7月 姫と宰相、接近中

第1話 フィリオーネ、宰相に叱られる

 やわらかな雨が降り注げば、植物たちは喜びに葉や花を輝かせる。この不思議な雨は、どれだけ降ろうとも植物に害をなすことはない。【祝福の雨】は花を散らすこともない上、あらゆる植物を豊作に導く奇跡の雨だ。

 フィリオーネはお気に入りの庭園の中心で、自分の体が濡れるのもかまわず【祝福の雨】を楽しんでいた。


「殿下!」


 必死な叫びが聞こえ、フィリオーネは我に返る。


「どこにいらっしゃるのです!?」


 ライアスだわ……どうしたのかしら。

 フィリオーネはしっとりと濡れぼそって重くなったドレスを引きずり、声の聞こえた方へ向かう。


「ライアス? 何かあったの?」

「殿下! 何てところにいらっしゃるんですか!?」


 ライアスは全身ずぶ濡れで、フィリオーネと大差ない。フィリオーネの声を聞いてほっとした様子を見せたのもつかの間、彼は眉尻を上げる。手のひらを上に向け、【祝福の雨】を受け、ライアスに見せた。


「【祝福の雨】が降ったからよ。自然のシャワーを楽しんでいたの」

 フィリオーネは息を整えているライアスに向けて笑いかける。しかし彼は唇をわななかせ、眉間にしわを寄せた。

「夏とはいえ、こんなに濡れて……っ! 風邪をひいてしまいます!」


 大袈裟な男ね。

 フィリオーネはそう思ったが、心配されて悪い気はしない。雨に濡れるのもかまわず、こうして探しにきてくれたのだ。ここはぶつくさと文句を言うのではなく、おとなしく謝るべきだろう。

 フィリオーネは濡れすぎて顔にへばりついてしまったライアスの前髪を整えながら、小さく微笑んだ。


「ごめんなさいね、ライアス。お迎えに来てくれてありがとう」


 目を見張って固まった宰相に、意外な言葉掛けだったかしらとフィリオーネは首を傾げる。


「……あぁ、もう! 早く中へ入りましょう!」


 ライアスはフィリオーネの手を引こうとして、重くなっているドレスに気がいたようだ。小さく目を見張った彼はフィリオーネを抱き上げた。


「ちょっと失礼しますよっ」

「きゃあっ!?」

「そんなドレス、引きずって歩いていたら疲れてしまう!」


 言いたいことはなんとなく通じたが、あまりにも雑な物言いだ。それだけフィリオーネのことを真剣に考えてくれているということだろう。

 じんわりと胸があたたかくなり、同時に心配させすぎて申し訳ない気持ちも湧き出てきたフィリオーネは、これ以上ライアスの負担を増やさないようにと、彼にそっと身を任せるのだった。


 フィリオーネが運ばれた先は、ライアスの自室だった。フィリオーネのいた中庭からはライアスの部屋が近い。こうなるのは当然の流れだった。


「私の部屋で申し訳ありませんが、我慢なさい」

「……はぁい」


 少々雑に室内へ降ろされたフィリオーネは不満げに返事をしながらも、これ以上迷惑をかけない為にじっと動かずにいた。ライアスは慌ただしい足音を立てながら奥へ向かい、すぐにタオルを手に戻ってくる。


「まったく、どうしてこんなお転婆を……」

「だって、【祝福の雨】よ?」


 ライアスが優しい手つきでフィリオーネについた水気を拭う。しかし、あまりにも濡れすぎていて、タオルはすぐにぐっしょりと濡れてしまった。

 タオルでは力不足だわ。でも、このままでは部屋に戻れないし、どうしたものかしら。

 濡れたままテラス経由で戻ろうと考えていたフィリオーネだが、ライアスは彼女が再び濡れることを良しとしないだろう。


「殿下、ひとまず着の身着のままでも良いから温かい湯に浸かりなさい。

 私はその間にあなたの侍女を呼んできます」


 なかなかおもしろいアイディアである。フィリオーネが頷くと、ライアスはひょいっと彼女を横抱きにしてバスルームへと運んだ。

 期間限定だからなのか、やけに豪華なバスルームである。フィリオーネが来客用の一室の中でもランクの高い内装に驚いていると、ライアスが不安そうに聞いてきた。


「さすがに使い方はわかりますね?」

「わ、わかるわ」

「ならよろしい。では失礼」


 反射的に答えれば、ライアスはやけに淡々とした言い方で去っていった。

 そういえば、さっきからライアスは結構言動が雑だわ。それも関係あるのかしら。

 一人バスルームに残されたフィリオーネは、ライアスのことばかり考えていたが、ふと、この状況が極めて王女にふさわしくないことに気づく。


「こんなにびしょぬれじゃ、どうせ一人で脱げはしないけれど……年頃の男性の部屋、それもバスルームにいるのはちょっとまずいのではないかしら」


 ドレスが乱れていなければ、変な誤解は生まれないだろう。ライアスのまじめな性格も幸いして、きっと問題ない。そう思うことにしたフィリオーネはライアスの提案通り、ドレスのまま湯船に浸かる。

 侍女には手間をかけさせてしまって申し訳ないが、全員の幸せの為である。重いドレスに引っ張られるようにして座り込んだ。


 それにしても、本当に豪華な部屋ね。よく考えてみればここ、他国の王族とかの来賓用の部屋じゃないの。彼の部屋に興味はなかったから場所すら知らなかったけれど、ずいぶんと優遇されているのね。


 フィリオーネは自分の体が思っている以上に冷えていることを実感しながら、ライアスの部屋について考えを巡らせていた。

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