<第9章最終話>第156話 災厄の百驍将(前)

その玉座に座るものを、人は『災厄の女神』と呼んだ。

あまりにも美し過ぎるその美貌は、ある種、大北方のそのまた北にある氷河のように。

あるいは、あまりの鋭さに自らを収める鞘さえも切断してしまう名刀のように。


人を寄せ付けない。


たしかに美しくはある。

だが、誰が彼女を愛したいと思うだろう。

誰が彼女を娶り、ともに人生を歩もうと考えるだろう。


その御前。跪く影たちの中で、ひとり立つ男がいる。

短く顎髭を刈り込んだ男の名は、もと百驍将がひとり、ベルフォードという。


軽装の鎧は、スピードを重視する剣士のものだ。


髪に僅かに白いものが混じりつつあるが、それがかえってこの男の魅力をひきたてている。


「順番に話をきく必要があるな。」


物憂げに、災厄の女神は言った。

このときの玉座は、半分寝そべることができるようなベンチ型のもの。


事実、女神は、ぐったりと体を玉座に投げかけて、完全にくつろいでいるように見えた。

だが、この状態からでも、神速の斬撃が放てるのが、災厄の女神だ。


「まず、興味深いのが、ヘンリエッタだ。本当におまえの弟子はわたしを裏切ったのか?」


ベルフォードは、黙って頭を下げた。


「死んだものもいる。引退したものも。」

女神は顔を伏せている。

それは悲しんでいるようにも、気落ちしているようにも見えた。

「だが、裏切ったものはいない。

ベルフォード?」


「御意。」

脳天から股間まで、鉄の刃が走り抜ける感覚を覚えながら、ベルフォードは頭を下げた。

「ただし、厳密には裏切りとは、言えない、とわたしは考えます。」


「もう少しで、ドロシーを“説得”出来たのに!」

影のひとつが顔をあげて叫んだ。声変わり前の少年の声だった。

「ヘンリエッタのヤツが邪魔したんだ。おかげで、ぼくらはドロシーを連れてくることが出来なくなった!!」


「ポボロ殿。」

ベルフォードは、静かに言った。

百驍将ポポロは、ベルフォードが現役の百驍将だったときから、はるかに席次がうえであり、ベルフォードは律儀に敬語で話していた。

「カプリス殿やヘンリエッタからもきいております。

ドロシー嬢やアデル姫を“黒”のてもとに渡さないことが、我が女神のご命令であった、と。」


「詭弁だよ、ベルフォード。今回はたまたま、ドロシーを“黒”のもとに連れていかれなかっただけで、彼女は依然として危険な状態にあるんだ。

我々の保護下に置かない限りは!」


「ボポロ、黙れ。」

災厄の女神は、静かに言った。

「ベルフォード。おまえは、現在は百驍将ではない。おまえは、わたしの命令を聞いておらず、またわたしの命令に従う義務もない。ゆえに、おまえを罰しようとは思わない。」


「でもヘンリエッタが」

「だまれと言ったぞ。」


そうは言ったが、災厄の女神の口元には、微かに笑みがうかぶ。

ポポロは、女神のお気に入りなのだ。


「ヘンリエッタの裏切りは、ヘンリエッタに罪を問う。」

「しかし! ベルフォードとヘンリエッタが共謀した可能性も!」

「可能性だけで、いちいち罪を問うていたら、わたしに仕えるものは生首だけになる。」


女神は、きっぱりとそう言った。


「カプリス、おまえはどう見る?」


百驍将筆頭は、顔を上げた。


「まずまずの首尾か、と。」

「そうか?」


優しげな声だが、次の瞬間には斬撃が

飛んでくるのがこの主だ。

カプリスは、切りやすいように、首を伸ばした。


「黒の御方の意図は、“踊る道化師”を再編し、その威をもって主上を屈服させることにあり。その意図を挫いたことは、意味のあることかと。

さらに、黒のハタモトのひとり“殺戮人形”ジェインは、ドロシーの娘を誘拐しております。

少なくとも、ドロシー殿が、黒に組み入れすることは有り得ないかと。」


「娘を人質にとられ、やむなく、黒につくかもしれんぞ?」


「脅迫によって、ドロシー殿を抱き込んでも、それでは、“踊る道化師”の再編にはなりますまい。」


「ふむ。ザック、おまえはどうだ?」

ベテランの剣士は、にまにまと笑っている。

災厄の女神の表情は、いままで彼女の部下たちに対するものとは微妙な違いがあった。


一応、マヌカとともに「二極将」として、百驍将の頂点に君臨するザックだが、その正体は人間では無い。

古竜に匹敵する戦闘力をもつ、神獣フェンリルがその実の姿であった。


「あのルウエンってのは面白いな。」

「アデルがつるんでいる魔法使いか?

カプリス?」

「はい。」

カプリスは重々しく頷いた。

「カザリームのトーナメントで主上がともに戦ったあのルウエンに間違いありません。」


「そのルウエンが何故、ここでまたわたしの前に現れた?」


災厄の女神は、椅子にすわり直した。

控えたメイド頭が差し出した飲み物を口にする。

濃い緑の飲み物を1口飲んでから、抗議するように後ろのメイド頭を見上げた。


「ミュラ、これただのお茶…」

「この場は、酔っ払ってる場合ではありません。」

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