第3話 癒しの代わりに慈善活動の時間
どこかに、癒しはないかしら……。
フィリオーネはライアスの訪問を待ちながら、テーブルに広げられた宿題の確認をしていた。元々女王に相応しい器となるべく勉強をしていたフィリオーネであるが“完璧な女王の器”となると、格段と難易度が上がってしまったのだ。
少なくとも、ライアスが宰相職を退くまでには完璧にならなければならない。もちろんフィリオーネはライアスの宰相職続投について諦めてはいないが、まずはこの課題をこなさなければライアスの問題までいきつかない事態となっていた。
「殿下、今日は飛び入りで別のお勉強をします」
「えっ?」
フィリオーネの目の前に現れたライアスは、子犬を抱えていて少し汚れている。
「殿下の部屋を汚すわけにはいきませんので、部屋の外から失礼しています」
「……かまわないから、おはいりなさい」
「ありがとうございます」
子犬は人懐っこいらしく、ライアスの腕の中でおとなしくしている。垂れ耳が可愛らしい、愛嬌のある犬であった。
「本日は、慈善活動をしましょう。王族たるもの、慈悲深くあれ。殿下、私がこの犬の世話をしている間に飼い主探しをしていただけますか?」
「飼い主探し?」
飼い主を探す、とはどうすればいいのだろうか。フィリオーネには全く分からない。ライアスはよしよしと犬を撫で、手馴れた様子で構っている。その表情は柔らかく、まるで恋人を見つめる騎士のようである。
「私はこの子と自分の身繕いをします。手の空いている殿下にしかできない仕事ですよ」
癒しがほしいとは願ったが、フィリオーネの考えているそれとは違う。それにライアスの表情が何となく気に食わなかったフィリオーネは、不満げにライアスをひと睨みして侍女に声をかけた。
比較的動きやすいドレスへと着替えたフィリオーネは、さっそく飼い主探しに城内を歩き回ることにした。あの犬をどのあたりで見かけたのかなどの情報を通りすがる騎士などに説明し、飼い主に心当たりがないかを質問するのである。
「……見つからないわね」
「フィリオーネ姫、この広い王宮です。簡単に見つかるとは思えません」
「そうよね」
フィリオーネはため息を吐く。王宮を歩き回るフィリオーネの話が人づてに広がり、彼女を見かけた人々が逆に話しかけてきてくれるようになった。
ありがたい一方でそれらしい情報はなく、ただ期待してはがっかりするだけで疲れてしまった。
「一度部屋に戻られては?」
「そうですよ、アルバストゥル宰相に相談しましょう。さすがにもう子犬の世話を終えているはずです」
付き添わせていた侍女は一人だったが、気がつけば二人に増えていた。戻らないフィリオーネたちを心配して追いかけてきてくれたのだろう。
「あなたたちの言うことはもっとも。戻るとしましょう」
後ろにつく侍女から安堵の息が漏れたのに気づき、フィリオーネは心の中で謝罪するのだった。
部屋に戻ると、身支度を整えた宰相が扉の前で待っていた。
「あら、ごめんなさい。中へ通しておいてもらう手筈だったのに、こんなところで待たせてしまっていたのね」
「いえ、私が待つと申し上げたのでお気遣いなく。この子犬が暴れ回ったら困りますからね……」
やるならせめて殿下の目の前でしてくれないと、とライアスは自分では責任を負いきれないと笑う。確かに、姫の不在時に犬が暴れて調度品を壊した場合、責任の在処はライアスになるだろう。
「では、おはいりなさい。子犬の責任は私が持つわ」
「ありがたき幸せ」
演技じみたやり取りをした二人は、くすくすと笑いながら部屋へ入った。気を利かせた侍女たちが、ゆっくり休憩できるようにと茶菓子を用意しているところであった。指示せずとも動いてくれる優秀な彼女たちに、フィリオーネは小さく微笑みを向けた。
「ありがとう、みんな」
侍女はそれぞれ小さく頭を下げ、残りの作業を続けた。彼女たちはすぐに支度を済ませて壁際へ下がっていく姿を見守り、フィリオーネはライアスに座るよう指示した。
「ライアス、飼い主の情報だけれど……全く手に入らなかったわ」
「そうでしたか。王宮の人間の犬ではないのかもしれませんね。状況からして、飼い主は今日勤務している人間の可能性が高いと思っていたのですが」
ライアスは片手間に子犬を撫で、用意された飲み物に口をつける。
「殿下の慈愛で見つけられなかったのならば、簡単にいきそうもないですね。仕方ありません。しばらく、私が預かりましょう」
「……頼むわね、ライアス」
ライアスの言う“殿下の慈愛”について気になったが、同時に聞いてはいけない気がしたフィリオーネは言葉を飲み込んだのだった。
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