閑話4 覚悟を決める宰相殿

 フィリオーネがこわい。宰相職に復帰したライアスは、密かに戦々恐々としていた。体調が復活して冷静さを取り戻したライアスは、グライベリード王国の王配となった場合のリスクを考えていた。

 エアフォルクブルク帝国とグライベリード王国は、適切な距離をもってつかず離れずいたいというのが本音である。エアフォルクブルク帝国からすれば、グライベリード王国はいてもいなくても関係ない国ではあるが、完全中立国という強みがある為に、ないがしろにできない“少し面倒な国”である。

 グライベリード王国からすれば、エアフォルクブルク帝国の影響力の強さから、完全中立国を守る為には“できれば近寄りたくない国”である。


 この両国を婚姻で繋ぐとどうなるか。簡単に予想がつくだろう。


 それを避ける為には、ライアス自身がエアフォルクブルク帝国の考えをグライベリードに押しつけるつもりがないということを証明しなければならない。そして、その先にはグライベリード王国側の人間になってもエアフォルクブルク帝国を脅かす存在にはならないということを証明する必要がある。

 前者は、グライベリード王国の完全中立という立場を損なわないようにする為であり、後者は兄の立場を危うくしない為である。


「……やることが、多い」


 ライアスはため息と共に愚痴を吐き出した。このような状況であるにも関わらず、それを知らぬフィリオーネがライアスへちょっかいを出してくる。

 そのちょっかい自体はとても可愛らしいものだったが、ライアスの精神を疲弊させるにはじゅうぶんな威力があった。

 どうにも、フィリオーネはライアスのことを“宰相として”とても気に入ったらしい。フィリオーネはことあるごとにライアスを褒め、さり気なくライアスの腹を探ってくる。


 お茶会の時は、ここ数ヶ月である意味一番の緊張であった。庭園に現れたフィリオーネはたいそう可愛らしく、そして美しかった。短い距離ながらも手を差し出せば、するりと彼女の指先がライアスのそれを撫でる。

 フィリオーネに、特に意図がないのは分かっていても、どきりとする瞬間だった。そうして始まった茶会。最初は良かったのだが、フィリオーネの質問攻めによって綱渡りをしているような気分のものへと変わっていく。


「ない腹……なら、良かったのだが……あるんだよな」


 ライアスはまだ、己の身分を明かすわけにはいかなかった。エアフォルクブルク帝国にまつわる話は全て“伯母”への憧れとして処理し、他はツテがあった、幸運だった、で済ませた。

 少々強引で雑な誤魔化し方だった自覚は、ある。しかしライアスには、とにかくフィリオーネがライアスを不審がらない程度の対応をするだけで精一杯だった。


「しかし、あの口説き方には参る。本当にこわい方だ」


 ライアスは茶会の最後の雑談を思い出し、再びため息を吐く。

 フィリオーネの言葉、特に「尊敬に値するわ」と「お願いだから、他国に引き抜かれないでちょうだいね」の二つには、本当にどうすれば良いのかと叫びたくなった。

 王族の「尊敬」とは、臣下に対する最上級の言葉の一つだ。そして「引き抜かれないでほしい」と乞うことは、一生この国に仕えてほしいという意味になる。これを深く考えると、宰相職の続投を密やかに望んでいるというフィリオーネの考えが透けて見えてくる。


 ライアスの立場上、この状態での続投はありえない。そして、その可能性があるとしたら、ライアスがフィリオーネの婿になるしかない。だが、今はそれを口にすることはできなかった。


「兄上に、どう相談したものか」


 ライアスは、今度こそインク染みができないようにペンを制御する。まずは、グライベリード王国のフィリオーネを気に入ってしまったことから書き出さねばなるまい。

 伴侶になってほしい相手が見つかったら報告することになっていたとはいえ、文字に書き出すのは勇気のいる行動である。ライアスは結局、最初の一枚を無駄にした。


「フィリオーネ姫は意外性のある人物で……人間としてもすばらしく……いや、これ何の文章だ。まるで素行調査じゃないか」


 くしゃりと手紙を丸め、書類焼却用の台に乗せて証拠隠滅を図った。


「……いっそ、端的に書くか。もはや手紙じゃないが」


 ライアスは、フィリオーネを気に入ったこと、彼女の伴侶になりたいこと、その場合における立場の懸念など、箇条書きに近い文章で書き連ねていく。

 そして、最後に本件の相談をしたい旨を書き加えて兄へと手紙を送るのだった。




 直ぐに返事が届いた。ライアスははやる心を抑え、ゆっくりと読む。そこには力強くも丁寧な字が並んでいた。

「やはり、そう来るか……」

 ライアスは兄からの手紙を読み、ため息を吐く。そこには“とりあえず、第二皇子として婚約の申し込みをしてみなさい”と書いてある。


 断られるかもしれないだろう、と考える一方で、ライアスは断られない気がしていた。フィリオーネはおそらく断りたいと言うだろう。だが、ライアスの正体を知るアディネル王は歓迎するに違いない。

 エアフォルクブルク帝国の第二皇子ではあるが、フィリオーネのことを知った上で申し込んでいると理解してくれるだろうから。

 むしろ、ここに賭けるしかない。断られたら、よほどのことがない限り彼女との結婚が不可能になってしまう一発勝負でもある。ライアスは数日悩んだ末、兄へ申し込みの手続きを依頼するのだった。

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