閑話3 病み上がれない宰相殿

 フィリオーネが可愛すぎる。ライアスは熱に浮かされながら、そんなことばかり考えていた。

 ライアスが体調を崩したのは、必然的なものだった。ここ二ヶ月ほど、ゆっくりと休めずにいた。だがそれは、ライアスが好きでやっていることである。ゆえに、誰も彼の状態に気がついてはいなかったのだ。


 宰相としての仕事はかなり大変である。一年という短い期間で成果を上げたいと考えているのだから当然だ。他の国での滞在期間は数ヶ月だった為、できることはかなり限られていた。それが一年となれば、話は変わる。できることが増えたからには、やり遂げたい。

 ライアスはとても真面目で公平な人間であった。


 宰相としての忙しい日々の合間に婿入り先を探す予定だったが、その時間を丸ごとフィリオーネに使ってしまっている。これはフィリオーネと共に過ごす時間という意味ではない。

 フィリオーネへの指導方法を考える時間、資料を用意したり作成したりする時間、暇になり過ぎないよう、ライアスが仕事をしている間にこなす宿題の作成をする時間なども含まれていた。

 となると、どれだけあっても時間が足りない。ライアスは判断力が鈍らない程度に睡眠時間を削り、時間を捻出するようになっていた。


 その状況が長く続くと、疲労が蓄積されていくのは必至。そんな中、雨に濡れた状態で走り回ったりすれば結果はご覧の通り、というわけである。

 普段であればフィリオーネのように風邪をひかずに済んだかもしれないが、ライアスの体は耐えきれなかったのだった。


「寝込んだだけで泣かれるとは……ほんとうに、私はどうすればいい……?」


 ライアスの寝込んだ姿を見たフィリオーネは、とても衝撃を受けていた。確かに原因は彼女である。珍しい事態に驚き、心配になったライアスが慌てて探し回っただけだとしても。そして、どうやらこれが初めてのことではなく、定番化していたのをライアスが知らなかっただけだとしても。

 ライアスは可能な限り彼女の曇った表情をどうにかして晴れさせたいと思ったが、無理だった。

 笑わせることができたと思いきや、フィリオーネは泣き出してしまったのだ。それも、静かに。

 ほろほろと涙をこぼす姿は痛々しかった。フィリオーネ自身、泣かないようにと耐えているようだったから、余計にライアスの胸にぐっときた。

 静かに流れる涙を拭ってやりながら、ライアスは彼女への愛しさを心の中に積もらせていた。


 そうして始まったフィリオーネによる看病生活。

 フィリオーネはライアスに、とても良くしてくれている。自分の侍女を貸し出してライアスの身の回りの世話まで指示しているくらいである。

 フィリオーネはライアスには秘書しかいないと勘違いしていたからこその高待遇であることは重々承知していたが、彼女の気遣いはとても嬉しいことである。


 実のところ、フィリオーネがライアスの秘書だと思っているボグダンは、ライアスの乳兄弟であり侍従である。

 このグライベリード王国内において、ライアスがエアフォルクブルク帝国の第二皇子であることを知っている数少ない人間の一人であった。

 ボグダンに世話をしてもらう気だったライアスは大いに驚いた。だが、彼女の好意を無碍にしたくなかった為、提案を受け入れることにしたのだった。


 フィリオーネの侍女たちはとても優秀だった。そして、彼女のことをとても尊敬し、信頼していた。


「アルバストゥル宰相、体調の優れない中で申し訳ありませんが、身だしなみを最優先にさせていただきます」

「フィリオーネ様はとてもアルバストゥル宰相をお気に召しておられます。少しでもかの方の心労を減らしたいのです」


 二言目にはフィリオーネの為、と言いながら毎日ライアスの体を清め、やつれすぎて見えないようにと顔のケアまでしてくれた。何とも主思いの素晴らしい気遣いである。


 そしてフィリオーネの方は、元々約束していた勉強の時間にライアスの部屋へと現れては、手ずから看病をしてくれていた。濡れたタオルを定期的に交換し、冷たいタオルで顔周辺の汗を拭ってくれた。それだけでも豪華すぎる看病であるというのに、食事は毎回フィリオーネが食べさせてくれるという。

 特定の動物が行う愛情表現の給餌のようで、ついにやけてしまいそうだった。


 初め、ライアスはとにかく表情を崩さないように沈黙していた。すると、心配そうに顔を曇らせた彼女がライアスを見つめて呟いたのだ。

「……つらすぎて、食事は難しいかしら」

 そんな風に呟かれては、元気に食べるしかない。ライアスは彼女に進められるまま、リゾットを食べ続けた。そうして数日が経ち、ライアスも冗談を言ってフィリオーネのことを笑わせられるようになった頃。

 フィリオーネを他の男に譲りたくない。多少……いや、とても面倒でも、彼女の唯一になりたい。そう、ライアスは本格的に考えるようになっていた。


「今月は……もう、体調的にむりだから……回復したら、兄上に相談……」


 まずは、正式に申し込みをするところから。まだ本調子ではない思考で、ライアスは決意を固めるのだった。

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