第3話 王族は公務のお時間

「ねぇ、本当に私も参加しなきゃだめ?」

「もちろん、だめです」


 フィリオーネはエスコート役として現れた彼の腕に手を添え、会場へ大人しく向かいながら小さく問いかける。

 いつも以上に着飾ったフィリオーネは、不満そうにライアスを見上げた。今夜は公式な催し物、フィリオーネは当然参加に決まっている。ただ少しだけ、駄々をこねたかっただけである。

 薄紫色のふんわりとした布を重ねてボリュームをもたせたドレスは、フィリオーネの長い首とすらりとしたデコルテを見せつける為、オフショルダーになっていた。しかしフィリオーネの品格を崩さぬよう、フリルで飾り立てられており、可愛らしさと美しさを両立させている。

 極めてバランスの良い仕立てで、フィリオーネも気に入っていた。


「しかし、殿下らしくありませんね。そういう発言は」


 ライアスがフィリオーネに探るような、好奇心を隠そうともしない視線を送ってくる。その裏には「理由は想像ついています」という意味が薄らと透けて見える。

 フィリオーネは自分と同様に飾り立てているライアスの姿を観察し、小さくため息を吐いた。


「あなたなら、こういうワガママを言っても本気にしないと思って」

「――確かに本気にはしませんね。あなたが真面目な方だということを、私はちゃんとわかっていますから」


 そう言ってライアスは頷いたが、フィリオーネはなんとなく不満だった。


「そうよね。そう言うと思ったわ……だって、ライアスはなんでもお見通しなんだもの」


 理解者は一人でも多い方が良い。それは分かっている。しかし、ライアスの“フィリオーネを理解している”が、必ずしも“フィリオーネの味方になってくれる”と同じ意味になるとは限らないのだ。

 フィリオーネはエスコートしてくれていた彼の腕からすり抜ける。


「反抗的な態度をとってごめんなさいね。大丈夫。あなたの想像通り、私はちゃんと参加します」


 ふわりとドレスの裾を躍らせ、わざとらしく回転する。ダンスに誘うように手を差し出す仕草も取り込んだ。この姿は彼からどんな風に見えるのだろうか。

 フィリオーネは、滑稽に見えなければ良いと思いながらドレスを揺らす。


「殿下、危ないですよ」

「エスコートさんから手を離してしまったから?」


 もう一度回転する。くるり、ひらり、左サイドだけを下ろして巻いた髪が目の前を遊ぶのが見えた。髪の毛越しに、ライアスが心配そうにこちらを見ていた。

 私、そんな顔をするようなことをしているかしら?

 フィリオーネの疑問はすぐに晴れる。


「いえ、単純に――」

「きゃあっ!?」


 ずるり。地面に下ろしたはずのヒールが落ちた。フィリオーネは悲鳴をあげる。咄嗟に右足で踏ん張ろうとしたが、フィリオーネの細いヒールは硬い床を滑ってしまう。

 もうだめっ!

 ドレスがだめになる覚悟をして目を瞑る。フィリオーネは衝撃を覚悟をしていたが、次の瞬間に訪れたそれは、想像していたものとは違った。


「段差がある、と……言おうとしたのですがね……」


 そっと目を開ければ、ライアスの目の色に合わせたマントが一面に広がっていた。おそるおそる、マントで顔をこすらないように気をつけながら顔を上げる。


「お加減は? 足を捻っただとか、何か違和感は?」

「…………な、ない……わ……」


 フィリオーネはライアスに抱き締められていた。ダンスを踊る時のように手を引かれ、腰元をぐっと寄せられている。なるほどそれで転ばずにいられたのかと納得する一方で、咄嗟の判断でこんなことができる男に尊敬の念を抱く。

 フィリオーネは不安定な状態だった足を、安全な場所に下ろしてライアスから身を離す。彼はフィリオーネの動きに合わせ、ゆっくりと解放してくれた。

 フィリオーネがこれからすることは二つ。謝罪と感謝である。いつも以上に丁寧さを心がけながら、ライアスに向けてカーテシーをした。


「お手を煩わせてしまい、失礼いたしました」

「いえ、別にかまいませんよ」

「それと――」


 フィリオーネは心を落ち着かせるべく息を吸い、今度は笑顔を向ける。


「ありがとう、ライアス」

「……殿下」


 フィリオーネとライアスの視線が交差する。だが、ライアスはフィリオーネの感謝の言葉に驚いたのか、すぐに落ち着きなく視線をずらしてしまった。

 フィリオーネにとって、感謝の言葉はとても大切だ。これは母からの教えによるものが大きいが、それだけではない。基本的に、フィリオーネは周囲への感謝を抱いて過ごしている。

 フィリオーネは勉強に関しては問題のある言動をしていたが、いたって真面目な姫であった。


「私が無事なのは、あなたのおかげ。本当に感謝しているわ。この地の恵みがあなたにも訪れますよう」


 そっと彼の手を取り、その甲に祝福の口づけを落とす。フィリオーネの最大の感謝の気持ちを表す所作であった。


「そ、そこまでしていただく身では……」


 頭上から、ライアスの震える声が降ってくる。いったいどういうことだろうか。フィリオーネが頭だけを上に向けると、ライアスは必死で口元を空いている手で押さえていた。

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