<第9章最終話>第158話 災厄の百驍将(後)

災厄の女神には、恐るべき女官長がいるという。

自ら戦場に赴くことは無いが、災厄の女神の神殿、その一切を仕切り、侵入者を一切許さないと言う。


ただし、その勤務時間は、1日6時間。5日に一度は休日である。

なにしろ、子どもがまだ六つであって、なにかと母親の手がかかるのだ。


いや、これは言い訳でる。

災厄の女神の女官長ミュラの実家は、名門の伯爵家であり、夫は宰相であるパルゴール伯爵である。

上流階級、とくに高位貴族ともなれば、乳母や召使いも大勢雇える。


いくら就学前とはいえ、教育も家庭教師がついている。

まして、家事の細々したことなど、奥方さまが自ら手を出すこと自体、ありえない。


だから、バルゴール伯爵と結婚したのも、勤務時間が短いのも、ミュラが自分で決めたことだ。


「お酒は会議が終わるまでだめです!」

「い、一杯だけ!」

「あなたはそう言って、いつも瓶を空けるまで呑んでしまうでしょう?」

「呑まなきゃ女神サマなんてやってられないんだよっ!」


かくも、災厄の女神は、手間がかかる女だった。


ミュラは、かつて、学校の後輩で、上司で、恋人でもあった女に、ワインのボトルを見せた。


「ちゃんと報告を聞けたら、晩餐でこれを開けます。」

「よし。では、カプリス。続きを話せ。」


けっこう、面白いヤツなのに。


ミュラは内心でため息をついた。

ちゃんと人間扱いしてくれるのが、ミュラや両親、それに喧嘩別れしているもと夫しかいないのはなんとも可哀想だった。


だが、憐憫を抱いている場合では無い。

“黒の御方”と“災厄の女神”はともに、単独でも、災厄級の魔物をも凌ぐ存在なのだ。


たぶん、互角に意見のできる竜族は、この世界を去り、ミュラとしては、2人の対立が致命的なカタストロフにならないかを、注意するしかない。


「カプリス殿。」

ミュラは、言った。

「カプリス殿。そのルウエンは何者なのですか?」


「わからないのだ。

確かに彼とは、20年前のカザリームでのトーナメントで戦った。その時から歳格好が変わっておらん。」

「それは。」

ミュラは、首をかしげた。

「魔力過剰による老化遅延。いえ、その場合は成人してからの文字通り『老化』が遅れる、という症状として現れてくるケースが大半です。

少年の姿のまま、ということは、とてつもない魔力量なのか、あるいはどこか別空間に封じられていたのか。

あるいは、その昔、わが女神やなたの前に現れたルウエンの血縁者、ということは考えられませんか。

顔立ちが似ていることも、優れた魔力をもっていることも、遺伝的な話で説明はつきますが。」


「ロウ=リンド殿までも、彼を“ルウエン”として認識しています。」

カプリスは言った。

「顔かたちは、親子なら似ることもあるでしょう。また魔道的な要素も遺伝はしやすいのです。ですが、その人物がそれぞれに備えた個性というものなりますと。」

「魔力量はどんなものなの?

以前のルウエンは、自分の手を竜の牙に見立てて、ブレスを撃ったときいてるわ。」

「迷宮ランゴバルド。」


カプリスはゆっくりと言った。


「その昔、黒をはじめとする“踊る道化師”の初期メンバーが作り上げた迷宮です。現実のランゴバルドに重なり合うように存在し、彼らのみしか侵入できない。

そこに、我々とアデル様、それに魔王宮階層主オロア殿とミュレス殿は、招待されてのです。

“ここなら、迷惑がかからないから、ここで戦え、と”。」


「あそこには、わたしも入れない。」

災厄の女神は、お茶のお代りを所望した。

「確かに周りを荒野に、変えずに、おまえたちと階層主を戦わせるにはいい手段かもね。」


「戦いそのものは手詰まりになりました。そこで、彼は、ルウエンは“黒の御方”を呼ばったのです。“おい、そこで見てるんだろ。おまえが何とかしろ、と。”」


「あいつが、よくおまえらを皆殺しにしなかったか疑問だな。よく我慢てよ、あいつは。」


「それが…迷宮ランゴバルドへの侵入のためのアクセクコードが書き換えられていて、かのお方は、姿は見せたものの、迷宮内にはいることは出来なかったのです。」


「あのな。」

災厄の女神の目がギラギラと輝き始めた。

「それもルウエンの仕業だというよか!」


「はい。自信でそう言っていました。」

「なんなんだ、そいつは!」

女神は、吐き捨てるように言った。

「迷宮ランゴバルドへの侵入コードももっていて、それを自分用に書き換えて、リウが入って来れないようにしたのか?

何者なんだ? あのゲオルグが言っていわたしたちみんなが忘れている“踊る道化師”の真のリーダーだとでもいうのか?」


「可能性は充分だな。」

ザックが、笑っている。かれはもう跪くのはヤメにして、勝手にあぐらを書いて座っていた。

「ゲオルグの調査だと、そいつは、元グランダの王子でハルトというらしい。よかったな、これでおまえとよりをもどせたら、万々歳という事だな!」


「もっと、現実的でありそうな考察が、黒の御方からありました。」

マヌカが、顔を上げて言った。

「ルウエンが、神竜姫アモンさまの命を受けた古竜の1柱である可能性です。」


「なるほど? 不老や絶大な魔力は、古竜だからという理由で。迷宮入りランゴバルドへの侵入やアクセスコードの変更は、裏でアモンが動いているとすれば、説明はつくな。」


災厄の女神は、じっと考えこんだ。


「アデルは、そいつに、懐いているのか?」


百驍将たちは、顔を見合わせた。

ルウエンとアデルが、一緒のところを見たものたちは、ふたりがピタリと息のあったお似合いのカップルに感じられたのだが、それをはっきり言ってしまっていいものか?


「ドロシーのことは一旦置く。」

と、女神は言った。

「そのルウエンという少年に興味がわいた。かつて、ブテルパを退け、今度はまた、カプリスとザック、マヌカをコテンパンにするとは、な。」


「主上! べつにカプリスさんはコテンパンにされた訳ではなく」

「わかっている、ミュラ。言葉の綾だよ。

いずれにしても。」


災厄の女神は、前かがみになって、顎を組んだ手の上に乗せた。


「そのルウエンをわたしのところに連れてこい。」


「いいぞ、災厄の! いよいよ幼き日の婚約者と再開というわけだな。」

「だまれ、ザック。」

女神は致死性の視線で、ザックを睨んだ。

「おそらくは、黒の推論が正しいのだろう。ルウエンの正体は、古竜だ。」


「古竜を踏ん縛って連れてくるのか?」


「ザック殿。」

小さな手があがった。

百驍将ポポロのものだった。

「ぼくが行きます。ぼくなら、例えルウエンが、古竜であったとしても必ず“説得”してみせます。」


「たしかに、力で圧倒しようとしたら、どれだけ損害がでるかわからんな。

わかった、ポポロ。任せよう。

ザック、ゲンガク。ポポロに、同行してやってくれ。

ブテルパ、マヌカは、ドロシーの元へ。これはドロシーを拘束するのではなく、黒の魔手からドロシーを護るためだ。」


百驍将は、一斉に頷いた。


「それじゃあ、ご飯にしよう。さっきのワインはあとで抜くとして、そうだな、白酒を炭酸で割ったものを」


謁見室の奥のカーテンが開かれ、おくのテーブルには、次々と食事が運ばれてきた。


「百驍将も、席に着け。黒が階層主まで、繰り出したにも関わらず、よく無事で帰ってきてくれた。さあ、飲み食いしながら、我が娘のこと、ルウエンのこと、ドロシーのこと、聞かせてくれ。ご苦労だった。」


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