第154話 森羅万象
この地上に、魔王宮階層主が出現した!
あまりの異常事態に、一瞬ゲンガクの拘束は緩んだ。
ロウ=リンドは、その瞬間に踏みつけられた状態から離脱した。具体的には、足首を掴んでそのまま、ゲンガクをぶん投げたのだ。これは半分くらい成功した。
足首を掴んだロウの手を、ゲンガクは、もう片方の足で蹴りつけたのだ。
ロウの手が離れたので、ゲンガクの体は叩きつけられることなく、床に着地した。
「アレはなんだろう。」
ポポロが不安そうに、顔を顰めた。
「あれは、魔王宮の階層主だよ。
オロアとミュラスだ。地上に出てきただけでも、有り得ないのに、力を解放するとは。」
ロウが吐き捨てるように言った。
ポポロの術で夢うつつの、ルーデウスの頬を張り飛ばす。
ルーデウスの目がやっと、光を取り戻し、ロウを捉えた。
「真祖さま?……わたしはいったい。」
「そこの百驍将第七席ポポロの術にかかって、蝶々とお話ししていたんだ。」
人間の魔道士の催眠にかかるという失態に、ルーデウスの顔は紅潮した。
目が真っ赤に染まり、口元から牙がむき出しになる。
「ふざけた真似を!!」
さし伸ばしたルーデウスの指は、黒い尖った爪を揃えていた。
「ダメですよ、ルーデウスさま。」
ポポロは落ち着き払った声でたしなめた。
その声だけでルーデウスは、止まった。
人間に恥辱をうけた怒りが、きれいさっぱり治まっていく。
「魔王宮の階層主たちが、戦闘体制に入ったんだ。まずは、ここを離れないと。
相手は、多分、ぼくらの“二極将”ザックさんとマヌカさんだ。
そうやすやすと負けたりはしないけど、エネルギーの余波だけで子の街なんて吹っ飛んじゃう。」
ポポロは、全員に語りかけているようで、そうでは、ない。
ドロシーの顔を覗き込むようにして、そうささやいている。
ポポロは、嘘は言わない。
だが、自分にとって都合の事実を並べて、ありえるかもしれない真実を作り出す。
ただ、それだけの詭弁。
絵空事を相手に信じ込ませるスキル友言えないスキル。
それをもって、彼はこう呼ばれている。
“森羅万象”。
「だから、いまは、いったん一緒に退避しようよ。で、お子さんたちと合流させるから、そのあとのことは
それから考えてもいいんじゃないかな。まずはドロシーお姉ちゃんと、エイメちゃんとサイナちゃん。みんなの安全を確保してから、さきのことを考えようよ。」
「ドロシー、そいつに喋らすな!」
ロウは、踏み出そうとしたが、またゲンガクが立ちはだかる。
狭い室内で。
しかもドロシーを傷つけないように、エネルギーを抑えて戦うには、最悪の相手だった。
こちらの攻撃のベクトルを自在に変化させる拳士“百鬼”ゲンガク。
そのゲンガクに、ルーデウスが踊りかかった。
無駄だ!止めろ!
そう叫ぼうとした。
ゲンガクは、華麗に体を捌き、ルーデウスを投げ飛ばそうと…。
ゲンガクがつかもうとしたルーデウスの肩は、すでに霧状化している。
ふるった拳は、ルーデウスの顔を撃ち抜くはずだった。
だが、その顔も上半分は、霧と化していて、ゲンガクの拳は霧を散らしただけだった。
「ぬうっ。」
呻いて、ゲンガクは、一歩下がる。
その胸に、ルーデウスがふるった爪の後が刻まれていた。
深い傷ではないが、血が滲む。
「ドロシーおねえちゃん。早くここから逃げようよ。階層主と二極将が本気で衝突したら、この街も木っ端微塵になるよ。エイメちゃんと、サイナちゃんはもっと近いとこにいるんだ。
早く合流してここから逃げよ」
いきなりの横殴りの斬撃り
ポポロは、囁きをやめて、体を横って飛びに、斬撃をかわした。
それは、明らかに高度な体術、それも修練も実戦もじっくり積んだものだけができる動きだった。
「よく、かわせたな。」
振り抜いたその剣は、まともに握られたものではない。柄を指の間にはさんだだけだ。
剣そのものの重量とバランスを使って、繰り出す斬撃。
その異形の剣は、北の大地に伝わる。
振るうのは『百驍将』ヘンリエッタ。
「考えたんだが、わたしは、こっちにつかせてもらうよ。」
「きさま。」
ポポロは、まったくの無傷ではなかった。ヘンリエッタの剣は、ポポロの髪の生え際を僅かにかすめ、そこから、血がしたたっていた。
表情は、悪鬼のそれ、だ。
天使の如き美貌は、台無しになっていた。
「ロウ=リンド閣下。こいつの弱点は、己に傷を負わされることです。」
ヘンリエッタは、くるくると手品師がスティッキを回すように、長剣を回しながら言った。
「自らが痛みを感じている状態では、相手を『説得力』することは出来ないのです。」
「このクソがあああっ!!!」
確かにその歪んだ顔で、誰かを調略することなど不可能だろう。
少年のの両手から、キラキラと輝く蝶が飛び立つ。
それをヘンリエッタの剣が、瞬時に切り捨てた。
「これは、幻視蝶という。長く見ては術中にはまる。視界の端において、見えた瞬間断ち切る。」
「裏切りもんがどうなるか。」
ポポロは、左右の手に長さの異なる短剣を構えた。
そのまま、首を振って、ドロシーが投じた氷の矢をかわす。
もう一人の百驍将ゲンガクもまた、苦戦していた。
ルーデウスの牙と爪は繰り返し、ゲンガクを襲う。ゲンガクはそれを避けながら、蹴りと拳で、反撃を試みるのだが、半ば霧と化したルーデウスには通じない。
「このクソがっクソがクソがクソがクソがっ!!」
「語彙まで、お子ちゃまか、ポポロ。」
自在な軌道で切りつけるヘンリエッタの斬撃を、二刀を使ってかわし続けるポポロであったが、剣の勝負では、明らかに分が悪かった。
「引くぞ、ゲンガク!」
顔を歪めて、ポポロは叫んだ。同時に。
両手の剣を擦り合わせる。
部屋の中は、幻視蝶で満たされた。
ヘンリエッタの剣が。ロウの腕から飛び出た真紅の刃が。ドロシーの氷の矢が、それらを次々と消滅させていく!
すべての幻視蝶を始末して、ようやく視界を確保した時、ポポロと、ゲンガクは姿を消していた。
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