第20話 研修旅行/ ※カイ視点

 夜はホテルに泊まった。

 フェリシアが女子学生たちと連れ立って温泉に向かう。

 近くにある活火山、クラウゼンの影響でこの街には温泉が沸いている。

 女子たちがはいる風呂についていくわけには行かないので、僕は一人、フェリシアと同室の部屋で待っていた。

 ーー流石に誰か入ってくる可能性があるから、首のチョーカーはつけたままだ。


 談話室から貰ってきた大きめのティーポットからハーブティを淹れ、唇を潤しながら僕は一人ため息をついた。

 

「フェリシアが馴染んでいくのは僕が仕向けたことだけど、それはそうとして……手のひら返しする連中が多いのもまた……」


 ほんの少し前までは居場所のなかった彼女が、元気に過ごしてくれているのは嬉しい。あえて自分から離れて交流してもらおうと思ったけれど、彼女はそこでもいじめられることなく周りと仲良くやっていた。


 ーー元々の彼女はそういう子なのだ。


 誰かが無理に庇わなくても、笑顔と無自覚な優しさと、良い意味での鈍感力で上手に世渡りをしていける。そのきっかけが今までなかっただけなのだ。

 女の子たちと仲良くしているのを見るのはホッとする。

 自分では流石に更衣室や風呂に一緒に行くことはできないし、目が届かない場所で彼女が楽しくやれるに越したことはない。

 けれど。

 手のひら返をしたように、鼻の下を伸ばした男が増えてきたのは由々しき問題だ。


 今日だって彼女をちらちらと見ている視線が多いのは、隣にいた身としてわかる。冷たく取り澄ましたカイぼくが隣にいるからこそ、余計に彼女のふわふわとした愛らしさと笑顔が映えるのも知っている。だからこそ見るな。浮ついた気持ちで彼女の可憐さだけをかいつまんで楽しむな。責任を取るつもりがあるのか。責任を取れるだけの甲斐性があるのか。彼女は婚約破棄された立場なんだぞ、そんな彼女をちゃんと幸せにできないのならチラチラ見るな。仲良くなるな。まずは家柄を言え、お前の成績を見せろ、フェリシアと必要以上に懇意になりたいのなら、まずは最低限カイぼくの成績くらい超えてみせろ、この温室育ちどもめーー


「カイ! お待たせ!」

「〜〜ッ!!!」


 僕はビクッと肩を震わせる。反射的にチョーカーに触れて、ちゃんと魔道具が発動していることを確認する。

 心臓が跳ねるのを誤魔化しながら、僕はいつもの公爵令嬢カイの演技をする。


「早かったですわね。もっとゆっくり歓談を楽しんでもよろしくてよ」

「温泉の中でたくさん楽しんできたよ! すっごく気持ちよかった!」


 フェリシアははしゃぎながらこちらにやってくる。ホテル備え付けのゆったりとした室内着を着て肩にタオルをかけ、櫛を入れただけの濡れ髪を下ろしている。風呂上がりの良い匂いと、無防備な姿が直視するには目の毒だった。


「そ、それは何よりですわね……」

「どうしたの? 顔赤いけど、具合悪いの?」

「ッ……!?」


 顔を覗き込むように近づかれ、僕は露骨にあとずさりそうになるのを耐える。ここで変な態度を取る方がおかしい。僕は親友の公爵令嬢なのだから。


「……問題ありませんわ。ただ、せっかく綺麗になさってきたのですから、私に近づかない方がよろしいのではなくて? まだシャワーを浴びていないのですし」


 我ながら上手な誤魔化しかたをできたと心の中でガッツポーズする(戦神ガッツのポーズをすることは、改心の行動をできたことを喜ぶ一般的な行動である)。

 フェリシアは慌てて離れる。


「ごめんね、気にしちゃうよね。でも大丈夫カイはいい匂いしかしないから! でも気にするよね!」

「わかってくれればいいのよ」

「でも大変だね? お風呂みんなと入れないって……事情は深くは聞かないけど、同じ部屋で何か困ったこととか、私に見られたくないこととかあったら言ってね?」

「ええ、ありがとう」


 フェリシアの気遣いに罪悪感を感じつつ、僕は頷く。

 彼女には一緒に風呂に行かない理由に「体に見られたくないものがある」と伝えていた。彼女はあっさりと「わかった、じゃあカシスとマオと一緒に行ってくるね」と引き下がってくれていた。こういうとき「見ても気にしないよ!」と強引に押してこないところが、フェリシアらしくて好ましいと思う。


「体調が悪いんじゃないんだよね? それは平気なんだよね?」

「え、ええ」

「……人の目がないなら、入浴できるのよね?」


 フェリシアは声を潜めて念押しのように尋ねてくる。あれ、とはなんだろう。

 思いつつ、頷く。


「ええ」


 答えると、フェリシアはにっこりと笑った。


「それならよかった! ホテルの人に、カイが夜に一人で入る時間が取れるように交渉しといたから」

「な、なんですって!?」

「だってすごく気持ちいいお風呂だったから。楽しんで欲しいんだ」

「それは……ありがたいですけど……」


 まさかそういう気遣いをされるとは思わなかったので、驚く。


「夜に一緒に行こう? 私は脱衣所の見張りするから任せてよ」


 フェリシアはノリノリだった。

 彼女の優しさを無碍にするわけにもいかなくて、僕は微笑んだ。


「ありがとうフェリシア。ではお言葉に甘えますわ」


◇◇◇


 先輩方の賑やかな出し物や交流会が行われた夕食会、その余韻をみんなが楽しんでいる時間帯に、僕はフェリシアと一緒に部屋を抜け出した。

 廊下にはあちこちに楽しそうな生徒たちが行き交っている。

 時々、フェリシアに向けて声がかかる。


「今からお風呂? 行ってらっしゃーい」

「うん、またね〜!」


 そんな風に周りとにこやかに話すフェリシアは、僕と何気なく手を繋いでくれている。細くて小さな手。女友達相手なら手を繋ぐことも普通だからと、僕は意識しないようにする。

 男子学生たちが、ちらちらとフェリシアを見ているのがわかる。

 無性に腹が立ってギロリと睨むと、彼らはすごすごと目を逸らす。

 追い払った後に僕ははっと我にかえり、隣のフェリシアをチラリと見下ろす。


 ーーフェリシアはこれから、婚約者を探さなければならない。

 ーー働くとしても、仲の良い男子の同級生がいないのは、実社会に出たあとに不利だろう。


 わかっている。ここで友達として、フェリシアを意識している男子学生たちの素性や身元をチェックして、彼女に安全な男ならば縁を繋がせてやった方がいいと。わかっている。なのになぜだか、心に妙なモヤがかかって、彼女の周りから異性を追い払ってしまう。

 ーーもしかして、僕は。


「心の中まで親友になってしまったのかしら……」

「ん? どうしたの?」

「なんでもありませんわ」


 つい漏れてしまった心の声を誤魔化し、僕は令嬢しんゆうの顔を作る。

 廊下を歩いてホテルの最上階、4階まで階段で登る。

 そこの女湯の前で、フェリシアと別れることになった。

 フェリシアは女湯の前のソファに座って待っていてくれるという。


「ありがとうフェリシア。長湯はしません」

「そう言わないで。ゆっくり入ってきていいよ」

「ありがとう」

「ドアの外で話し相手になろうか?」

「結構ですわ」


 僕はピシャリと言い切ると、彼女と別れた。


「ふう……」


 僕は更衣室の中を隅から隅まで確かめる。

 怪しい魔道具も女性もいないことを確認すると、ウィッグを脱ぎ、制服のボタンを外す。チョーカーは防水性なので、つけたままにしておくつもりだ。


 脱衣所の大きな鏡に映るのは、豊満な肉体をした凛とした公爵令嬢。

 目を閉じて意識を集中させて鏡をもう一度見れば、本来の僕の姿があった。


「……女に見えているとはいえ、ここにずっといるのは気まずいな。早く出よう」


 僕はタオルを持ち、大浴場へと続くドアを開いた。


ーーその頃、フェリシアに近づいて来る影があるとも知らずに。

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