第8話 学年次席の強面男子2
ジキタリス寮には演習室はない。
魔術の練習をするには、いつも講義を受けている棟、普通科棟の演習室を借りて行う決まりだ。
普通科棟三階の、放課後の演習室にて。
私は桶の前に立って手を肩の幅に開いて魔術の準備を整えた。
その前には、仁王立ちで私を見守るカイの姿。
「はじめなさい」
「はい……『水よ』っ……!」
私が水を念じると、手のひらからぽたぽたと水が落ちる。
「……弱いですわね」
「弱いよねえ……」
「独学で水をちゃんと出せるまで学んだのは立派ですわ。けれど魔術学園の実習についていくには少し厳しいかもしれませんわね」
カイは私の魔術の成績を見る。
私は座学の成績は悪くないのだけれど、魔術演習がほぼ赤点。
そのためーーバランスが悪くてクラスの下から2番めの成績なのだ。
「フェリシア。あなたはまず正確な詠唱で正しく魔法を出す方法を学びなさい」
「正確な詠唱?」
「教科書では簡略詠唱しか教えないけれど、本当はもっと長いのよ」
カイはおもむろに私の後ろに立つ。そして少し躊躇ったのち、こほん、と咳払いする。
「あの、先に言っておきますけれど、別にいやらしいつもりではありませんのよ」
「? う、うん」
カイは私の両手に、後ろから指を絡ませる。
「ひゃあ」
「変な声をお出しにならないで。これは必要だからするのですよ」
「う、うん……」
手の甲に甲を重ねるような繋ぎ方だ。カイは私に耳打ちする。
「私に倣って復唱なさい。『天より地まで、我らの体の奥までも、巡る流れよ、水の竜よーー我に水の恵を与えよ』」
「て、天より地まで……ひゃあ」
私はカイの言う通りに詠唱する。詠唱に合わせて、体の奥からむずむずと変な感じがする。
「なんか変だよカイぃ」
「止めないで。体の魔術回路が巡っている感覚を覚えなさい。その『変』を、簡易詠唱で出せるようにするのが最終目標。今は全部詠唱して」
「は、はい……」
私は最後まで詠唱した。ゾクゾクとする寒気のような興奮のようなものが体を駆け巡って、最後の『与えよ』の部分を口にした瞬間。手のひらから迸るように水が溢れてきた。
「う、うわー!! 止まらないよー!」
「落ち着いて深呼吸! 回路を切りなさい!」
パニックになる私を落ち着かせてくれる。
気がつけばカイはびしょ濡れになっていた。
水も滴る銀髪が、昼下がりの日差しに輝いて綺麗ーーだけど、それどころじゃない。
「ご、ごめんなさい」
「よろしくってよ。……でも、感覚わかったのではなくて?」
「うん。本当にありがとう!」
「じゃあちょっと、しばらく自主練してなさいな。私は着替えてくるわ」
「うん!」
カイは演習室を後にする。
私は一人、桶の中の水を演習室の横に設えられた「水魔法を使ったらココ! 絶対捨てること!」と書かれたシンクに流す。
そして桶を前にして、私は何度も正確な詠唱を繰り返した。
最初はくすぐったくて、カイのサポートなしの単独では最後まで詠唱が難しかったけれど、一人でやっていくうちにだんだん、水が自由に出せるようになった。
まるで水の精霊が、体の中をはしゃぎまわり、任意の位置から飛び出してくるような感覚だ。
なんだかちょっと気持ちがいい。
「最高……」
これなら次の課題演習も乗り越えられそう!
夢中になるあまりに垂れてきていた汗を拭い、私はにっこり微笑んだ。
「カイが見たらびっくりするよね。楽しみ、早く戻ってこないかなあ」
そう口にした瞬間。
私はハッと、違和感に気づいた。
着替えに行ったカイが、ちっとも戻ってこない。
◇◇◇
「カイ! どこにいるの? カイ!」
一番近くの女子更衣室にはいなかった。
同じ階ーー三階にはいなさそうだ。キョロキョロとしていると、階段を登ってきた人とかちあう。
「あれ、あなたは……」
「奨学生の……」
二人の女子学生と目が合い、私はすぐに話しかけようとしてーーこれじゃいけないと、一度立ち止まる。
まずはしっかりとお辞儀をして、名乗るのが礼儀。そして同級生なら、過度な敬語は使わない。
私は背筋を伸ばし、深呼吸して辞儀をした。
「突然ごめんなさい。私学籍番号C49のフェリシア・ヴィルデイジー。同期のカイ・コーデリックを知らないかな」
緊張しながら話しかけると、女子学生二人は顔を見合わせあい、私に辞儀を返してくれる。
「私はカシス・ルールィ。同期よ。カイさんは知らないけれど……」
「私はマオ・アトマ。私も知らないわ、何があったの?」
軽蔑や拒絶ではなく、心配するような目で向けられてホッとした。
ちゃんと礼儀を覚えれば、そこから始まる関係もある。教えてくれてありがとうカイ……
じんとする気持ちになりながら、私は話を続けた。
「さっきまで一緒にいたカイがいないの。着替えにいくと言って……見ていないかな」
「カイさんは……見ていないわね。だってあの人目立つもの」
「私たちが見かけたのはアンジャベルさんとお友達くらいで……」
「アンジャベルさん……?!」
私は血の気が引くのを感じた。
あの人たちはカイにすごく怒ってた。
絡んできた時、おとなしく引いてくれたのも、たまたま店長が休憩しながら見ててくれていたから。
私は二人に尋ねた。
「教えてほしい、どっちで見かけたかな?」
顔色で色々と悟ったのだろう、彼女たちの顔も真剣になった。
「
「ありがとう」
「見かけたら警備の人や教授にも伝えておくわ。気をつけてね」
「ありがとう。ごきげんよう!」
私はお礼を言って別れ、急いでアンジャベルさん目撃情報のある普通科棟の北側へと向かった。虫害が出て切られた切り株があちこちにあり、キノコ研究部の人くらいしか来ない場所だ。
「急がないと……」
私は普通科棟の階段を降りていく。踊り場にちょうど北側が見られる窓があったので、窓に張り付いて外を見る。
私は思わず声をあげた。
「カイ……!」
カイは、アンジャベルさんたちに囲まれていた。
壁に背中をつけた状態で、目の前に男子学生が数人囲んでいる。その中心でアンジャベルさんが腕組みしている。
いかにも多勢に無勢で因縁をつけられている状況だ。
ガララと窓を開けると、彼らがカイに言っている声が聞こえてきた。
「公爵令嬢だから手出しされないと思ってんだろ? ふざけてんじゃねえぞ」
「セリンセ公爵令息なら礼節を弁えていらっしゃると信じているのよ」
「ってめえ……」
カイは女子学生にしては身長が高いけれど、こうしてガチムチの男子学生に囲まれるとか弱い女の子でしかない。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう」
私は慌てた。ここから私が乗り込んでも勝てないし、教授や職員や警備の人を呼ぶ時間もない。どうしよう。
「そうだ、俺も礼節はわきまえちゃいるよ。特に女は守るべきモンだとわかってるからな?」
カイの細い顎をくいっと持ち上げ、アンジャベルさんが目を眇めて笑う。
怖い!
「お前が俺に対して謝罪し、生意気で申し訳ありませんでしたって手をついて謝れば許してやるよ」
「そうだそうだ。顔は可愛いんだから許してやるよ」
「よかったな? 今ならアンジャベルさんの愛人の一人になりたいって言ってもいいんだぜ」
私は呆れて、思わず口を塞ぐ。
「うっわ野蛮……」
貴族令息でも野蛮な人は野蛮なんだなと、なんだか少し夢が醒めたような気持ちになる。
「親にはお前が言わなきゃいいんだろ?」
「学園内のこういう話は、秘密裏になることも多いんだよ」
しかももみ消しまで匂わせてるし。
それに対して、カイは怯むことなくーーはあ、と溜息をついた。
「まともに女を口説くこともできませんの、あなた方は」
「チッ…… 生意気な女め。お前がそういう態度なら、こっちも考えがある。あの奨学金女がどうなってもいいんだな?」
その時。カイが初めて狼狽えた声を出した。
「やめて。あのこは関係ないでしょう?!」
「お前一人なら手出しは難しいが、あいつなら何があっても……なあ?」
「卑怯よ」
カイが怒り狂った目をしている。
男子学生たちは、どんどんカイを追い詰めていく。
ど、どうしよう。私を庇うためにカイがピンチになっちゃった。
どうしよう……もうだめだ、迷ってる暇なんて、ない!
私は窓から思い切り身を乗り出し、叫んだ。
「『天より地まで、我らの体の奥までも、巡る流れよ、水の竜よーー我に水の恵を与えよ』!!!」
ビシャーッ!!!!
水が、彼らに向かって勢いよく降り注いだ。
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