閑話10 試されていた宰相殿

 ライアスは全てを台無しにしてきた兄に対して怒っていた。まさか、彼がフィリオーネに「第二皇子との婚約を取りやめて自分と結婚しないか」と持ちかけてくるとは思わなかった。

 それも「そうすればライアスと事実婚できる」とつけ足した。最低である。深夜に自室へ訪問してきた兄――ロザムンドに向け、ライアスは突っかかっていった。


「兄上! いったいどういうことか説明してほしい」

「お前が一人二役でフィリオーネを惑わすのが悪い」

「はぁっ!?」


 悪びれもせずに引っかき回した理由を言うロザムンドに、ライアスは全ての仮面を脱ぎ捨てた。


「いや、兄上の言う通りにしただけだろ。どうしてこうなる?」

「私のアドバイスが手遅れだったからだな……その点に関しては謝罪しよう」

「そ、んな……!」

「お前、フィリオーネのあの視線に耐えられるか? あれは、堪えるぞ」

「ぐ……」


 兄の言うことはもっともだった。

 フィリオーネは先月から、時々切なそうに見つめてくる。諦めと、悲しさの込められた視線にさらされ続けて平気でいられるわけがない。

 その視線から逃げる為、ライアスは能天気を装って過ごしている。「あなたの宰相ですよー」なんて、普通は頻繁に使う言葉ではない。くだらない言葉を使うことで、変な空気にならないようにしていたのだった。


「それにしてもライアス、本当にフィリオーネを好いているのだな。安心したよ」

「は?」

「フィリオーネのことを考えずに、自分本位なだけだったらどうしようかと思っていたのだ」


 そう言ってロザムンドは笑う。


「フィリオーネのことだけを考えた叫びを聞いてほっとした。私はお前が第二皇子と結婚しないことについてを糾弾したり、私の案に同意したりしたら、完全白紙にするつもりだったのだ」

「な…………」


 ライアスは目を見開き言葉を失った。目の前に立つ男は、確かにライアスよりも広い視野で以て全てを考えている。生まれた時から帝国を導くと決められていた男として育ったからこそであろう。

 グライベリード王国が特殊な国でなければ、フィリオーネはこの男と添い遂げた方が幸せになれたかもしれない。そんな考えが浮かんでしまい、ライアスの胸を締めつける。


「別に、第二皇子が死んで、アルバストゥル家のライアスとして生きてもいいんだぞ。私はその道を否定しない」


 兄はどこまでも優しく、そして残酷だった。ライアスは長い息を吐き出す。


「……それは、自分の生まれを否定することだ。したくない」

「それでこそ我が弟だ」


 がさごそとライアスの棚を漁り、酒を取り出した彼は勝手に飲み始める。よく場所が分かるものだ、と兄の洞察力に感心しつつ気持ちを入れ替えた。


「……ところで、私はこれからの時間、フィリオーネとどう過ごせと?」


 グラスを傾けた兄は、ライアスに向けてくすりと笑う。小馬鹿にされているのはライアスにも分かったが、我慢である。


「羽目は外すなよ。結果的にフィリオーネの夫になるのはお前だが、宰相のライアス・アルバストゥルではない。フィリオーネの評判を落とすようなことはするな」

「そ、それはもちろん――って、そういう意味ではなく!」


 ライアスは兄の許可があろうとも、フィリオーネに必要以上に触れるつもりはない。慌てて否定してから彼の顔を見て、からかわれたと知る。


「兄上は意地が悪い!」

「フィリオーネの好きにさせれば良い。彼女に残りの数ヶ月を快く過ごしてもらおうってだけだ」

「その加減が難しいんだって」


 ライアスはロザムンドのグラスを奪って中身をあおる。度数の高い液体がかっと喉を焼いた。


「ライアス、持ち前のを使って彼女に尽くしてやればいい。お前ならできるはずだぞ」

「……そんな、簡単に言うなよ」


 空になったグラスを返せば、彼は酒を注いでライアスに手渡してくる。


「それにしても、兄上があんなことを言い出すとは思わなかった」

 ライアスはそれをありがたく受け取ることにし、ロザムンドには新しいグラスを用意してやる。彼はゆっくりとグラスを回しながら笑む。


「本気にしたのか?」

「血の気が引くくらいには……」


 正直に答えれば、笑われてしまった。だが、あの提案を聞いた瞬間、フィリオーネがどれほどの衝撃を受けたかと思えば、もう冷静ではいられなくなってしまった。


「ははは、私にはナスルがいるからな。まずはあの提案が本気ではないと気づくべきだった。彼女の存在を忘れて焦ったライアスが悪い」


 ナスルは僻国の姫だ。ライアスはまだ幼く、ぽんやりとしたふわふわの少女を思い浮かべた。フィリオーネよりも年下の少女。ライアスより三歳年上のロザムンドとは十六も離れている。


「彼女も大変だな……こんな意地悪な男に見初められて……」

「ナスルが大人になった時に拒絶されないよう努力しているところだ。お前も努力しろ」


 何しろ、お前は立場がややこしいだけなのだから。と付け足されてしまえば、ライアスは何も言えなくなる。彼の場合は年齢という大きな壁がそそり立っている。ナスルが成年するまで、あと五年はあったはずだ。ライアスとは規模が違う。

 その点、ライアスの方が短期間で決着がつくのだからましなのかもしれない。とは思うものの、感情はそう簡単に制御できない。


「もう、宰相やめたい……」

「やると決めたのだから、ここまで来ておいて逃げるな」

「……はぁ」

「自業自得だ。私と同じくな」

「嬉しくない」


 ライアスがむすっとした顔で言えば、ロザムンドは嬉しそうに笑った。

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