煙の漂う部屋

紅月楓

第1話

 二十代前半、細身で茶髪の中性的な顔つきの男が会社の喫煙室へと入ってくる。

「先輩、お疲れ様です。」

喫煙室には他に人はいない、どうやら俺に話しているようだ。

「お疲れ様、会社には慣れてきた?」

なんということはないよくある会話だ。

「全然分かんない事ばっかりですけど、先輩のおかげでなんとかやれてる感じですね。」

「俺は何もしてないよ。俺も先輩たちに教わった事を教えてるだけだから。」

煙草を吸い終え、喫煙室を出ようとすると彼が後ろから声をかけてきた。

「今日、仕事終わった後で飲みません?」

「うん?良いよ、飲むところは任せても良い?」

まさか飲みに誘われるとは思わなかったので少し焦った。

「はい!」

うれしそうな声に聞こえたが気のせいだろう。と思いながら喫煙室を出て会議室へと戻る。


 「はぁ…漸く片付いた…。」

時計を見ると定時ぎりぎりだった。

急いで書類と荷物をまとめて帰り支度をする。

彼はもう仕事を終えただろうか…。

そんな事を考えながらエレベーターを降りると彼が待っていた。

両手に中身いっぱいのコンビニ袋を持っているようだが…なんだろう。

「遅くなってごめんね、週末だからって急ぎの仕事頼まれちゃって…。」

俺がそう言うと彼は満面の笑みを浮かべた。

「大丈夫です、その間に買い出しも済ましておいたんで!」

あぁ、そういう事か…。

「俺の家で良いの…?何もないぞ…?」

「良いですよ。先輩と飲みたいだけなんで。」

彼がなぜそんなに嬉しそうなのか俺にはわからなかった。


家への帰り道、彼とは仕事の話や学生時代の話をした。

他愛もない話をしている間に、俺の住むアパートが見えてきた。

築年数は興味がなかったので覚えてないが一般的にはボロアパートと呼ばれる類の建物だろう…。

「先輩、結構渋いとこに住んでるんすね」

「渋い…か?ボロって言って良いよ…。」

二人で小声で笑いながらアパートの階段を上って俺の部屋のドアを開けた。

「先輩、物ないっすね…なんすかこれ」

どうやら大きめのベッドと小さなテーブル以外に物がない部屋に驚いているようだ。

「どうせ仕事から帰って寝るだけだしな…。」

「飯とかどうしてるんすか?」

「コンビニで弁当買ってきて食べてるよ。」

彼は、少し呻った後で漸く靴を脱いで部屋へ入っていった。

「とりあえず、先輩。早く飲みましょ。」

「お、おう…わかった。」

彼がテーブルの上に買って来た酒とつまみを並べる。

「何飲みます?ビールとハイボールと…ワインなんかもあるっすよ?」

「じゃあ、ハイボールもらうよ。」

「あれ、ビールじゃないんすね。会社の飲みの時ってビール飲んでませんでしたっけ。」

ハイボールの缶を渡しながら彼は首を傾げる。

「あれは…ほら、ビール飲まないといけない雰囲気だろ…。実はビール苦手なんだよ…。」

「あー、そういうのあるっすよね。俺は好きでビール飲んでたけど先輩苦手だったんすね。」

そう言って彼は嬉しそうに笑いながらビールの缶を開ける。

「そんじゃ、今週も仕事お疲れ様でした!」

「お疲れ様…。」

それほど大きくない部屋で二人で乾杯する。


 「先輩、結構飲めるんすね。」

「若い頃にたくさん飲まされたからな…。」

いつの間にか彼は俺の隣に座って足を延ばしている。

ふと彼の耳に開いているピアスの穴らしきものが目に入った。

「これ、気になるっすか?元カノの影響で開けたんすけど、俺には合わなかったなって思って最近外したんすよね。」

俺の視線に気づいたらしい彼が耳元を触りながらそう答える。

どう反応するのが正解なのか悩んでいる間に再び彼が話し始める。

「本当は元カノの事忘れたくて外したってのが大きいんすけどね…。」

彼が少し悲しそうな表情をしたように見えた。

「そうなのか…。思い出したくない事話させてしまってごめんな…。」

謝る俺の肩に頭を預けるようにして彼は笑った。

「良いっすよ、そのおかげでこうやって先輩と二人で飲めてるわけだし。」

そう言ったあと、彼は俺の肩に頭をぐりぐりと擦り付けてくる。

「お前…だいぶ酔ってるな…。」

「そんな事ないっすよ、俺…色々世話してくれた先輩の事大好きで…」

「ベッド使って良いからもう寝とけ…。」

酔って眠たそうにしている彼をベッドに寝かせる。

「先輩…俺、何か抱いてないと寝れないです…。先輩、一緒に寝ましょ…?」

「お前…男同士だぞ…。」

ベッドに寝そべりながら両手を広げてこちらを見てくる彼を、少し可愛いと思ってしまった自分を今すぐ殴りたい。

「俺…性別は気にしないっすよ…?」

「そういう問題じゃなくて…あぁ、もう…寝るだけだぞ…。」

彼に背を向けてベッドに横になったが、後ろから抱き着いてくる彼が笑顔なのはなんとなく想像できてしまった。

「先輩、大好きっすよ。」

「はいはい、分かったからもう寝るぞ…電気消すからな。」

そう言って俺は枕元に置いてあったリモコンで電気を消した。



 昼少し前に目が覚めた。何か良い匂いがする…。

ベッドに彼の姿がない事に気付き台所の方を見る。

「あ、先輩起きたっすか。調理器具は一通り置いてるみたいだったんで、買い物してきて昼飯作ってみました。」

「あぁ…、ありがとう…。」

どうやらカレーの匂いだったらしい。

彼はそれを器に入れて俺の方へ持ってくる。

「寝起きに濃いのはきついと思ったんで少し薄い感じでスープ風に作ってみたんすけど、食べるっすか?」

「もらうよ…。」

一緒に渡されたスプーンで一口食べてみる。

「お前…料理できるんだな、おいしいよ…。」

彼が嬉しそうに笑う。

「俺、結構自炊とかするんすよ。おいしいっすか、よかった。」

自分の分を器に入れた彼が俺の隣に座る。

「先輩とこうやって並んで飯食うの憧れてたんすよね。」

あぁ、そういえば彼を飯に誘った事はなかったなと思った。

「誘われたら断りづらいだろうかと思って声かけてなかった…。」

「俺にそんな気使わなくて良いっすよ、嫌な人の誘いはちゃんと断るんで!」

「わかった、今度から誘うことにするよ…。」

それを聞いてまた彼は嬉しそうな笑顔を見せる。


 昼飯を食べ終わって二人でベッドに座りながら窓の外を見る。

「先輩、俺…」

彼が何やら悲しそうな顔でこちらを見ている。

「ん…どうした?」

「タバコ吸いたいっす…もう限界で…」

「あぁ…それなら部屋で吸って良いよ、どうせ俺も吸ってるし。」

彼が嬉しそうに煙草に火をつける。それを見て俺も煙草を取り出した。

「なんか…こういうの良いっすね。」

「ん?」

煙草に火をつけながら彼に聞き返す。

「好きな人と一緒にタバコ吸いながらのんびりできるのが良いなって話っす。」

思わず咽てしまった。

彼はニコニコしながらこっちを見ている。

「まぁ…俺も悪くないなとは思ったよ…。」

「そうっすよね、先輩。」

二人で空を眺めながら煙草を吸う。

部屋には煙草の煙が漂っている。

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煙の漂う部屋 紅月楓 @KudukiKaede

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