第3話 お姫様は看病の時間

「殿下?」

 フィリオーネの不審な行動に首を傾げるライアスに向け、フィリオーネは穏やかに語りかける。


「私が、あなたの代わりに風邪をひいてあげるわ。あなたは執務で忙しいもの。私が引き受けてあげるから安心してちょうだい」

「なりませんよ殿下。それは、私の役目です」


 ぱしり、と手首を掴まれた。彼の手の冷たさに、フィリオーネは目を丸くする。こんなに冷えるまでフィリオーネの為に動いてくれていたとは、感謝しきれない。

 ライアスがフィリオーネの為に動いてくれていたことを知れば知るほど、フィリオーネは彼に優しくしたくなった。

 しかし、彼はあくまでもグライベリード王国の宰相であった。


「あなたは健康でいなさい。私がすべて引き受けますから」


 やや命令口調のそれに、フィリオーネは一瞬呼吸を忘れた。年上特有の保護者然とした態度が、フィリオーネにその言葉を受け入れるべきだと言ってくる。宰相として、年長者として、彼がフィリオーネに声をかけるのならば、フィリオーネは王女として受け入れなければならない。


「……ずるいわ。私に謝罪礼ばかりさせようとするのね」

「はは、それも悪くはないですね」

「もうっ」


 フィリオーネはすねたふりをして、彼の優しさに甘えるしかなかった。




 案の定、ライアスが風邪をひいた。

「ライアス……大丈夫?」

 心配のあまりライアスの額に乗る濡れタオルに触れてみると、すいぶんとぬるくなっている。近くにあった水桶にそれをひたし、絞る。昔、待女に看病された時の見よう見まねだが、やらないよりは良いはずだ。


「夏風邪はつらいそうよ。ゆっくり休んでちょうだいね」


少しよくなったからといって働かないこと。そう付け足せば、彼は咳混じりに笑う。


「やけに優しいですね」

「それは、そうでしょう。私のことを優先させて、濡れたまま……」


 フィリオーネがバスルームを借りていたせいで、ライアスは冷えた体をそのままにせざるを得なかったに違いない。フィリオーネの体を温めさせ、その間に女を探し、侍女がフィリオーネの支度をしている間に目分の身を整えたのだろうから。

 フィリオーネは、ライアスが手首を掴んできた時の冷たさを思い出し、目を伏せた。


「フィリオーネ姫が支度をしている間に着替えは済ませました。特に問題はなかったんですよ」

「でも――」

「本当に、私がすべて引き受けられたようで良かった。フィリオーネ姫がお元気そうでほっとしています」


 ライアスがフィリオーネの言葉に重ねた。これ以上フィリオーネに謝罪させる気がないのかもしれない。優しすぎる青年に、フィリオーネの視界が揺れた。


「けっこうつらいものですね。ですが、あなたを守ることができたのなら本望ですよ。それに」

「それに……?」


 フィリオーネが首を傾けると、ライアスがふんわりと笑う。


「こうして、殿下が自ら看病してくださる。こんなこと、滅多に経験できるものではありません。役得ですよ、役得」

「やだ、ライアスったら」


 思わすフィリオーネは笑ってしまった。

 熱でつらいだろうに、こんな時までフィリオーネのことを気遣ってくれるとは。フィリオーネは、ライアスが父王とのつながりの為だけに自分に優しくしているとは思えなかった。

 今月の頭に彼へと投げつけた言葉、フィリオーネの思考、すべて見当違いで愚かな行為だった。己の浅慮さに、フィリオーネは過去の自分に文句を言ってやりたかった。


「ライアス」


 フィリオーネが声をかけると、ゆっくりと彼は目を開けた。ワイン色の目に、泣きそうになりながら笑う中途半端な表情の自分が映っている。


「本当に、ありがとう」


 いつもならば完璧に制御できるのに、どうもうまく動いてくれない。ぎこちない笑顔が相変わらず彼の目に映りこんでいた。

「……どういたしまして」

 一瞬、ライアスが目を見張ったように見えたが、見間違いだったかもしれない。彼は相変わらず穏やかに、柔らかな笑みを浮かべている。


 どうしましょう。私、泣きそうだわ。


 そう思ったフィリオーネは瞬きをしてやり過ごそうとしたが、駄目だった。

「フィリオーネ姫は大げさですね。私、別に死ぬような病気ではないんですけど……」

 小さく笑い、ライアスはフィリオーネがこぼした涙をそっと拭う。その手つきが優しくて、逆に涙があふれてしまうのだった。




 ライアスと勉強の約束をしていた時間、フィリオーネは彼の看病をしながら勉強をして過ごした。ライアスは自由に勉強していればいいと、看病しに来なくてもいいのだと断ってきた。しかし、フィリオーネが「看病されるの役得って言っていたわよね?」と言いながらじとっとした涙目で睨むと、早々に白旗を上げた。

 自分の言葉に責任を持つきらいのあるライアスには申し訳ないけれど、利用させてもらったわ。

 フィリオーネはなかなか熱が下がらずにいるライアスの寝顔を見ながら、表情を暗くする。


 清潔を維持する為、侍女にライアスの身の回りの世話を頼んでいたから、そこまでやつれているようには見えない。

 しかしそれは客観的に見て、である。毎日顔を突き合わせていたフィリオーネには分かる。ライアスの消耗具合は結構深刻であるように見受けられた。


「私の為に、無理ばかりするからよ……」


 フィリオーネの声は、届かない。

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