第35話 『男装』のカイ

 カイの氷のような美しい瞳が、私を射抜く。

 私は思わず息をするのを忘れていた。

 

 ーーだって、あまりにカイが美しかったから。


「カイ……それは……?」

「どう? あなた、……に男装をしてほしいと言っていただろう?」


 カイはゆっくりと立ち上がり、私の元に近づいてくる。

 身長も、声も、いつものカイと変わらない。

 けれどスカートを履かずに、女の子らしいメイクもせずに、髪を括ったカイは本当に、夢のような王子様で。

 私は顔が真っ赤になるのを感じた。耳が熱い。

 ヘナヘナと、座り込みそうになる。


「フェリシア!?」


 慌ててカイが私の手を取る。いつもと同じ、私よりも大きくて、長い指の手。

 手のひらの温度も、香る匂いも同じーー私がプレゼントした香水をつけてくれている、いつものカイ。


「あ、ああの、……あの……」

 

 私は声が出なくなった。心臓がバクバクした。


「どうしよう、私、なんだか、変に、なっちゃって……」

「ふぇ、フェリシア……そんなに驚かせてしまったか、まずいな」


 ひいい、口調を男の人っぽくするだけでもすごく男の人っぽい!

 私は混乱した。


 カイはただ男装をしただけなのに。

 カイはただ、私に男装を見せてくれただけなのに。いつものカイなのに!


「どうしよう、カイ……」

「大丈夫、しっかりして?」


 カイは私をソファに座らせてくれる。その気遣いも王子様らしくて失神しそうだ。


「私、どうしよう……カイが、男の人の格好をしただけなのに、胸がドキドキするのが止まらないよ……」


 私は胸を押さえて訴えた。

 カイは大きく目を見開く。

 透き通った瞳に、私の真っ赤になった顔が映り込んでいる。


「ごめんね、カイは男装嫌なのに、それでも私のためにしてくれたのに、それにこんなドキドキしちゃうなんて失礼だね。ええと……深呼吸……うう……」


 私は目を閉じて深呼吸した。

 カイが伺うような、いつになく弱気めいた声音で尋ねる。


「気持ち悪くない? 僕のことが」

「気持ちわるいわけないよ! カイがどんな姿でも、カイはカイだよ! 大好きだよ!」


 思わず訴えたところで、至近距離で目があって私は変な声が出た。

 どうしよう。親友に、こんな気持ち。


「……どうしよう……でも……私、もう他の男の人好きになったりできないよお……」

「そ、そう……?」

「カイはどんな姿でも好きなのに、男装すると、もう、すっごく夢見たいな男の人に見えて……怖い……カイのポテンシャルが怖いよ……」

「あまり褒められると、……その、照れるかな」


 カイは少し頬を染めると、改めて私を見た。


「男装が嫌なわけじゃなかったんだ。男装をすると、……その、祖国で僕がしていた姿によく似た状態になるから、目立ちそうで嫌だったんだ。……あ、そうそう。父によく似ているからね、僕は」

「なるほど、そういうのってあるよね」


 私は実家の妹を思い出す。

 ルジーナもすっぴんで髪の毛を全部まとめて顔を洗っている時は、父にすごく似てる時がある。


 カイは立ち上がった。


「じゃ……君に見せたかっただけだから。僕は着替えてくるよ。しばらく待っていてくれる?」

「うん。待ってる」


 私は微笑んだ。

 カイは耳まで赤くしながら、逃げるように、部屋に戻っていった。


 一人残されながら、私は自分の頬を押さえ、ため息をつく。


「……すっごく……かっこよかったなあ……カイ……」


 私はカイが大好きだ。

 大好きな大親友が男装したら、とっても素敵な男性になってしまったら。


「どうしよう……私、男装のカイに……恋しちゃったかも……」


 深呼吸して忘れようと誓う。

 カイはいつか、女の子として誰か男性と結婚して、幸せになるんだ。

 その時に祝福している親友の私が、男装姿のカイに恋をしていて失恋した、なんて複雑すぎる状況だ。


 親友にひっそりと恋をして、言い出せないまま相手が結婚することで失恋をすることを「バームクーヘンの恋」と言うらしい。


 私もバームクーヘンの恋に、足を半分突っ込んでるのかもーーしれない。



◇◇◇



「お待たせしたわ」

「ひゃわっ!!」


 ビクッとして振り返る。そこには修道女姿のカイがいた。

 カイのコスプレは修道女ということになっていたのだ。

 なんだか勝手に、こちらの不純な思いを叱られているような気持ちになる。


「に、似合うね……」

「どうして目を背けていますの?」

「え、ええと……まだ余韻が……」

「そ、そう」


 カイも気まずそうにしつつ咳払いをして空気を振り払う。

 そして私に手招きした。


「部屋にいらっしゃい」

「えっ」


 思わず真っ赤になった私に、カイも真っ赤になる。


「そ、そんな親友を部屋に入れるだけで、真っ赤にならないでいただけます!?」

「そそそそうだよね、そうだよね!? で、でもなんで!?」

「メイクしてあげますわ。……いいえ、させてちょうだい」


 カイがルージュを手に持ち、にっこりと笑う。


「せっかく可愛らしい服を着るのだもの、最高のフェリシアに仕上げて見せますわ」

「えへへ、ありがとう」


 照れを捨て、私はカイの部屋に入る。

 カイの部屋はいつでも透き通った匂いがして、物が整然と整えられていて綺麗だ。

 生活感のないーーまるで、いつふっと消えてもおかしくないような整頓がされている。


「こちらに座って」

「あ、うん」


 シンプルなドレッサーの前に座った私の隣に、カイは椅子を持ってくる。

 鏡を移動させ、光の角度を調整したのち、私の前髪を留めてメイクを始めた。


「目を閉じて」

「……うん」


 目を閉じると、視界以外の五感が鮮明になる。

 窓から柔らかく吹き抜けてくる風。

 カイの冷たい指先が、柔らかなクリームを肌に塗り込めていく。

 粉を乗せる刷毛が柔らかく滑る。粉っぽい香り。カイの息遣い。指先の熱。

 目を閉じていても、カイの視線を顔に感じる。

 ーー頬が、熱くなる。


 カイが、ふっと笑った気配がした。


「ほほ、真っ赤ですわね。……チークが乗せにくくってよ」

「ごめん……」

「いいんだ。のせいなんだから」


 不意に男の人っぽい口調を混ぜられて、私はどきんと心臓が跳ねるのを感じた。

 カイは女の子で、高貴な人で、いつか誰かのお嫁さんになる人。


 頭の中で、ぐるぐるとバームクーヘンが焼かれる工房の様子が浮かぶ。

 そうだ、バームクーヘン屋さんのことを考えよう。

 地元のケーキ屋さんのトマシュおじさんが作ってる、あのバームクーヘンの……ぐるぐる……ぐるぐる……


「フェリシア、目を開けて」

「あ、焼けたの?」

「……何の話ですか」

「ごめん、今ちょっと夢見てた」


 私は慌てて目を開く。至近距離のカイの眼差しに、頭の中で焼けていたバームクーヘンが爆ぜた。


「っ……カイ……」

「視線だけ天井に向けて。下瞼に色を乗せるわ。あとマスカラもね」

「う、うん……」


 私はずっとドキドキしているけれど、カイはなんだかもう慣れた様子だった。

 むしろ私の反応を楽しんでいるようにすら見える。

 どうしよう。私、今朝のこと一生忘れられない。


「できたわ。……じゃあ最後に口紅を塗るわ。口、少し開いて」

「ん……」


 私は少し顎を前に出すようにして、唇を薄く開いてカイに差し出した。


「……」


 カイの動きが止まる。

 私の唇をじっと見て、何か時が止まったような様子だ。

 顎に触れる手が震えている。カイが僅かに、生唾を嚥下した気配が見えた。


「……カイ……?」

「……なんでもないわ。綺麗だから見惚れていたのよ」

「…………」

「…………」


 私たちは目を合わせた。心臓の音が耳まで響く。うるさいくらいに。

 カイの顔が僅かに、ほんの数ミリだけ近づいた気がした。

 いつもの服とは違う、禁欲的な修道女の姿は、一層美しくて。さっきは施していなかったパール系のメイクも綺麗で、まるで輝く雪をまぶたに乗せているようなメイクも、とても綺麗でーーあ、アイライナーは青なんだ……


 カイはふっと真顔になる。

 私を写したその両目は、急に凪いだものになる。

 じっと怖いくらいの真顔で私を見つめたのちーーカイが、声のトーンを変えて尋ねてきた。


「ねえフェリシア」

「何……?」

「私が親友・・じゃなくなったとしても、私のことを許してくれる?」

「え……どういうこと?」


 私は意味がわからず、疑問をそのままに口にする。

 カイは切なげに眉を寄せた。苦しげな顔をしてもカイは綺麗だった。


「フェリシア、は……」

「か、カイ……?」


 カイが顔を傾ける。

 顔が明らかに、はっきりと、近づく気配がした。


 ーーその時。


「カイ! フェリシア! 時間だよー!」

「すごいですわ、早くいらして、アンジャベルさんの逆バニーが」


 異国情緒な服チャイナドレスを纏ったマオと。

 私と色違いのメイド服を纏ったカシスの声が、扉の向こうから聞こえてきた。

 二人とも、遅い私たちを気にして迎えにきてくれたのだ。


 音もなく、パチンと何かが弾ける感じがした。


「……いきましょうか、フェリシア」

「う、うん……」


 カイは手際よく口紅を塗ってくれたので、そのまま二人で大急ぎで部屋を出た。


「わっ! 二人とも素敵! いいなあ」

「こういう非日常の服装、楽しいですね。わくわくしますわ」


 カシスとマオは無邪気にニコニコと接してくれる。

 私とカイは笑いながらーーお互い、なんとなくギクシャクした気持ちだった。


「いきましょう、フェリシア」

「う、うん」


 ーーこんなふうに気まずくなっている場合じゃない。

 これから数日間にわたって、魔術学園は学園祭だ。


 忙しいし、楽しい。

 けれどーー意識してしまうようになった気持ちは、なかなか止められなかった。

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