像できないのって問題よね。
装飾を待つだけの衣装を身につけた自分の姿に、フィリオーネはそっとため息を吐いた。
準備が進んでいく中、ライアスとの勉強会は厳しさを増していた。
「殿下、ここはそうではありません。今回に関して重要なのは……」
フィリオーネが取りこぼした情報をすくい上げ、ライアスが解説をしていく。相変わらずライアスの考え方は抜けがないように感じられるし、彼の解説は分かりやすい。それに、ライアスの声をずっと聞いていられるのだ。
フィリオーネは真剣に勉強はしていたものの、少しだけ浮かれていた。好きだと自覚してしまえば、彼のどんな仕種でも見逃したくない。これが恋なのか、とフィリオーネは少し不謹慎だと思いながらも感心していた。
「殿下? ……フィリオーネ? ちゃんと聞いている?」
「き、聞いてるわっ!」
名前を呼ばれたフィリオーネは焦りながら、彼の解説を要約する。
「今回の災害の原因は、大地の中で凍っていた水分が溶けて地盤がゆるんだことによるものだから、警戒しようのないものだったのよね。
私は周辺で行われていた工事が原因だと考え、工事の中断で解決しようとしたけれど、それはただ働き口を減らしただけだった……でしょう?」
「その通りです。では、対策は?」
ライアスの期待に応えるべく、端的に回答する。
「事前に大地の中の様子を確認するように法を調整する」
「その場合には、ちゃんと基準も設けた方が良いでしょうね」
フィリオーネの答えは及第点ぎりぎり、といったところだろうか。ライアスが頷きながらつけ足した言葉に、フィリオーネはきゅっと唇を結んだ。
「殿下、宰相である私を簡単に越えられるわけがないでしょう。そんなに悔しがらないでください。形のいい唇がかわいそうですよ」
フィリオーネが贈ったペンの軸を使い、ライアスがフィリオーネの唇をつついてくる。フィリオーネが1月に感謝の気持ちを込めて贈ったのは、筆記具のセットだった。ライアスをイメージして調合したインク、ペン軸は金属と木を組み合わせて作られた特注品である。金属部分は特殊な加工がされており、ライアスの髪色のような複雑な色を生み出している。
使ってくれているのは嬉しいが、使い方がおかしい。次第に尖っていくフィリオーネの唇で遊ぶライアスは機嫌が良さそうだが、フィリオーネは納得いかなかった。
「ちょっと……私の贈り物で遊ばないで」
「これくらい、許してくれてもいいと思うよ。フィリオーネ」
ライアスがフィリオーネの名を呼び「直接触れるわけにはいかないからね」と続けてくるものだから、フィリオーネは固まってしまった。
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