第170話 真実の目と神獣

「そのマヌケな旗はなんだ?」

列車の座席に腰を下ろすと、ドミトラは、まっさきにそう尋ねた。


主を非難中傷されたネイアは。

このときは、なにも言わなかった。

彼女も同じことを思っていたからだ。


ルールスが、にぎった旗、これは見る人が見ればひと目でわかるランゴバルド冒険者学校のマークに、でかでかと

「冒険者学校ルールス分校校外実習中」

と描かれていた。


「これは、課外活動でれっきとした授業の一環なのだ。」

ルールスは、言い返したが、その手がすばやく旗を柄に巻き付けて収納していく。ルールスだって恥ずかしいのだ。

「ぼくらは幼年部のガキではない。こんなモノの後をぞろぞろついて行かないと迷子になる、とでもいうのか?」


誇り高き貴族の子弟は、たいへんオカンムリである。


「慣れろ。」

ルールスは、ぶっきらぼうに言った。


「この馬鹿げた行動に慣れろ。だと?」

「そうだ。これは“踊る道化師”の伝統的な旅のやり方だ。」


何を言い出すのだ。

ネイアは。狂人を見る目で、主人を見つめた。

「いいか。踊る道化師の仲間となるものは、必ずしもひとの社会に慣れたものばかりとは限らない。

例えば、迷宮から出できたばかりの古竜が仲間に加わることもありうる。」


あるわけがないだろうがっ!!


と、貴族の御曹司はわめいた。

エルメが慌てて、割って入った。

「ものの例え、だよ! ドミトラ。

いま、この世界に竜はいないし、迷宮内の災害級の魔物がパーティに加わることなどありえない。

けど、孤立して暮らしていた亜人がパーティにはいることはありえない話じゃないし、列車に乗ったこともない田舎者だって、いるだろう。」


まあ、それは。

と、ドミトラはしぶしぶ認めた。

本当は、彼自身、魔道列車に乗ったのは、冒険者学校の試験のため、上京したのときがはじめてであったが、それは黙っているしかなさそうだった。


「納得してくれたか。」

ルールスは、旗をそそくさとバッグにしまい込んだ。


「誰にこんなことを言われたんです?」

ネイアが囁いた。

「アキルだよ。」

と、小さな声で、ルールスは帰した。

「あいつのいた世界では、こうするんだそうだ。わたしもこれはないなあ、と思いながらも。」


「そうですね。幼年学舎の生徒ならともかく、ドミトルたちには、まったく意味がありません。」

「しかし、まあ。」

ルールスは、ため息をついた。小柄な美女はふいに年相応に老け込んだようにみえた。

「時の流れるのは早いものだ。あのリウとフィオリナの娘が冒険者たち学校に入学するとはなあ。

ギムリウスとロウは、『城』を率いてるし、オルガは銀灰国の元帥だ。」

ポタポタと涙が、こぼれ落ちた。

「そんな中でアキルだけが、なんの痕跡も残さずに消えてしまった。

もともといた異世界に帰ったのか?

わたしはな、ネイア。忘れてしまうのが怖い。」


ネイアは、慌てて、主人の目を覗き込んだ。感情的な不安定は、老いの兆候であることが多い。

ルールスは、過剰な魔力を宿した人間にときどき見られる長寿を得ていたが、ネイアのように寿命がない訳では無いのだ。

もし、そうなったら、ロウに頼んで噛んでもらおうと、ネイアは心に決めていたが。


ルールスの目は済んでいて、混乱や凶気の欠片もみられなかった。


「せめて、わたしだけでもアキルを忘れないように、覚えていてやろうと思ってるのに、あいつはくだらない事しか言わなくて、覚えてるのはこれだけなんだ。」


そんなヤツをわざわざ覚えといてやる価値があるのか。

と、ネイアは思うのだが、アキルは、その言動とは裏腹に、忘れ去っていい人物ではない。というか、人物ですらない。


その実体は、「束縛と隷属」の邪神ヴァルゴール。


「いずれにしても生き物の寿命は、恐ろしく短い。」

男は、酒瓶の蓋に酒を継いで、ルールスに手渡した。

「そこいらは、やたら長寿なあんたも一緒だろう?

で、どんな相手でも共通していえることは、いい思い出をつくるためには、そいつと酒を酌み交わすんだ。」


その言葉は、まじめな口調で発せられ、ルールスはもちろん、ネイアまで深く頷かせるものがあった。

ルールスが差し出された酒を飲み干して。

全員が異常に気がついたのは、それからだった。


「お、お、おまえは!」

だれだ!とは、ルールスは聞かなかった。

よく知った人物だったからである。


「き、きさまは、悪名高き冒険者パーティー“燭乱天使”の下部組織で、“彷徨えるフェンリル”の」

ではなくて。

ルールスは、忙しく頭を働かせた。

「そうだ! “燭乱”が活動停止したんで、おまえらは、“フェンリルの咆哮”と名乗って、独立したんだ。

たしか…“踊る道化師”の連中とも知り合いで、なんどか力を借りたこともあって…」

えーと、えーと、それから。

「そのあと、“災厄の女神”にスカウトされて、」

青空色の瞳に、写るのは、ちょっとくたびれた中年冒険者。簡素な革鎧は、動きやすく云々よりそれしか買えないのだろう。

平凡で、ベテランらしくしぶとい戦いはするのだろうが、それだけの男。

二つ名は“不死身”のザック。

「敵じゃないかあっ!おのれは。」

「遅いわ! おれが現れて何秒たっている?」

ふん。

と、言ってルールスは、顔を背けた。

「いまの立場がどうであれ、顔見知りが酒を差し出しているのに、いきなり、攻撃魔法を叩き込む趣味はないわっ!」

「そんなことじゃあ、長生きでんぞ。校長先生。」

「理事長と呼べ。」

ルールスは胸をそびやかして、そう言った。

「選挙なんぞという怪しげな制度で選ばれる、校長などと一緒にするな。」


「ルールス! こいつは…」

「ドミトラよ。間違ってもコイツに攻撃などしてくれるなよ。」

ルールスはゆっくりと生徒たちをなだめた。

「こいつは、“災厄の女神”二極将ザックだ。」

「いずれ戦うのならば、いまここで済ませても問題はないだろう?」

「ならせめて、もう少し列車が郊外に出るまで待つんだな。」

ネイアが言った。

「ここでは、街に被害が及ぶ。列車の乗客は運が悪かったと諦めてもらうが、そこまで無辜の人々を、殺傷したくはないだろう?」

「大丈夫だよ。」

ザックは、舌を出して笑った。

「この坊やだけを消し去るんだろう? うまくやってみせるさ。」

そう言って、肩をすくめて周りを見回した。

「それに、いまはおまえたちの敵じゃあない。『黒の御方』からおまえたちを守れというのが、女神の命令だ。」



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