【完結】姫と宰相の十二ヶ月 ~期間限定の宰相に愛のスパルタ教育されてます~

魚野れん

プロローグ

勉強嫌いの姫と期間限定の宰相

 グライベリード王国は、危機を迎えていた。


「……陛下唯一の嫡子が、勉強嫌いですか」

「うむ。ついで、で構わぬ……娘を頼めるか?」


 国王アディネルの娘であるフィリオーネ姫は、ミースルの花姫と呼ばれる華やかで可憐な少女である。現国王夫妻には彼女しか子供がおらず、王位継承権はフィリオーネにしかない。

 だが、どういうことか彼女は勉強嫌いであった。厳密に言えば、独学である程度の知識がある故に、勉強しろと言われるのが嫌いなようであった。

 彼女が普通の平民であれば、現状の知識でじゅうぶん生きていけるだろう。しかし、彼女は将来の為政者である。為政者として、人の上に立つには圧倒的に知識が足りないのだった。


「私は臨時の宰相ですよ。それに年の近い異性です。よろしいので?」


 青年は肩をすくめてみせる彼は、国王の前に立つ人間にしては堂々としていた。全体的に黒く、シンプルな装いの男はあえて華美な装いを避けているようにも見える。


「ライアスでん……殿。頼む。あなたならば、安心して任せられる」


 国王にライアスと呼ばれた青年は、小さく苦笑し、頷いた。彼の態度の端々がこの構図に違和感を覚えさせるが、このやり取りを見ている者はいない。


「確かに……私は下手な人よりは為政者としての心得も、お姫様の扱いもまともでしょうね。分かりました。お受けします」

「助かる」

紫がかった漆黒の髪を揺らし、ライアスは頭を下げた。




 そんなやりとりがあったとはつゆ知らず、グライベリード王国の嫡子であるミースルの花姫、フィリオーネは自室で本を読んでいた。視線を本へと向けたまま、突然現れた訪問客へと声をかける。


「これ以上勉強したって仕方ないじゃない。そうは思わない?」


 フィリオーネはこの来客が何を意味しているのか、じゅうぶんに理解していた。つい先日、何人目だか記憶していない家庭教師をクビにしたところだったからだ。きっとこの男性も、その後釜として父王が用意したに違いない。

「では、まず自己紹介だけでもさせていただけますか? 姫」

 訪問客は、先ほどライアスと国王に呼ばれていた青年である。彼はフィリオーネの適当な対応にも関わらず、声を荒げたりする様子はなかった。


「いいわ。続けてちょうだい」

「本日付けで宰相となりました、ライアスと申します」


 予測が外れて拍子抜けすると同時に、おかしな言葉を聞いて本を閉じる。宰相だと名乗る男の声はみずみずしく、若者のものと思われる。知識だけではなく経験がものを言う職業に就くからには、そこそこの年齢が必要だ。つまり、昨日まで宰相だった人物――この男の言うことが正しければ――とは天と地ほどの差がある。

 そこでようやくフィリオーネの関心が男へ向いた。

 彼女は頭を上げて声の主へとその顔を向け、フィリオーネは青年の姿を確認した。見覚えのない顔だ。その上、見知った大臣たちの誰にも似ていない。


 紫がかった黒い髪は艶やかで、彼女の目から見てもしっかりと手入れされているのだから、かなり几帳面な性格だろうと想像できる。顔は少々優男風で中性的だ。だからこその身の整え具合なのかもしれない。

 服装は、可もなく不可もなく。流行に沿っており、また安っぽいものを身につけているわけでもない。華美でもないから、権力を誇示したいタイプの人間ではなさそうだ。

 そこまでを一瞬の内に確認したフィリオーネは、小さく首を傾げて口を開いた。


「宰相? ずいぶんと若いわね。どこの家の者?」


 自分の見せ方は知っている。これで鼻の下を伸ばすようであれば、危険人物として父に報告してやろう。そんなことを思いながら質問すると、彼は爽やかな笑みをもって回答した。


「私はアルバストゥル家の者です。ご存じありませんか?」


 アルバストゥル家。フィリオーネは聞き覚えがあったものの、ピンとは来なかった。だが、それをごまかす気はない。

「ごめんなさい、知っているとまでは言えないわ。名前を聞きかじった程度しか分からないの。よろしければ教えてくださる?」

 フィリオーネは努めて優雅な仕草を心がける。


 王位継承権を持つものとしての態度、しかしそれを忘れさせるような甘い笑み。どちらを向けても、ライアスの態度は変わらなかった。

 ……動じない、か。好感が持てる相手ね。

 フィリオーネは態度を変えずにいる新宰相の返事を待つ。


「教えてさしあげてもかまいませんが、せっかくです。調べてみては? 殿下は読書がお好きとのこと、図書館でアルバストゥル家について知っていただければ幸いです」


 なるほど、彼は一筋縄ではいかない人物のようである。フィリオーネの呼び方を姫から殿下へと変えた彼に、ますます興味が湧いた。


「一緒に行ってくださる? それこそせっかくだもの、知識を得た直後の感想をあなたに直接伝えたいわ」


 新鮮なうちに、と付け加えると、ライアスは目を瞬かせた。初めての表情の変化に、フィリオーネは心が満たされる気がした。


「殿下がよろしければ、ぜひ」

「そう。では、お時間があるなら今すぐにでもいかがかしら?」

「よろこんで」

 これが、後に智と美の女王ともてはやされることになるフィリオーネと、その王配の出会いであった。

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