第21話 研修旅行の夜/温泉
大浴場の前にはちょっとした休憩用のソファがいくつか置かれていた。
私は大浴場に「使用中!立ち入り厳禁!」の札を借りてきて、ドアにかけたのちにソファに座る。
通りすがったホテルの従業員さんが、私に「サービスです」とあたたかなハーブティと飴をくれた。
お風呂上がりで、お腹いっぱいで気持ちいい状態で飲む常温のハーブティはとても美味しい。
「幸せ……」
見張りであることを忘れそうになるくらいくつろいでいると、廊下の突き当たりから「あっ」という声が聞こえてきた。
こちらを見るのは、数人を引き連れた男子学生ーーアンジャベルさんだ。
彼はこちらを見てビクッとすると、周りに何かを言われて、一人でこちらへとやってくる。
「隣、いいか」
「いいよ」
彼はぎこちなく座る。
そしてもじもじとしながら言葉を紡いだ。
「あー……フェリシア・ヴィルデイジー。……その。久しぶり。二人でこうして話すのは、さ」
「久しぶり。どうしたの? こっちは女湯しかないよ」
「……あんたと話したいんだ。それだけ。いいかな」
「もちろん! でも私、一応見張り中だからね」
「見張り?」
「うん。ちょっと……大浴場に誰も入らないように、見張っといてって言われたの」
「誰だよ、そんなこと言いつけたのは」
そう口にした所で、アンジャベルさんがカッと目を見開く。
「またあんた、いじめられてーーさてはパシられてんのか!?」
「ちっ違うよー! 違うの! 女子は色々あるの! 純然たる好意でやってるの!」
「そ、そうか……」
彼は落ち着きを取り戻すと、足元を見つめたまま黙り込む。
私もなんと話しかければ良いのかわからず、黙っていた。
けれど沈黙に耐えきれず、私の方から話しかける。
「あのね、アンジャベルさん」
「ッ……!?」
アンジャベルさんが露骨に目を見開き、隆々とした胸筋を押さえてこちらを凝視する。
「ど、どうした!?」
「あっいやっ世間話しようと思っただけだけど」
「そ! そうか! どんな話だ、なあ!」
「怖い」
「すまない」
「あのね。いや大したことじゃないんだけど。アンジャベルさんは魔術騎士を目指してるんだよね?」
「ああ」
「今日も熱心に国防についての魔術師協会の話聞いてたよね。私は詳しくないんだけど、魔術師協会と魔術騎士ってどんな関係なの?」
「……基本的に運営母体は別だ。魔術師協会は魔術師キーリー・ジキタリスを頂点とした、魔術師全体を統括する政治組織のようなものだ。魔術騎士は魔術は使うが、魔術師ではない。あくまで騎士ーー王国に従属する武力としての立場だ。魔術騎士を魔術師とは呼ばないのはそういう事情だ」
「へー……」
「魔術師と魔術騎士はそのスタンスの違いにより、あまり良好な関係とはいえない。……魔術騎士になってしまったら、こうして魔術師協会の内部について知ることは叶わなくなるから、今のうちにたくさん聞いておきたかったんだ」
「すごいね、いっぱい将来のこと考えて行動してるんだ」
「……当然だ。俺はセリンセ侯爵家の嫡子としての行動を求められるからな」
そう言うと、彼は私を見て言った。
「……なんだろう、あんたのようなタイプの女子学生は、俺の近くにいなかったんだ。大抵はお見合いの関係だったりしたから……こうして話していると、不思議な気持ちになる」
「そうなんだ。私もアンジャベルさんみたいな人、いなかったから不思議。元婚約者とはそもそもあまり会ってなかったしね」
「……まて」
「ん?」
「元婚約者ってことは、今は?」
「あはは……妹に婚約者を取られちゃったから、私は目下探し中だよ」
「…………」
なぜかアンジャベルさんの眼差しがどんどん熱く強くなっていく。
本能的な恐怖を感じるんだけど気のせいかな。
「俺も実は探し中なんだ。家訓として『真に強き騎士たるもの、己の力で婚約者を見つけろ』と言われている。最良の妻を捕まえられない男が、真に強い魔術騎士にはなれるわけがないと」
「う、……うん?」
「俺は魔術学園で、理想の女を見つけようと思っていた。最も強い女であるカイ・コーデリックは婚約者として申し分ないと思っていた、しかし……」
ーーカイ。
その名前を言われたところでハッとする。
「そうだ、……時間が経ちすぎてる気がする!」
私は立ち上がった。
「ごめん、ちょっと大浴場に行かなくちゃ。何か困ったことになってるのかも……!」
「えっ……」
「また、話の続きは今度ゆっくり聞かせてね。じゃ!」
「お、おう……」
私は辞儀をすると、アンジャベルさんを置いて大浴場の扉を開いて中に入った。
◇◇◇
「カイ! 大丈夫……? のぼせたりしてない……?」
脱衣所にはいなかった。
私は大浴場に通じるドアを少しだけ開いて、中に声をかける。
「カイ、大丈夫? 倒れてない?」
「っ……!!」
カイが息をつめた声がする。
その次の瞬間、ガポーン! と、湯桶が激しい音を立てる。
驚いて、私は反射的に中に入った。
「ごめん! 入るよ! 大丈夫!?」
「だ、大丈夫ですわ!!」
いつものカイの声にホッとする。私は目を覆った状態で、恐る恐る奥に入る。
「ごめん、見てないから安心して。遅かったから心配して入ってきたんだ」
「……心配をかけてごめんなさい。想像以上に気持ちよくて、ついトロトロと……」
「あはは、それなら良かったよ」
「あなたは大丈夫? 湯冷めしてない? 退屈していたんじゃなくて?」
「大丈夫だよ。外にはアンジャベルさんもいて、ずっと雑談してたし」
残してきて悪かったな、と思う。
今度会ったとき真っ先に「先日の件だけど、ごめんなさい!」って言おう。謝罪は単刀直入が大事だ。
そんなことを思っていると、カイの声が低くなる。
「……アンジャベル、ですって……?」
「え? うん。なんか私が一人でいたから退屈に見えたんだろうね。色々話してくれたよ。まだいるかも? いるなら、お話しして待ってるからカイは」
「だめ」
「え?」
「行ってはダメよ。アンジャベルの元には行かないで。お願い」
「えー……うん。カイがそういうのなら」
でも外にずっと待っているのも、確かに湯冷めが気になるかもしれない。
「そうだ!ちょっと待っててね!」
私はカイに断って、脱衣所に戻る。
そして服を脱いで、脱衣所に「ご自由にどうぞ」と置いてあった新品のタオルを片手に大浴場に突入した!
「カイ! 私も一緒に入るよ! それならどう?! 湯煙でそっちは見えないからさ! 見ないようにするし!」
ーーカイが、息を呑んだ声が聞こえた。
「……い、いけませんわ、そんな……」
「見ないしさ、これなら湯冷めもしないし、何より私も退屈しないし。いいでしょ?」
カイは黙っている。私は軽く体を洗ったのち、掛け湯をしてお風呂へと入る。
湯煙の向こう、なんとなく影があるような気がするけど見えない。湯煙の多い温泉でよかった。
「へへへ、入っちゃった」
「…………神よ……」
カイが何か神に祈ってる気がする。
お湯が心地よくて、私もゆったりと楽にする。
「きもちいいよね、カイ……へへ……私ももう一回入れて嬉しいな」
「……」
「……ごめん。無理に入っちゃて、気分害したかな。やっぱりあが」
「いいいいいですわ! ここにいてくださいまし! し、しばらく上がれなくなりそうですので! ええ!」
「そう? ふふふありがとう。ちゃんと見てないからね」
「私も何も見てませんわ。何も。ええ。本当に。神に誓って言えますわ」
「別に私はいいよ? 温泉だし裸くらい」
「私が気にしますの!!」
「そっか」
カイはすっかり黙り込んでしまった。
私はカイが伸び伸びできるように、ちゃんと目を閉じて過ごしている。
カイもだんだん馴れてきたらしく、ふう、と小さくため息をついた。
「……あなたと一緒にいると、いつも驚きの連続ですわ……」
声は怒っていなくてホッとした。
「私も新鮮なことがたくさんあって楽しいよ。いつもありがとね、カイ」
「……こちらこそ、ですわ」
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