閑話1 悩める宰相殿
まいった。
ライアスはフィリオーネの言動に振り回されっぱなしである。出会ってそろそろ一ヶ月が経とうとしているが、どうにもあのお姫様は変わっている。
勉強嫌いだと父王から心配されていたフィリオーネの初対面の印象は「絶対に、勉強嫌いだというのは嘘だ」であった。彼女の動きは洗練されており、自分がどう動けばよく見えるのか、研究しきっているのがよく分かったからだ。
己を制することに長けた人間が、それも計算ずくで動けるようにまで自己研鑽している人間が、勉強嫌いなはずがないのである。
ライアスは彼女をこっそりと試してみることにした。
案の定、彼女は気がついた。面白い。ライアスは、己が臨時の宰相をしつつ婿入り先を探していることを忘れ、彼女とのやり取りに没頭するのだった。
ライアス・アルバストゥルは、他国の皇子である。海辺に住むアルバストゥル家からエアフォルクブルク帝国へと嫁に行った女がいた。皇帝の側妃となった彼女は正妃の次に子供を産んだ。
それがライアスであった。
エアフォルクブルク帝国では皇子は交流のある国々へ訪問し、宰相職を臨時で務め、伴侶――つまり、正妃――を探す。ライアスは第一皇子との仲は良好だが、ことある毎に皇帝の座を揶揄する貴族にうんざりしていた為、婿入り先を探すことにしたのだった。
そうしていくつかの国を周り、最後の望みとして訪問したのがこのグライベリード王国である。それまでに立ち寄った国では、外見の麗しい少女や乙女たちがいた。確かにいたが、それだけだった。
見た目だけで向上心もなく、ただ着飾るだけの女たち。ライアスには少々物足りなかった。そこで、母の生国でもあるグライベリード王国に、望みをかけたのだ。
他の国では数ヶ月の滞在であったが、滞在期間を一年にしてほしいとグライベリード国王へ願った。かの王は、ライアスの真剣さを理解してか、快く承諾してくれた。
その代わりに依頼してきたのが、嫡子であるフィリオーネ姫の矯正であった。
「化けるというか、化けていたというか……」
蓋を開けてみれば、彼女は家庭教師との相性が悪かっただけで、勉強嫌いではなかった。むしろ、勤勉な方であるとライアスは思う。
王族としての自覚を持ち、彼女なりに色々と考えてやってきていたのだということにすぐに気がついたライアスは、フィリオーネから教えてほしいと願い出るまで待った。
案の定、フィリオーネはライアスへ申し出てきた。ライアスからすれば、計算していたよりも早い申し出で驚いた。それからというもの、ライアスはフィリオーネにたびたび驚かされることになる。
フィリオーネに良い意味で驚かされると、こうなったからには完璧な女王に仕立てたくなる。ライアスは、彼女が「嫌だ」と言わないよう、あらゆる手を尽くしてフィリオーネの教育に力を入れた。
飽きさせない工夫は難しい。頭の回転が早い相手ならば、なおさらである。短時間に何度も同じ手は使えない。
政と同じくらいの比率で、フィリオーネの教育に時間を割いていた。ライアスの生活がフィリオーネを中心に考えるものへと変わっていくのは、当然の流れだったのかもしれない。
「――菓子は、嬉しかった」
フィリオーネは、上に立つ者としての感覚を自然と身につけていた。会議の延長が理由で予定を中止とせざるを得ない旨を伝えれば、彼女は差し入れを用意して会議場へ現れた。
すらりとした細身のスタイルのドレス――とはいってもそれなりにボリュームはあるが――の上にローブを羽織り、会議場にいても目立たない姿をしていた。
凛とした佇まいに、思わず傅きたくなる。彼女はライアスに気づくなり会釈を送ったきた。それは冷ややかな高原に咲く花のようで、見ているだけで心の緊張が解れるようだった。
溶かしたバターのような黄金色の髪が揺れる。青みの強い緑色の目は会議場の明かりに照らされて、きらきらと宝石のような輝きを放つ。彼女はまさに花姫であった。
ライアスだけを真っ直ぐに見つめ、微笑む姿は異母兄へ自慢したくなるほどだ。だが、ライアスは知っている。これがフィリオーネの努力の結晶であることを。
わざわざ面倒な仮面をかぶってまで、約束を破ったライアスの為にこの場へ現れたのだということを。賢く根が優しい彼女のことだ。会議の延長は疲れるだろうと、ただ気を回しただけのつもりだろう。
だが、そういった気遣いをされるのはライアスをむず痒い気分にさせた。たとえ、差し入れの菓子が議員全員分用意されていたとしても。
こういう女性の夫なら、楽しい日々が送れるかもしれない。幸いにして、自分は帝国の第二皇子である。釣り合いは取れる。そう思ってしまったことに、愕然とした。
こんな振り回され方をするとは考えていなかったのだから。
「兄上への定期報告……報告できるものがない」
ライアスの手元には、インク溜りだけが目立つ書き損じができあがっていた。
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