第165話 旅立ちの準備

「何をするにも性急。説明もなにもあったものではないが、本人たちはわかっていて、しかも説明したつもりになったいるのだから、始末が悪い。」


ネイアは、ため息をつく。

疲労が、体のすみずみまで怠さを、重さに変えていく。

ひょっとして、自分は歳をとったのだろうか。

吸血鬼。今流の言い方だと貴族には、そんなものはないのだと、学界では正式に認められているのだが。


「ネイア先生。お疲れのようです。」


エルメは14歳。

生粋のランゴバルド生まれランゴバルド育ちだ。

出自がどうので人を判断するネイアではないが、老舗の冒険者ギルドのマスターの息子というと、冒険者の街ランゴバルドでは、ある種のエリートには違いない。


「疲れてもいようさ。

おまえみたいな子どもを戦いに駆り出さねばならないのだから、な。」


エルメは、無邪気そうな顔に邪気をたたえて笑った。


「ぼくは、強い、ですよ。」

「ああ、だがあと二年。いや一年。いや半年でもいい。時間があればもっと強くなることができただろう。」

「貴族のみなさんと違って、人間は時間が限られてます。

それに、やるべきことがめぐってくるのは、自分に準備ができたときばかりではありません。これは人間も貴族も一緒だ。」


ネイアは、マントの中から棒状の包みを取り出した。

無造作に、テーブルのうえにそれを置く。


怪訝な顔をしたエルメが、それを開いた。

大小。二本の太刀。

「名刀鬼切と盟神太刀。」

エルメは、震える手でそれに触れた。


ぴりり。

と、刀が震え、それらは、エルメの支配下に入った。

「ぼくの聖櫃の武具です。何故これを。」

「うん、かっぱらってきた。」

「先生!!」

「冗談だ。ルールス姫から王室に掛け合ってもらった。

ランゴバルド存亡の危機にしか使用を許されぬ聖櫃武具。

持ち出し許可が降りた。持っていくように。」


久しぶりに愛刀と対面したにも関わらず、エルメの顔色はよくない。


「つまり、いまこの旅が、ランゴバルドの存亡に関わると。」

「うぬぼれるな、少年。」

「……」

「おまえがなにをしようが、事はすすむ。あのルウエンという少年の描いた筋書きでな。」


エルメの無理に笑ったが、その笑顔は引きつっていた。


「ずいぶんと彼を信頼してるんですね。まるで、従属種が貴族を信頼するみたいだ。」

「そうだな。わたしが忘れているだけで、わたしはかつて、あいつに噛まれたのかもしれない。

そして、その記憶だけをすっぽりと削除されているのかもしれない。」


女貴族は、緑の目を閉じた。


「いずれにせよ、心せよ。おまえ自信が戦況をあれこれすることは無い。

聖櫃武具を貸し出したのは、ひとえにおまえの生還率を上げるためた。

心してかかれよ。」


少年は頷いたが。その顔色は蒼白のままだった。



「北の諸国は行ったことがない。」

ドミトラは、トーアの拳を払い除けながら、同時に踏み込んだ。

貴族の戦い方は、それでいい。

相打ちならば、耐久力、回復力に勝る貴族の勝ち。

「わたしもだ。」

後脚を軸に、全身を一本の棒とさて、突きを放つ。

ドミトラとの組手はなんども経験していた。

その経験からこれなら、と考えて用意した技だったが、ドミトラは、寸前で体重を後ろに流した。


トーアの拳は。ドミトラの胸を貫いたが、予期したほどの威力は発揮されない。

そのまま掴みかかってくる。

組打ち、だ。

相手と一緒に倒れるふりをしながら。側頭部に肘を打ち込む。


ドミトラの拘束が緩んだ。


「グランダには、かの魔拳士ジウル・ボルテックもいるはずだ。楽しみだな。」


するり、と「貴族の抱擁」から抜け出したトーアは、今度は、ドミトラの腕をキメてくじきにかかる。ドミトラは、そのまま、トーアを持ち上げて、投げ飛ばした。

正しくは、床に叩きつけられる寸前に、手を離して、自分から飛んだ、のだ。


「ああ、楽しみだ。」


「そこまでにしておけ。」

試合場に現れた小柄な影は、ルールスだった。


「これは理事長殿。」

トーアは、一応。頭を下げた。

「この度は、わたしの無茶な提案にのっていただきありがとう。」


「しかたない。」

どっこいしょ、と声をかけて、冒険者学校の最高責任者は、床に腰を下ろした。

れっきとしたランゴバルド王質の姫君だが、胡座をかいている。

「長年、真実の目と付き合っているうちに、世界のことかわなんとなくわかるようになってきた。」

ほんの瞬き一回の間。

ルールスの瞳は、噴き上がるような燐光に満たされた。

「この世になにかの動きがある。それは歪みを正すための動きだ。

その中心にルウエンとアデルがおる。」


トーアはもちろん、ドミトラとその姿に敬虔なものを感じ、礼をとった。


「ルールス先生。あなたの目に、ルウエンとアデルは、どう写ったのだ?」

珍しく改まった口調で、ドミトルが尋ねた。


「“運命の子”アデル。“魔王の再来”ルウエン。」


「運命の子、か。」

トーアは、その言葉を舌先で転がした。

アデルの出自は、何ヶ月かともに暮らした彼女たちには公然の秘密である。

「わかる。だが“魔王の再来”は?

いままさに、この世界に魔王が君臨している現状にあって、魔王の再来とは?」


「わたしの同僚に“背教者”ゲオルグというのがおってだな。いやそれは調停者仲間、という意味だが。」

ルールスは、そのまま、床に寝転がって四肢を伸ばした。

「やつは、面白い学説を唱えている。わたしやドロシー以外には相手にされない珍説だが。」


なにを教師が言い出したのかわからず、ドミトラとトーアは顔を見合せた。


「“踊る道化師”には、かつて、それを組織して、導いていたリーダーがいた、という説だ。」

「それは……面白いけど、実際に当時を知っているものが、否定したら終わりだろう?」

「そうだな。わたしもネイアもそんなものはいなかった、で終わりだがな。だが、実際にその立ち上げのきっかけをつくったものがグランダの王子ハルトだったことは、ほぼ間違いなさそうだ。

そして、ハルトは学生時代に“魔王の再来”と呼ばれていた。」


「魔王の再来が魔王を誘って、パーテイを結成したっことなのですか。

そりゃあまた。」

「そうだな。魔王をこの世に解き放ってしまば、自分は魔王の再来にならずにすむ、とでも思ったのだろう。どうだ?」

ルールスは天井をみあけまま、クスクスと笑った。

「まるで、わたしたちの友人ルウエンくんにそっくりの性格じゃないか。」



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