6月 姫と宰相、華麗に舞う

第1話 フィリオーネ、反抗未遂する

「私、あなたに飼い慣らされようとしている気がするわ」

 良好な関係を築いていっているかと思いきや、フィリオーネはライアスに向かってそんな暴言を吐いた。対するライアスは、フィリオーネの発言を受けて目を瞬かせる。

 状況が分からず困惑しているのだろう。それはそれで当然のことだった。

「だから、しばらく距離を置きたいの。つまり……わかるわね?」

 フィリオーネはひとり頷いて、彼に背を向けた。


 フィリオーネは気に食わなかった。最初はこの状況を楽しんでいたのである。気づない程度に誘導されるのも、悪くはないと思っていた。――この会話を聞くまでは。


「フィリオーネ殿下は素晴らしい方です」

「あれの方からライアス殿に頭を下げたと聞いたぞ。なかなかのやり手ではないか」

「いえ、少しだけ彼女の好奇心を煽ってみただけですから」


 などという父王とライアスの会話をうっかり聞いてしまったからには、そうは言っていられない。

 父王に近づくのが目的だったのではないか。そうであれば、あの楽しい時間が偽物だったのではないか。手を替え品を替え、様々な手腕でフィリオーネの勉強を支えてきたやり取りは、ただの“姫様のご機嫌取り”だったのではないか。

 フィリオーネは、この時間が「お勉強会」以外のなにものでもないという自信がなくなってしまったのだった。


 もやもやとした気分のまま、彼と距離を置くべく部屋の奥へ向かおうとしていたフィリオーネは、ライアスからの思いがけない声かけに足を止める。


「……それは、ちょっと困りますね」

「え?」


 ライアスが「お姫様のかんしゃくか、仕方ない」と一旦フィリオーネの要望を聞いてくれると思っていた。しかし彼から発せられたのは「困る」という言葉である。やはり、フィリオーネと一時的にでも疎遠となるのは、王の目があるから嫌なのだ。

 ライアスに対して感じていた、他の人とは違うという勘は大ハズレだったというわけだ。


「私を言いくるめようとでも言うのかしら? アルバストゥル宰相」

「いえ、単純に困っているだけですね。本日は、異国の菓子を作るように依頼していたので……それが無駄になってしまうのは忍びないのです」


 フィリオーネとは全く関係のない部分で困っているとでも言うかのような発言に、少しだけ体をライアスに傾ける。


「ラーヴェンスブルクの名物」

「まさか……」

 フィリオーネは魅力的な単語に思わず振り返る。


「漆黒の、宝石のような……アレなのですが」

「本当に!?」


 さすがのフィリオーネも、我慢ができなかった。ライアスが口にしたのはとある菓子を暗喩していたからである。エアフォルクブルク帝国の都市ラーヴェンスブルクには、そこでしか食べられないとまで言われる幻の菓子がある。

 ラーヴェンスブルクの由来となった、ラーヴェンと呼ばれる変わったケーキだ。チョコレートを使っているらしいが、そのコーティングは特殊な加工により、艶やかな濡れ羽色をしている。

 うっすらと虹色に光って見えるその漆黒は、今のところ他者には真似のできない技術であった。


「本当に、あの、ラーヴェン?」


 フィリオーネは反抗的な態度を取っていたことをひとまず棚に置き、ふらふらとライアスへ近づいた。


「……それ以外に何があります?」

「ないっ!」


 フィリオーネはその、門外不出とされるそのケーキを、幸運なことに数回食べる機会があった。エアフォルクブルク帝国に訪問した歳に初めて食べて以来、惚れ込んでいるケーキだった。

 外遊時にラーヴェンスブルクへ滞在できるようにし、食べられるように手配したくらい、好きだった。次期女王となることが決まっている為、絶対に無理だとは分かっていたが、ラーヴェンスブルクに住みたいとまで夢想したほどだった。

 それが、である。この国にいて、食べられるのだという。疑う気持ちはある。だが、可能性をふいにしてしまうのは嫌だ。フィリオーネは己のプライドと幻の菓子を天秤にかけ――菓子を取った。




「……本当だったのね」

 フィリオーネは想像通りの姿をみとめ、呟いた。チョコレートをふんだんに使ったケーキは濡れ羽色で、フィリオーネが外遊で楽しんだラーヴェンと遜色ない。まさか本物ではあるまい、と期待しないように言い聞かせていたが、ひょっとすると本物なのかもしれなかった。


「私はあなたに嘘をつきませんよ。あなたとの信頼関係に、嘘はもってのほかですから」


 目を輝かせるフィリオーネは、ライアスではなくケーキを見つめ続けている。彼女の無作法を咎めるでもなく、彼は続けた。


「理由が知りたいと言われる覚悟をしています。単純な話です。コネがあるんですよ。アルバストゥル家に」

「コネ……?」


 フィリオーネはアルバストゥル家について調べた時のことを思い出す。確か、かの家の一人が、エアフォルクブルク帝国皇帝の側妃として輿入れをしていたはずだ。


「まさか、エアフォルクブルク帝国の側妃に声をかけたの!?」


「親戚ですし、それくらいはまあ。幸い伯母は皇帝の覚えがめでたい身ですし、希望しているのはグライベリード王国の嫡子ですからね。案外簡単にことが運べましたよ」


 なんということでしょう!

 フィリオーネは声にならない悲鳴を上げて宰相を見るのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る