9月 姫と宰相、前向きに協力する

第1話 フィリオーネ、婚約する

 ライアスを逃がさないように、と宰相職続投に向けた囲い込み戦略を実行し続けていたフィリオーネは、意外な申し入れに目を瞬いた。


「――エアフォルクブルク帝国の第二皇子、ライリーンの君が、私に? 求婚を?」

「そうだ」

「何かの間違いではなくて、ですか?」


 確かに、エアフォルクブルク帝国の皇子は、第一皇子以外は全員どこかの家に婿入りすることになっている。その婿入り先の候補に、フィリオーネが入っているということらしい。

 エアフォルクブルク帝国の文化は好きだ。そしてその運営の手腕も。しかし、それとこれは別の問題である。


「どうせ、それは候補の一人ということなのでしょう? お断りしたいと存じます。エアフォルクブルク帝国の規模を考えると、この国の完全中立が保てなくなる可能性がありますわ」

「そう言うと思ったよ」


 父王アディネルはフィリオーネの主張へ鷹揚に頷き、笑顔で口を開いた。

 なんだか嫌な予感がするわ。

 フィリオーネのその予感は的中する。


「実はな、もうその申し入れに返事をしてしまった」

「えっ!?」

「喜べ、フィリオーネ。お前に婚約者ができたぞ」


 どういうこと?

 フィリオーネは急な展開にどう反応していいか分からず、ただ口をぽかんと開けてしまうのだった。




 全く実感が湧かない。フィリオーネは湯船に浸かりながらほぅ、と息を吐き出した。

「……エアフォルクブルク帝国の第二皇子って、ライアスの親戚にあたるのよね。一体どういうことかしら?」

 今まで、ライリーンの君の動きは表に出てこなかった。ライアスを取り込もうとしていることを察し、先手を打とうとしてきているのかもしれない。フィリオーネは水面に映る自分の顔が、不格好に歪んでいるのに気づき、慌てて手で整える。


「しかも、複数人に候補として打診したのではなく、私だけを指名してくるなんて。とても怪しいわ」


 ライアスから何か情報が漏れたのだとしたら由々しき事態であるが、何かを漏らしたとして、それがフィリオーネへの結婚の申し込みに繋がるかと聞かれると疑問である。

 ライアスは関係なく、ライリーンの君が興味を持った――ということかしら? でも、それは不自然だわ。だって、互いのことを全く知らないのだから。

 フィリオーネは突然舞い降りてきた婚約話に裏があるのではないかと疑いながら風呂を出る。すると、一通の手紙が届いていた。


「……これは?」

「ライリーンの君からだそうです」

「やけに早くないかしら。もしかして、ガリナーを使ったの?」

 目の前にいたミハに思わず質問すれば、彼女は小さく首を振った。

「私には分かりかねます」

「それはそうよね。悪かったわ」


 ガリナーとは、超高速で長距離を飛行する鳥である。可愛らしい体型とは裏腹に、凄まじいパワーを持っている。この鳥は己の蓄えを利用して飛行し続ける為、すぐにやつれてしまう。その為、ガリナーの管理はかなり難しい。

 エアフォルクブルク帝国とグライベリード王国を往復させると、それだけでしばらく使い物にならなくなるのだ。

 一度長距離を移動させると回復に一週間以上を必要とする為、頻繁にやり取りをしたいのならば、かなりの数を飼育しておく必要がある。よって、ほとんど王族しか使うことのできない貴重で贅沢な伝達手段であった。


「とにかく、中身を確認しましょう」


 フィリオーネがそう言って手のひらを見せると、ミハがペーパーナイフをそっと乗せた。小さく頷いて礼を言い、さっそく封を開ける。

 そこには、丁寧で几帳面そうな文字が並んでいた。

 あら、ライアスの文字に似ているわね。

 やはり、血縁だからだろうか。フィリオーネはライアスのいとこだというライリーンの君に親近感を覚えた。


 内容は簡単だった。どうして求婚したのかについての説明である。いとこという関係上ライアスと文通をしており、フィリオーネが度々話題に上がるようになったこと、その話からフィリオーネに興味が湧いたことなどが書いてある。そして、迷惑ならば婚約破棄を申し入れても構わないが、できればしばらく文通をして自分のことを知ってほしいことも。


 フィリオーネは手紙を指先でそっとなぞる。


 言葉の重ね方がライアスに似ていて微笑ましい気持ちになる。フィリオーネの不信感を取り払う為なのか、「婿入り先を探しているのにこれといった女性がいなくて、本当に困っていた」というぼやきが書かれているところに好感が持てた。

 きっとライリーンの君も、ライアスのような優しい青年なのだろう。

 フィリオーネの脳内にライアスをエアフォルクブルク帝国の帝王に近づけた容姿を思い描く。以前浮かんだ想像の姿よりも柔らかな雰囲気の青年が現れた。


 勝手に姿を想像するのはあとで困るかもしれないわね。なるべく考えないようにしましょう。


 フィリオーネは手紙の文字に集中し、想像上の第二皇子を頭から追い出すのだった。

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