第2話 興奮する姫と余裕な宰相

 フィリオーネは背筋に冷たいものが通り過ぎていくのを感じた。エアフォルクブルク皇帝に、変な先入観を与えてしまったかもしれない。

 皇帝の側妃には、おそらくライアスの望む動きをさせるような強い権力はない。となれば、側妃が皇帝に話をし、それから……ということになる。なんということだ。フィリオーネは目の前にある、このご馳走が猛毒のように見えてきた。


「殿下?」

「えっ、あ、その……こ、こ、ここまでしなくとも良いのでは!?」


 ライアスの訝しむ声にフィリオーネの声が裏返った。グライベリード王国は、基本的に国内で全てが賄えてしまう、貿易外交いらずの国である。それが、である。自国で生み出すことのできない代物を要求するとなれば、対価を払わなければならない。

 帝国化したのが数世代前で、グライベリードと比較すれば新しい国であるエアフォルクブルク帝国は、歴史的にはこちらが上でも、軍事的な規模で言うならば向こうが上である。急成長を遂げて帝国化したにも関わらず、穏やかな治世をしていることも、フィリオーネが帝国を強く意識する原因でもある。

 絶対にあの皇帝一族はやり手である。グライベリード王国が下手な姿を見せたくない第一位が、エアフォルクブルク帝国だった。


「わたし、わがままな姫に……見られたのでは……!」

「そんなこと、気にするタイプだったんですね。大丈夫です。皇帝陛下は気さくな方だそうです」


 のほほんと言うライアスを見る限り、フィリオーネの不安が何なのか理解している気がしない。フィリオーネは動揺したまま、今の気持ちを飾りなく口にした。


「気さくだとかどうでも良いわ! 大切なのは、私のイメージがおかしくならないことよ!

 あなたを動かして、これを用意させた……だなんて、ケーキが食べたいと駄々をこねた子供みたいじゃない!」


 フィリオーネはそれこそ駄々をこねる子供のように叫んだ。


「そういう認識になっていなければ良いということですね?」

「その通りよ!」


 勢いのままライアスの問いに答えれば、彼はにっこりと笑んだ。己のカップの持ち手を指先でなぞりながらフィリオーネにゆっくりと話しかける。


「では、そこはご安心ください」

「……え?」


 安心しろとはどういうことか。疑問を口にする前に、ライアスはフィリオーネの眼差しに軽く頷き、口を開いた。


「私が話を持ちかけたのは伯母と第二皇子です」

「えっ、第二皇子って……失礼だけれど“結婚するまで名無しの殿下”と呼ばれる……あの皇族の一人?」


 名無しの殿下、とはエアフォルクブルク帝国の一風変わった風習のことである。皇帝の子供たちは全員、結婚するまでは「第一皇子」「第一皇女」などと生まれた順番で呼ばれる。あだ名のようなものがつけられることもあるが、本名ではない。


「その通りです。第二皇子――ライリーンの君――は、伯母の子供です。生まれた年も同じなので、何かと親しいんですよ」


 ライアスは世間話のように言うが、世間話の域を飛び越えている。フィリオーネが驚いている間に、ライアスの解説が始まってしまった。

「私がフィリオーネ姫を驚かせてみたいのだと言ったら、二人は好意的に力を貸してくれました」

 簡単でしたよ、と語るライアスはかなりの策士だった。


 結論を言うと、研修と称してラーヴェンが作れる菓子職人をグライベリード王国に呼び込んだのだ。ラーヴェンの技術を他者へ渡さない、そして漏らした場合にはそれ相応の処分を渡すという条件付きならば構わないとのことで、許可が下りたそうだ。

 親戚に「フィリオーネにサプライズしたいが、難しい」と相談した結果、と簡単に言えるものではない。


 恐ろしい話である。


 ライアスは「フィリオーネが欲している」とは言わず、しかし「欲しているわけではない」と言い訳じみたことも言わず、ただライアスがフィリオーネにサプライズしたいのだということに焦点を置いて頼んだ結果がこれだ。

 普通ならば「戯言を」と一刀両断されてしまいそうな案だったのに、通してしまった。その手腕が恐ろしい。ライアスはあまりに簡単そうに話をしてくれているが、簡単ではないことくらい、誰にでも分かるはずだ。

 フィリオーネは外交について全てを知っているわけではない。だが、少なくとも門外不出の技術を持つ人間を、あえて国外へ送りだすことへのハードルがいかに高いのかくらいは分かる。それを決断させることは、少なくとも今のフィリオーネにはできそうにない。


「……あなた、本当にすごいわね」


 フィリオーネの口からは、それしか出てこなかった。王族のくせに、まともな言葉ひとつ浮かばない。まだまだ未熟だった。

「それなりに私、経験してきていますから」

 そう言うライアスがとても頼もしく、そして大人っぽく見える。いつの間にか、フィリオーネが彼に対して抱いていた反抗心のようなものは消え去っていた。

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