5月 姫と宰相、出会う

第1話 フィリオーネ、勉強する気になる

 新しい宰相は臨時だそうだ。フィリオーネが父王に興味の湧いた男について聞いた時の情報である。フィリオーネはファーストコンタクトを思い返していた。


 あれから図書館へ向かい、彼の生家であるアルバストゥル家について調べた。

 本人の前で、その家のことを調べるのに抵抗はあったが、ライアスの反応が気になるという好奇心の方が勝ったのだ。

 ……でも、本当に普通だったわ。私に対する態度もそうだけれど、目の前で家柄を調べられているということに対しても「どうぞご自由に、あなたのお好きなように」という感じで、なんて言えばいいのかしら。反応が薄い? いいえ、違うわね。一枚の透明な壁があるみたいだったもの。

 ガラスではない、もっとしっかりとした壁のような何か。その正体はまったく分からないが、壁の先に潜む本体を引きずり出してみたい気がした。




 出会ってから一週間。フィリオーネはライアスを呼び出した。

「姫、お呼びでしょうか?」

「いらっしゃい、アルバストゥル宰相」

 優雅にカップを傾ける姿を意識し、フィリオーネは扉に顔を向けた。扉を開けた侍女が一歩下がるのを確認してから室内へと入ったライアスの右手には、書類が重なっている。

 これから会議だったのかしら。タイミングを間違えたわね。次は間違えないようにしなければ。

 フィリオーネは彼のスケジュールを考えずに呼び出してしまったことを、己の迂闊さをひっそりと恥じる。


「忙しいところ、突然呼び出してごめんなさいね。手短に言うわ。あなた、私の家庭教師もしてみない?」


 思いがけないオファーに、図書館へ誘った時と同じように彼はまた目を瞬いた。

 いつも同じような表情、フィリオーネに対しての態度も普通、気持ちの動きなどいかようにも制御できるとでもいうかのようなライアスが、時々フィリオーネに見せる動揺。

 フィリオーネはそれを見るのが最近のお気に入りであった。


「今までの家庭教師、あまりに退屈で全員クビにしてしまったの。アルバストゥル宰相なら、私の学習意欲を引き出してくれそうだと思って。どうかしら?」


 もちろん空き時間でかまわない。そう付け足すと、ライアスは考える素振りを見せた。


「実は、私も陛下から似たような打診を受けておりまして……殿下の気持ちを一番にしたいと陛下にはお伝えしたところだったので、驚きました」


 なるほどこの男、臨時とはいえ宰相の地位を任されているわけである。フィリオーネは得心した。ライアスから声をかけられたならば、きっとフィリオーネは断っていただろう。だが、フィリオーネの方から話をするとなれば。

 媚びへつらうだけの下流貴族や、見惚れるだけで役に立たない貴族とは違う。


「では、家庭教師の話を受けてくださるわね?」

「……もちろんです」


 ライアスは簡単に承諾した。きっと計算通り、ということだろう。さきほどの瞬きも、もしかしたらわざとなのかもしれない。フィリオーネは、彼の思惑通りに動いていることに対し、いらつきを覚えるどころか面白く思っていた。


「話が決まったところ申し訳ありませんが、これから会議がありますので、終わり次第改めてお話する機会を設けていただけますか?」

「ええ、かまわなくてよ。では、終わり次第ここへ」

「かしこまりました」


 ライアスは綺麗な礼をし、去っていく。 フィリオーネは閉じられた扉越しに彼の後ろ姿を透かし見るように、しばらく彼の去った方向を見つめていた。




 戻ってきた宰相は、大荷物を抱えていた。彼の姿を見たフィリオーネは、王女としての振る舞いを忘れてきょとんとする。

「殿下、まずは歴史を勉強しましょう!」

「……それは?」

 失礼とは分かっていても、人差し指がライアスの手元へ向いてしまう。


「これからの勉強に必要な書物です」


 にっこりと、さきほどまで会議に出ていたとは思えない余裕さを見せて彼は笑う。

 疲れとは無縁なのかしら。

 フィリオーネは不思議に思ったが、彼のことを気にしている余裕はない。ライアスはフィリオーネが頭の中を整理しているうちに、彼女がいつも使っているテーブルを勉強机へと変貌させていた。


「殿下、よろしいですか?」

「歴史は……そこそこ知っているわ」

「そうでしょうとも。ですから、殿下に質問です」

「えっ」


 フィリオーネは思わず姿勢を正し、ライアスへ向かい合った。


「グライベリードの由来はご存知ですか?」

「我が国の? もちろんよ。古代語で【花に囲まれた土地】という意味なのでしょう?」

「その通りです」


 フィリオーネが花姫と呼ばれているのも、そこから来ているのだ。これに答えられなかったら恥ずかしいどころの話ではなくなってしまう。


「では、その言葉にまつわる昔話はご存知ですか?」

「昔話?」


 フィリオーネが知っているのは、古代語の意味だけである。少なくとも、フィリオーネが読んだ本には載っていなかった。


「グライベリードという名には、とても素敵なエピソードがあるのです。それを知ったら、きっと姫はもっと世界を知りたくなると思いますよ」


 ライアスはフィリオーネの知識不足に苦言を呈するでもなく、穏やかに、そしてあたかもこの話を自らが受けた祝福を語るかのように、グライベリードの建国由来を口にするのだった。

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