第3話 お姫様は悩むお時間

 遅れた分を取り戻すかのように容赦なく進んでいく勉強に、フィリオーネはライアスの言葉や慈愛の口づけのことなど、すっかり忘れてしまっていた。しかし、そういうことは、ふとした時に思い出してしまうものである。

 ゆったりと湯に浸かって体を温め、丁寧に長い髪を乾かしたフィリオーネは、ベットで横になったところでを思い出した。


 愛らしい、大切にします、我が君、全て聞き慣れない言葉である。幸せで聡明な女王、とはフィリオーネの未来を思った発言だと想像できるが、直前の話やキスとは繋がらない。

 それに、唯一無二のパートナーだと思ってほしいというのもピンとこない。必ずやり遂げる、というのは心強い気もするが、何をやり遂げるつもりなのかフィリオーネには分からないから、なんだか不穏でもある。


 結局、ライアスが何を考えての発言だったのか分からない。ライアスはフィリオーネに対して、ライリーンの君との結婚がうまくいくようにと動いてくれているはずである。だから、あれは客観的なものからくる言葉であるべきだ。

 しかし、あの発言は本当にそういう意味だろうか。フィリオーネには、違うように感じられた。


 ――でも、ライアスは宰相だから、そしてライリーンの君のいとこだから、言い方が混ざってしまっただけかもしれないわ。


 フィリオーネは、納得できそうな説をむりやりはじき出す。

 大丈夫。ライアスは私側、グライベリード王国の立場を優先して考えてくれるって言っていたもの。最近の態度はおかしいけれど、私たちの為に頑張ってくれているから。

 ライリーンの君とも手紙でやり取りしているはずだし、きっと、そういうことよ。

 頭の片隅ではまったく納得いっていないことを理解していながら、フィリオーネはぎゅっと瞼を閉じた。




 なんだか、ちゃんと眠れなかったみたい。

 目覚めたフィリオーネは、気だるさの残る体を起こしてため息を吐いた。近くにあるベルを鳴らし、侍女を呼ぶ。

「フィリオーネ様、お加減が優れないのではありませんか?」

 そんなに疲れた顔をしているのかしら。

 フィリオーネは心配そうに聞いてくるダチアに向けて微笑んだ。


「大丈夫よ。昨日、ちょっと考え事をしてしまったから、そのせいかもしれないわ」


 フィリオーネに心当たりがあるのなら、と小さく笑みを作った彼女は普段通りにドレスの用意をはじめるのだった。


 そうしていつもと変わらない生活を始めたフィリオーネだったが、何となく体調の悪さを引きずっていた。今日は早く休んだ方がいいかもしれない、と考えていると約束の時間きっかりにライアスが現れた。


「殿下、今日は――お勉強はやめましょうか」


 にこやかに登場したライアスは笑顔を微笑に変え、フィリオーネの足元に膝をつく。

 どうしたのかしら、そんな改まって。

 珍しい姿に瞬きを繰り返すフィリオーネの手に、ライアスはそっと触れる。ライアスの手がひんやりとして心地良い。前に彼の手をひんやりしていると感じたのは雨に打たれていた時だったか。そんな取り留めのないことを考えてぼんやりとしているフィリオーネの耳に、ライアスの声が割り込んできた。


「あまり顔色がよくありませんよ。あと、普段よりも目がとろんとしています。寝不足ですか?」


 ライアスに見上げられるのはあまりないことだ。フィリオーネはまっすぐに見つめてくるワイン色の目をじっと見つめた。


「私は大丈夫よ。ちょっと寝つきが悪かっただけなの」

「なりません」


 子供に言い聞かせようとする大人の態度を見せてくるライアスに、フィリオーネは唇を尖らせて対抗した。


「……強情っぱりね」

「それはこちらのセリフですよ」


 ライアスの言動が気になって、こうなったのである。フィリオーネは元凶である彼が諦めるまで粘り強く対抗するつもりだ。しかし、相手はやり手の男である。フィリオーネとの対決を、強制的に終わらせにかかった。

 ライアスはフィリオーネをさっと抱えあげて立ち上がる。 あっという間の出来事にフィリオーネが驚いている間にどんどん物事が進んでいく。


「ダチア、殿下の体調が優れないので寝室へお邪魔してもよろしいか」

「少々お待ちを!」


 慌ただしくダチアが去り、代わりにコドリナが現れる。

彼女の誘導でライアスがフィリオーネの寝室前まで移動する。

 相変わらずフィリオーネを抱き上げての移動は安定しており、安心感がある。しかしフィリオーネは何となく落ち着かない気持ちになった。


「……大袈裟ではなくて?」


 抱き上げられて暴れるわけにもいかなくなったフィリオーネは、仕方なくライアスに身を預けて文句だけ口にする。

「これくらい大袈裟にしないと、あなたは倒れるまで勉強をしようとするでしょう。大丈夫なうちに休んでください」

 そんな会話をしている内に、寝室の扉が開くのだった。

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