第28話 突撃・ヴィルデイジー家

 今日の講義は午前中だけだった。


 教室の窓から差し込む柔らかな光が、私の教科書の文字を照らし出していた。

 けれど心はぐちゃぐちゃで、何も分からない。いつも楽しく聞いているはずの講義が、外国語のように意味がわからない。

 全く身に入らないまま講義をなんとか乗り切ったのち、私はカイに連れられてカフェテリアに向かった。


 カフェテリアはいつも通りの賑わいで、学生たちの笑い声や会話の断片が空気を満たしていた。

 その華やいだ空間が、今は全く現実感がない。遠い世界の景色のようだ。


 私とカイは人ごみを縫って、特別な貸切の個室がある二階へと進んだ。


 カフェテリアの中二階には、有料で使える特別な貸切の個室がある。

 カフェテリアの上に浮かぶような形で作られた円形の喫茶室は、360度窓になっていて、部屋の形に合わせられた輸入品の円卓と一人がけのソファが並べられている。

 

 そこにはすでに数人の関係者たちが集まっいた。

 一様に緊張した面持ちをしている。

 

「すまない、僕が婚約解消を匂わせたばかりに……」


 そう切り出したのは、元婚約者のシモン・ジェンティアナ男爵令息。


「あのおっさんはやばい、何度も若い女を取っ替え引っ替えしてるって噂だ。結婚こそしていないものの、立件スレスレの案件や示談で闇に葬った話はそこかしこにあるということで、父も目をつけている男だ」


 腕を組んで額に血管を血走らせ訴えるのは、アンジャベル・セリンセ侯爵令息。


「どんな相手であれ、肝心なのはフェリシアの気持ちだ。フェリシアはどう思う?」


 真面目な顔をしてフェリシアを見つめるのは、ノヴァリス・カインダブルー侯爵令息。

 そしてーー


「とにかくフェリシアを守らなければならないわ。フェリシアは私たちの大切な人よ」


 青ざめた顔で言い放つのはカイ・コーデリック公爵令嬢。私の大親友だ。


「ありがとう、カイ。そしてみなさん、ありがとうございます。……私なんかのために集まっていただいて」


 頭を下げる私に、アンジャベルさんが「違うだろ」と言う。


なんか・・・とは何だ。お前のことが皆心配なんだ。俺ももちろん……学友として放っては置けぬ!」

「そうよね、学友としてよね」


 カイが何故か念を押す。


「僕は責任があります。とにかく父と一緒に、ヴィルデイジー家に今一度フェリシアの結婚を考え直すように訴えるつもりです」


 シモン先輩は必死に訴えた。

 実家の都合でうちと婚約破棄したり婚約白紙にしたり、色々とやらかしているので立つ瀬がないのだろう。


 私はシモン先輩に微笑んだ。


「気にしないでください。実家のいろんな都合ってのはありますし。だからこそ、うちの問題で色々波風立てないでいいんですよ」

「いやいや、そこはきっちりしてもらいなさいよフェリシア。」


 カイがツッコミを入れる。そして話を戻した。

 

「私がフェリシアと一緒に実家に乗り込むわ。そして文句を言ってくる」

「いや、カイ……あんたが出ていってどうなる。俺が出たほうがいいんじゃないのか」


 アンジャベルさんが口を挟む。

 しかしカイはピシャリと言い返す。


「いいえ。私が行くわ。あなたは父親の仕事を思い出しなさい。息子が大暴れなんてことになったら、治安維持に携わるあなたのお父様に迷惑がかかってしまう。それに」


 カイは言葉を切る。少しせつなげに、こう続ける。


「あなたがいけば、……男のあなたが行けば、フェリシアが不貞を働いていると醜聞を広められかねないわ」

「カイ……」

「その点私は女子学生ですもの。友人として、コーデリック公爵令嬢として、彼女を庇いにいっても問題は起きないわ」


 カイは立ち上がり、私に手を差し伸べた。


「行きましょう。公爵家から馬車を用意します。直接文句を言って、問題を全部解決するのよ」


 そこで扉が開く。


「面白い話をしてるね、みんな」


 カフェテリアの店長だ。

 彼は私を見て、少し憐れむように目を細めた。


「……フェリシアはしっかり将来有望な学生であることを成績で示しているよ。だから大丈夫。キーリー・ジキタリスもフェリシアに、学園に残って欲しいと願っている。しっかり話をしておいで」

「店長さん……」

「俺も色々あちこちにコネクションがあるからね。今回の件、どうにか力になれないか働きかけてみるよ」

「ありがとうございます!」


「俺も力になろう」


 そう言ったのはノヴァリスさんだ。


「フェリシアのスライムちゃん(仮)の技術は父、研究室に言えば、何らかの便宜を図ってくれるはずだ。最悪結婚は免れないとしても、その後も学園に通えるように夫に伝えられる」

「いやいや、結婚は阻止しろよノヴァリス」

「無理かもしれないことは約束できない、アンジャベル」

「てめえ」

「あああ、喧嘩はダメだよ」

「「シモン先輩は黙っててください!」」

「あっはい」


 彼らの会話を見ながら、店長さんがにこりと笑う。


「みんなーーここに集まっていない人だって、フェリシアのことは大切だから。安心していっておいで」

「はい! ありがとうございます」


 そして、私も立ち上がってカイの手を取った。


「……カイ。お願い。力を貸して」

「もちろんよ。私の大切な親友、フェリシア」



◇◇◇


 私たちは短期休暇願いを学生課に提出すると、翌日には馬車に乗り、ヴィルデイジー男爵家へと旅立った。

 窓の外を見つめていると、学園の広大な敷地が徐々に遠ざかり、あっという間に見えなくなってしまう。

 心細くなって、私は制服のスカートを握りしめる。

 まだ学生であると自分に言い聞かせたくて、私は制服をあえて身に纏って実家に帰る。


 ふと、馬車の中で、私は「あっ」と気づいた。


「そういえばカイ。学園の外に出たら、亡命中の身として色々まずいんじゃ」


 向かい側に座ったカイは、窓の外から私へと視線を向けた。

 彼女は今日、学生服にメガネをかけている。

 変装というには少し心許なくは見えるのだけれど。


 彼女は首元の黒いチョーカーに手を触れ、首を横に振った。


「……大丈夫よ。すぐには誰も私だと気づかないわ」

「そうなの?」

「ええ。それに親友のためだもの。自分の保身ばかり考えている場合ではなくってよ」

「で、でも……でも……」

「くどいわね。じゃあ言い換えるわ。この国の将来有望な連中たちが夢中になっている、これまた将来有望なフェリシアに今こそ借りを作るチャンスなのよ!」


 びし。とカイは指を突き出す。


「今回の件、無事に穏便に済ませられたなら、いずれ国交回復の時に手伝ってもらいますからね。覚悟なさって?」

「もちろんだよ」


 私は頷いた。

 そしてなんだか嬉しくなる。


「……カイ」

「ん?」

「カイは、卒業して、いつか元の国に帰ることになっても、私と仲良くしてくれるつもりなんだね」


 私の言葉に、カイは目を見開く。

 そして少し泣きそうな、困ったような、いろんな感情が入り混じった苦笑いを浮かべた。


「決まってるじゃない。私、一度仲良くなった大親友とそうそう簡単に縁を切ってたまるものですか」


◇◇◇


 そしてコーデリック公爵家の馬車は非常にスムーズに街道を突っ走り、私たちは一週間で実家に到着した。

 実家に到着するなり、父は玄関を開けずに怒鳴った。


「か、金はもうすぐ用意するから! 今日は帰ってくれ!」

「お金なんていらないですがお父さん、どうしたんですか?」

「…………うわっフェリシアか、びっくりしたっ! 驚かすな馬鹿者!」


 父は扉を開くなり、私を見て目を剥いて叱りつける。

 私の隣でゴホン、とカイが咳払いした。父は目を白黒させた。


「……あの、失礼ですがどちらのご令嬢で……」

「ごきげんよう。名乗るほどのものでもない、フェリシアお嬢様の大親友ですわ。私もご一緒してよろしくて?」

「ど、どうぞ……」


 父は縮こまって、カイを中に案内してくれた。

 父はこういう、生まれながらの高貴なオーラと風格を持つ人の前では弱いのだ。

 早速客間に案内されたものの、ソファに座った私たちを前に、父は身を小さくしている。

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