第19話 研修旅行/ミラーハウスで元婚約者と共闘
昼の自由時間を終え、私たちが案内されたのはミラーハウスだ。
窓がなくひんやりとした空間で、身長よりずっと大きな鏡がたくさん置かれた迷路で構成されている。
見上げるとドーム状に吹き抜けになった空間に先輩がふよふよと浮かんでいる。彼は私たちを見渡すと、よく通る声で軽やかに告げた。
「見学は色々楽しかったと思いますがーー問題は、今回の旅行は『研修旅行』なんです。つまり、君たちがただ見学して楽しむだけでなく、卒業後実社会で魔術師として活躍するための研修の旅行。実践重視の魔術師として、今回は今後の選考にも加味します」
その言葉に、場の人たちが一斉にざわざわする。
当然だ。魔術師協会本部に覚えてもらえるなんて、就職したい人にとっては願ってもないことなのだから。
「ここではみなさんの魔力がランダムに強化されたり、弱体化されます。うまく操り、この鏡の迷宮を脱出してください。もちろん、魔力なしには出られません。スタート!」
スタートと言ったと同時、鏡の迷宮に私たちはランダムに転送される。
出口なんてわからない色んなところから困惑と悲鳴が聞こえた。
「落ち着こう! まずはみんな、協力しあうんだ!」
「あっクラス委員長のルドルフさんの声」
「まず、僕が土魔法で足元を高くして、全体を俯瞰する!」
そう言うなり、彼の方角からもこもこと音が聞こえる。しかしーー出てこない。
「ぼ、僕の土が星の砂になってるー!」
「じゃあ私が……きゃー!!! 盛り土すぎますわー!!」
女子学生が天井に向かって上がっていく。スカートを押さえて悲鳴をあげる彼女はバランスを崩し、落下する。それを先輩がふわっと救出した。
「はい、君は脱落ね」
「ふええ……」
この迷宮のおそろしさに、私はごくりと生唾を飲んだ。
「思った通りの魔力が出にくいんだ……」
みんなパニックになった。
間違えて強いパワーを使って鏡を割ってしまえば、向こうがわにいるクラスメイトを怪我させるかもしれない。迂闊に何もできない。
「俺は頭脳派だからな! 俺は魔術に頼らず道を探して脱出するーーぶっ」
ビターン!
鏡に思いっきりぶつかる痛そうな音が響く。
「ああ……」
私は困り果てた。
正直私は、水と土の魔術くらいしかまだうまく扱えない。でもここでみんなを溺れさせるわけにもいかないし、水がスライムちゃんを使ったところで、脱出できる気はしない。
「そうだ、私自身をスライムちゃんに入れて逃げる……? いやいやいや、息がつましちゃう」
私が独り言を呟いていると、近くから聞き慣れた声がした。
「そこにいるのはフェリシアかい?」
シモン様だ。
「フェリシアだけだよ。カイはいないですよ」
「フェリシア
「あっそっか。失礼しました……あれ? シモン様は参加者……なんですか?」
「いや、それが道に迷っていたらここに入っちゃって……」
「お、お疲れ様です」
「ふふ、大変なことになっちゃったね」
私たちは姿は見えないながら、ほんわかした空気を感じた。
少し落ち着いた気持ちになる。
「フェリシアはどうする? ここから出る方法、思いつくかい?」
「うーん……私はどのみちこんなすごいところに入れるほどエリートでもないですし……ゆっくり脱出方法考えるくらいでしょうか」
「そうか。……僕は出たいけれど、難しいね」
「ですよね、忙しいでしょうし……」
私の相槌に、彼は少し間を空けて答えた。
「違うよ。……悔しいんだ。君の先輩なのに、君が出る方法を思いついてあげられなくて」
悔しそうな声で呟く彼に、私は驚く。
「私のこと……ですか?」
「君を婚約者として幸せにできる権利は、もう僕にはない。……ならばせめて先輩として助言して、君が優秀さをアピールする助けになりたいんだが……」
「そんな、お気遣いしなくても大丈夫ですよ、私こんなエリートなところで働ける身ではないですし」
「……僕が悔しいだけさ。重たく感じるならすまない」
「シモン様……」
私はシモン様の優しさに胸を打たれていた。
私は恋を知らない。だからシモン様のことが恋愛として好きだったかはわからない。
けれどーーきっとシモン様の婚約者だったら、幸せだったんだろうなと思った。
永遠に訪れないIFを胸にそっと納めて、私は気持ちを切り替えて鏡を見つめた。
私がしっかりすることでシモン様が安心できるなら、本気で頑張らなくちゃね!
「シモン様、私諦めずにやってみます! お知恵を貸してください」
「もちろんさ。……ところで、フェリシア」
「はい?」
「……様はやめてくれないかな」
「えっ」
「もと元婚約者だからって、僕だけよそよそしいのは寂しいな。……僕のことも、シモンって呼んでほしいな」
「ででででも、先輩ですし……」
「じゃあ、先輩はどう?」
「うん。じゃあ……シモン先輩。先輩は魔術でどんなことできるんですか?」
「僕は火が得意だ。でもここで迂闊に火を使ったら」
「……すっごく怖いですよねえ」
「特別異能ーー『聖女』のスキルを持つ先輩もいるだろうけれど、それを期待して炎を爆発させる気にはなれないな」
「ですよね」
「あとはお手上げさ」
「うーん」
わたしたちがこんな会話をしている間にも、あちこちで阿鼻叫喚が響いている。
先輩たちは上から眺めながら、「がんばれがんばれ」と楽しそうに笑っている。
和やかな雰囲気だけど、しっかりみんな私たちをチェックしてるんだーー笑っていても目は真剣そのものだ。
その時。遠くでバリーン!と音が聞こえた。
その音に体がビクッとする。
「鏡を割っちまった!」
「ちょっと、危ないじゃない!」
だんだん険悪な感じになってきた。
「これはちょっとよろしくないよね……」
私はこういう怖い場面が苦手だ。胸が嫌なドキドキをする。
その時、はっと私は考えた。
ーーここで、カイが襲われたらどうなる?
カイはここに危険な人がいるなんて、一言も言っていない。
でも想像してしまったら止まらないーーカイはここで命を狙いやすいのでは?
「カイを守らなきゃ!」
私は考えた。そして。
「あの、シモン先輩。炎は使えるんですよね……?」
「う、うん」
「上を通して……私に、シモン先輩の片栗粉を投げてくれませんか!?」
「粉塵爆発!?」
彼の素っ頓狂な声に、周りがざわつく。パニックの中で口にしてはならない単語第一位・粉塵爆発。
「しませんしません、違います! 私に考えがあるんです! まず片栗粉を投げてください。そのあと私が合図を取りますので、いっせーの! で、私がいる方の鏡に向かって炎をむけてください!」」
「で、でも火傷したら」
「大丈夫です!! 任せてください!!」
私は水魔法でスライムちゃんを出す。一番大きなスライムちゃんを。
魔力のランダムバフ・デバフがバフの方で出たらしい。スライムちゃんは私を飲み込みそうになる程大きい。
「わわっ、こりゃ大変」
「フェリシア! 片栗粉、投げるよ!」
「お願いします!」
頭からバッサーとかぶる片栗粉。
スライムちゃんは次々と、床や私の体にくっついた片栗粉を飲み込んでいく。
「おおう……大きいから助かったなあ……!」
スライムちゃんは私の指示に従い、先輩がいる側の鏡にくっつく。
「よし、これでどんな炎が来てもスライムちゃんで防げるね……」
そしてーー私は鏡の向こうに叫んだ!
「準備できました! 先輩、炎をお願いします!」
「いくよ!」
「「いっせーの!!」」
炎に熱された鏡で加熱されたスライムちゃんが、粘度を増してどんどん固まっていく!
ランダムで強化された炎に炙られたスライムちゃんが、どんどん固まっていく。私はスライムちゃんをよじ登る。バフのおかげで、スライムちゃんはさらに質量をぐんぐん増していく。そして片栗粉で固くなっていく。鏡の迷路の上辺が、片栗粉スライムちゃんで覆われて足場になる。
「えい、しょっ……と!!」
私はスライムちゃんをよじ登って、ついに鏡の迷路の上に立つ。
そして、片栗粉で硬めになったスライムちゃんで固まった迷宮の鏡の上をーー思いっきりーー駆けた!
一番端っこまで走り抜け、ぴょんっと鏡から降りる。
外に待機していた魔術師の先輩が、うわっと驚きの声をあげた。
「はい! 脱出成功ですっ!! ……いたっ」
飛び降りた瞬間、足をぐきっとやって転がる。
近くにいた先輩魔術師さんが、慌てて近寄ってくれる。
「大丈夫!?」
「えへへ、着地失敗しました……」
「フェリシア!」
そして片栗粉ロードを一緒にシモン先輩もかけてついてきた。
先輩魔術師たちが私が作った片栗粉スライムちゃんを見上げて、むむむと首を捻っている。
「……片栗粉……これは合格にしていいのか?」
「うーん、しかし魔術を操作して脱出したし……」
先輩方の言葉に、元婚約者が胸を張っていう。
「魔術だけで、とは言われておりません。魔術を使って、見事にスライムを硬くして上に乗って突破した、フェリシアの勝利です」
「シモン先輩……」
彼は私に手を貸して、そして微笑んだ。
「おめでとうフェリシア。君の活躍を手伝えて嬉しいよ。……自立した魔術師への第一歩、だね」
◇◇◇
「じゃあね、フェリシア。お互い研修旅行を楽しもう」
「はい、シモン先輩! 今日は本当にありがとうございました!」
シモン先輩は私をみて、眩しいものを見つめるように目を細めた。
「……君と、もっと早く仲良くなっておけばよかった。これからは妹の結婚相手という身内として、フェリシアと仲良くなっていけると嬉しいな」
「はい、私もです」
シモン先輩がそっと手を差し出す。私はその手を握り、強く握手を交わした。
「困ったときはいつでも力になるよ。フェリシアも、その……」
「はい。ルジーナのことで困り事があれば、私も力になります」
「助かるよ」
シモン先輩は苦笑いすると、「じゃ」と片手をあげて去っていく。
私が見えなくなるまで手を振る。
振り終わってくるりと背を向けると、そこには腕組みをしてジト目のカイがいた。
「あ、カイ」
「……ずいぶん、元婚約者と仲良くなったんじゃありませんの?」
ジト目のカイが私を見下ろして言う。私はあははと頭をかいた。
「色々あってね〜。でもまあ、仲良くできるに越したことはないじゃん」
「…………まあ、あなたの評価に繋がったのだから、今日のところは多めに見てやりましょう」
カイはそう言って肩をすくめると、私に手を差し出した。
「さあ、行くわよ。これから座学だから寝ちゃダメよ?」
「も、もちろんだよー!」
そんなこんなで、無事に研修旅行1日目が楽しく終了した。
ーー後はお待ちかね、温泉付きのホテルでのお泊まりだ。
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